五話 後悔
走ったはずなのに、香花の元へ辿り着くまでえらく時間がかかった。体力のなさから膝に手をつけ「はー……はー……」とナナは息を切らしていた。
「そんなに急いで来なくたって逃げはしないわよ。歩いてくれば良かったのに」
「……はぁはぁ、すみません……つい……」
一刻も早く香花に会いたかった。だが、それを口に出せるほど、ナナは楽観的でなかった。気恥ずかしさからいつも自分を心の奥底に隠す。
でもその言葉の反応で照れつつ、頬を赤く染める香花を見たいと言う僅かな好奇心もあった。
けどやっぱり……ダメだ。
乙女心とは文字に書くのは簡単であっても、読み取るのは難しいものであった。
?
香花がナナの様子から内心を探ることに困りつつ、応答を願った。
「ナナ、聞いてる?」
「えっ、あ、はい!」
「本当に? 相変わらず考え込むと長いんだから」
「考え込んでたつもりじゃありませんよ……ただ……」
「ただ?」
思い止まっただけ……とも言えない。「何を?」って返されるだろうし。
「いえ……なんでもありません」
「ないわけがないでしょ。言いなさいよ」
「本当になんでもありません。それより、香花さんはどうしてここに?」
「コラっ」
香花からのチョップがナナのおでこにヒットする。
「いてっ」
「流したらダメよ。あんたが思い浮かんだ言葉を聞くまでは私が何故ここに居るか、話さないわ」
教えたら聞いたこと恥ずかしがるだろうに。
「口にすると照れる内容だから嫌です」
「何よ、今更、少しくらい良いじゃない。毎晩、私に慰めてもらっているくせに」
ほかの人が聞いたら、勘違いするようなことを香花は自然と言った。羞恥心を感じながらナナは頬を赤らめ、香花の追及を断った。
「嫌なものは嫌です」
「ダメよ、絶対」
むー。こうなってしまうとお互い、下りどころがない。半分やけになってしまう。
やはり香花さんは少しうるさい。まるでお母さんのように世話焼きで口出しも多い。
……ここは素直に解き放ってしまう方が楽なのかな? 恥ずかしいけど隠すのも面倒だし……香花さんにも少し困ってもらおう。ちょっと意地悪になったって……神様も許してくれるだろう。
「仕方ないですねぇ、観念して話しますよ」
不思議に体温が上がる。顔の表情が段々崩れていくのが、ナナ本人にもひしひしと伝わった。
まずい……! 改まると凄い恥ずかしい! この状態を長引かせるのは危険だ!
香花がナナを注意深く監視しだした。それもそのはず、ナナの不吉な微笑みは誰がどう見ても、不審者そのものだった。「何を企んでいるの? ……顔が大変なことになってるわよ」という香花の内心が言わずとも見て取れる。
「まあいいわ。話してみなさい」
――! これ以上辛抱していては理性が崩壊してしまいそうだ! 早く口から出したほうがいい! ええい!
「こ、香花さんが(慌てて照れ隠しする仕草が)好きなんです!」
……些か沈黙が続いた。
「…………へっ?」
「……え?」
何がどうなったのか、ナナ自身にも分からなかった。自分が今、何を口にしたのか、咄嗟の発言に理解が追いつかなかった。
自分がしたのは告白なのだろうか。否、告白なのである。
身体中の血液が脈を打つように早く、そして熱くなりつつあるのが、ヒシヒシと伝わる。顔から首、胸、両腕と腹、腰、両足へと。段々、全身が熱を帯びる。
それでも……長い沈黙は続く。
気まずさからナナは香花を視界から外すため、後ろを向く。
大失態だ。歯を噛み締め、瞼を強く瞑り、後悔を表情に浮かべる。
ここでやっと、ナナは香花に注目した。香花はどう思ってるのだろう、と。
突然、同居していた相手から前触れの1つもなく告白を受けたのだ。気味が悪いに決まっている。
ましてやそれが命を救い、今まで自分の費用を切り盛りしながら、甘やかしてきたヒモ同然の相手からだ。
「命を救ってくれたお礼に私と付き合う権限を貴方に与えましょう」と言っているようで、ナナは自分に失望した。
ナナは香花に恋心とか愛情をもって好意を伝えたわけではない。だが、ナナは香花に告白をした。ナナはこのあやまちのおかしさにひどく困惑した。
鍵をかけ、開かないはずの扉が開いてしまうのではないかという不安に類似する感情がナナを襲った。そうしてまた別の疑問が浮かんだ。ナナは本当に香花へ好意を持っていなかったのだろうか。
モヤモヤしだした思考を断ち切って、ナナは香花に謝ることを決意した。
前を向いて……しっかりと。
「こ、香花さん……その……」
「ナナ」
確かに謝意を伝えようとした。だが、香花が名を呼んだ刹那、口が不意に止まった。
言われる覚悟ができないまま、ナナの瞳には薄紅色の夕焼けに染まる香花を映した。
「ありがとう」
その五文字。そして、笑顔。
ナナは目と耳を疑った。
いつものクールさもなく、赤面でもない。純粋無垢な笑み。初めて目にした。たった数秒とない感謝にナナは声が出なかった。
香花の表情と言葉が、ナナの胸を深く抉った。罵られたわけでもないのに、涙が頬を濡らした。痛くない……でも――辛い。
涙を堪えながら、静かに手で顔を隠した。途端にどうしようもなく口が震えた。震えは次第に身体にも伝染した。
「なんで泣いてるのよ。私は嬉しかったのよ。全く」
ため息混じりに香花はそっとナナを抱いた。頭を撫でられると次第に情けなさからまた、泣いた。止まらなかった。止めようがなかった。
香花の胸の内で母親のように抱えられて心地が良かった。母親を知らないナナでもそう錯覚した。とても温かかった。
その内側で自分を憎んだ。口を滑らせた自分と過去へは戻れない悲しき常識を……ただ一人静かに悔やんだ。
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