第7話 城戸 陽一
「何がそんなに悲しいの」と声を掛けられた。
悲しいという感情が吹き飛ぶほどの怒りが享子の中に生まれた。
何がそんなに悲しい。
冗談じゃない。
これほどの悲しみがあるか、自分以外の家族全員か明日をも知れない状態でもがき苦しんでいる。
それが悲しくないとでも言うのか。
享子が顔を上げた。
初めて会た城戸陽一は優しげな表情で享子を見つめた。
パジャマ姿で毛糸の帽子をかぶっていた。
心配してくれているというのは分った。
「君、外科のICUにいる人たちの家族だろう」
享子は何も言わず陽一を見つめるだけだった。
「有名だよ。この世の不幸を一身に背負ったみたいだって」
享子としてはその通りだと思っていた。
でもさすがにそのことは口には出さなかった。
「でもかなりのレベルで不幸だとは思うけど」
「それは認めるよ。でもそれは君の家族の事で君ではない」
「どういうこと」
「実際、自分の生き死にの瀬戸際にいる人達にとって君の姿がどう映るかだよ」享子は何を言われているのか分らなかった。
いったい何が言いたいのだろう。
「私の不幸なんて、たいしたことないって言いたいの」
「そこまでは言っていない。でもみんな自分は生きられないと分っていて、そういう不幸を顔に出さないようにしているんだ。君は自分がその状態ではないのに、悲惨な顔をしすぎだ」
それだけ言って陽一はさっさと自分の病室だろう方向に向かって去っていった。
一瞬何が起こったのか分らずに、享子はぽかーんとしていたが、段々その言い方に怒りを覚えた。
でも悔しいことにその怒りのせいで享子の中にあった悲しみが少しだけ消えたような気がした。
それから享子は少しでも明るく振る舞おうとした。
でもそれは享子に取って極めて難しく、苦しいことだった。
悲しいときは泣いた方がいい。
それを押さえて明るく振る舞う方がよほど苦しい。
それでも明るく振る舞うと、それまでは用事でもない限りよって来なかった看護師が享子を元気づけるようになった。
でもそれはさらに辛いことでもあった。
それまでなら談話室などで、テレビを見ているときなど、ほんの一瞬でも忘れることの出来た事故の状況を知っている人たちが入れ替わり立ち替わり
「頑張るのよ。元気を出して」と言ってくる。
おかげで四六時中、事故の事が頭から離れなくなった。
その日も享子は看病の合間に談話室でテレビのお笑い番組を見ていた。
笑って少しでも気分が晴れないかと思っていた。
やっとの事で少しだけ笑う事が出来るようになったころ。
別の病棟の入院患者のおばさんが、そんな享子を見てひとしきり慰めていった。
そのおかげでせっかく忘れかけていたのに引き戻された。
そんな時、陽一が入ってきた。
談話室には亨子しかいない。
陽一は享子の前にすわると。
享子を無視してテレビを食い入るように見つめた。
はじめはぎこちなく、そして段々笑い声が大きくなっていった。
享子はそんな陽一の姿を見つめた。
いったいこの人は何を考えて、こんなことをしているのか分らなかった。
ただテレビを見に来ているのではないことは分り切っている。
でもそんな陽一の姿を見ているうちに、面白いことを言うときでは自然と享子にも笑いが出るようになった。
なんとなく心が晴れて行くような気がした。
お笑い番組が終わりテレビを切ると、二人はしばらく黙ったままだった。
それは笑ってしまった分の付けが回ってきたかのようだった。
「辛かったな」と陽一がはじめに口を開いた。
いったい何の事をいっているのか享子には分らなかった。
辛いことはいっぱいありすぎて、どのことを言っているのか特定出来ない。
「何が」とやっと享子はそれだけいった。
「僕に言われて、このところ明るく振る舞っていたでしょう、それがかえって裏目に出て、結構辛かったんじゃない」図星だったがそこは認めたくなかった。
「そんな事ないよ」
「そう、それならいいんだ」その言い方は享子が強がっていることすら、見透かされているような言い方だった。
何か全てを知り尽くしたような目をしている。
それが城戸陽一だった。
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