第5話  城戸

ドアがあいて城戸が入ってきた。

事務所にいるときは、クライアントとのアポがないときでも、城戸は必ずスーツを着ている。

「調子はどうなんだ」部屋に入るなり城戸が雑誌に目を落としている享子に声を掛けた。 その日は「最後の恋人」の事務所で城戸の情報待ちをしていた。

「どおって」享子はとぼけた。

たまに、自分に対して向けられるぞんざいな言葉がどうにも我慢が出来ない時がある。

別に城戸に悪気があるとか、自分をえらく見せたいとか、そういうことではないことは分っている。

だからたまになのだが、今日はそのたまにの日だった。

「中倉聡」のことだよ。

「順調ですよ、今のところ第一段階は」

「それなら良いが。昨日中倉聡が入院したという知らせがあった」

城戸が事務的に伝える。

それはとりもなおさず第二段階の発動を意味する。

ここからが難しい同情でも、演技でもなく恋人にならなければならない。


「内科に米山というおじさんが入院している、今回の協力者だ。お前はそのおじさんの親戚と言うことにしてくれ」

「すぐに退院してくれるんでしょうね」

「大丈夫だ、糖尿病だがすぐに退院出来るはずだ、仕事の邪魔にはならない。今回は簡単だろう」

「簡単?」享子は城戸を見つめた。どこか視線がきつくなっているのが分る。

「そうだ簡単だ」

「どういうこと」

「だって中倉聡にはまともな友達がいない。いつもならしらふの友達も騙さなければならない。だが今回は本人だけでいい」

享子は城戸の騙すと言う言葉に反発した。

「どうしてそういうデリカシーのないことが言えるのかな」

「プロだからさ、ドライに、ビジネスライクにしなければ、ならない。そこに感情を入れたら、心をすり切らせるだけだ」

「そうだけど」その心をすり切らせながらやっているんだ、と喉まででかけて、享子は言うのを止めた。

城戸だって分かっている。

「それに、俺たちは決して感謝なんてされないんだ。うまくやればやるほど忌み嫌われる。

でもそれは仕方のない事だ。お前が、死ぬ寸前の陽一に与えてくれた物はとても大きい物だった。それについて俺はお前に感謝している。でもあれが演技だったら、俺はお前のことを決して許さない。たとえそれによって陽一の心が救われたとしてもだ」

その物言いに享子は何を勝手なことをと思った。

それを生業としていると言うのに。

でもそれが事実だと言うことも享子はよく分っている。

今まで一度だって感謝なんてされたことはない。

それはうまくやればやるほどにだ。

享子はふっきったように立ち上がった。

「シナリオに変更は?」

「特にない、あのままやってくれ」

「分りました」


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