八話 ヒシメ
「なんで俺のヒシメがねえんだよ……」
「急に押しかけてきて文句言うんじゃないわよ。おかずがあるだけ有難いと思いなさい」
「ヒシメの匂いに惑わされてきたのにそれがねぇとか面白みに欠けるぜ! ちょっとくれよ!」
「嫌よ」
「わ、私の分で……良ければ……」
焼き魚を渡そうとするナナを、香花は止めた。
「元々、ナナ用に買ったヒシメなの。自分で食べなさい」
「で、でも……」
「食・べ・な・さ・い」
「はい……」
香花の説得と圧に押されたナナは、魚の乗った皿を自分の前に戻す。
ヒシメは三匹あったが、先ほどの黒焦げで一匹は台無しになったのだ。
「香花の家のちゃぶ台、相変わらず小せえよな。食事する度に、物が落ちねえか不安になるんだよ」
また文句を垂れる四八目にいよいよ嫌気がさしたのだろう。香花は歯を噛み締め、眉間にシワをよせた。
「独り身の生活にそんな大きい机は必要ないでしょ。それにそんな都合のいい物、流れてこないわよ」
「流れてくる……?」
聞き慣れない発言を反応せずにはいられなかった。頭より先に口が疑問を物語った。
香花はおかしなことを言ったか? と宙を見上げ、何かに気づいたのか「ああ」と溢し、説明に入った。
「そういえば、こっち特有の現象だったわね。物が海から流れてくるって言うのは」
「え、何か流れてくるんですか?」
「まあ、家具とか生活必需品とか……そこら辺かしらね。どこから流れてくるかは分かってないの。あの海、地平線の彼方にまで広がっていたでしょ」
「航海して出ていった人や地人はいないんですか?」
「いるわ、最近はあまり船が出て行くのは見かけないけどね。でもその航海で先の先まで陸から離れた場所へ行って帰ってきた者は――」
あれ? なんだろう、この感じ? どこかしらか、さっき地人についての説明を受けた時と同じような……デジャブを感じる。
「――ゼロよ」
嫌な予感は的中した。先程、同様に恐ろしい真実を知った瞬間だった。どうやらこの世界に安寧の地という場所はないらしい。
「今年はあんま出てったやついないんじゃあ、なかったっけ?」
「そうね、それでも3桁いってるくらいだし、立派な殺人鬼よ」
「そんなに……」
充分な数だった。綺麗に見えていたあの景色が一変して道化師に思えた。
「つまり、そう言うことがあって、あの海の果てに何があるのか。なんで物が流れてくるのか。これらは誰も知らないの」
「そういうこった。ムシャムシャ……」
同意しながら、魚を身と骨に分けもせず食う四八目。
魚……? 四八目さんの分は無かったはず……だけど。
視点を変えると、香花のヒシメが乗っていた皿は何も無かった。そう、四八目は香花が説明している最中、ヒシメを奪ったのだ。
「朝から魚にあり付けるとは……神の恵みだな! 感謝しねぇと!」
「もっと身近で神を拝めばいいわ」
その刹那、香花はちゃぶ台に振動を与えないよう慎重に、かつ獲物を目で捉えたチーターのように俊敏で、四八目の後ろに回り込み、腕を首元に忍び込ませた。そして、体重の全てを自分の後ろにかけ、四八目を地に倒し、卍固めにした。
「ウッ……! ぎ、ギブギブ……ほうあ(香花)……」
香花の腕をペシペシと叩き、必死に争う四八目であったが、次第にその力は弱まり、白目で泡を吹き出した。
「こ、香花さん! ストップストップ! 四八目さんが気を失ってますよ!」
流石にこれ以上はまずい! そう考えたナナは香花を止めに入った。四八目の口からは泡の次に、噛み砕かれた魚の身やらが出てきて、とてもグロテスクなことになっている。
「こんなものかしら」
香花は力を緩め、四八目を横に退かし、ひょいっと起き上がった。
あれ……? 香花さんの目、赤い……?
四八目から離れた香花の目がナナには赤く見えた。瞳だけじゃなくて全体が、眼球そのものが赤く……? ってあれ、見間違え……かな。
目を擦ると香花はナナの知っている通りの人間だった。ここに来てから抱え込みすぎたせいか、錯覚だったのだろうとナナは思い込んだ。
「何? あんまジロジロ見ないでよ……やらしい」
赤面しつつ、香花は体を縮めた。
「い、いや! そんなつもりじゃ……!」
右手を前で振り、誤解であることを表す。次第にナナも赤面した。
……ハッ! こんなことしてる場合じゃない! 四八目さんは――!
四八目はまだ気絶している状態で、しばらくは起きそうにない。完全に白目を向いている。
「四八目さん……大丈夫ですか」
トントンと、肩を叩くが反応はない。
「そうすぐには目を覚まさないわ。私が絞めたもの」
「そんなに力一杯しなくても……」
「自業自得よ。さてと、ちょっとはしゃぎ過ぎたわね、一旦落ち着くわ」
変わらないペースで自分がいた場所に戻る香花。とても今まで絞め技をしていた張本人には見えない。香花を怒らせては長生きできない。四八目が命を張って、ナナに教えたことであった。
「四八目さんの死は無駄にしません……!」
「生きてるわよ」
ビシッと冷静なツッコミをかます香花。
しかし、こうじっくり見ると、口元こそは現在、悲惨なことになっているが、人形のように美しい顔を四八目は持っている。後髪は大雑把に縛っているが、綺麗な薄紅色の髪に目・鼻・口のパーツが均一で一切の違和感を覚えない美人。そんな四八目が何故こうも破天荒なのか、ナナは自分が生きているうちにこの謎は暴かれることがないだろうと密かに予言した。
「何ぼさっとしてるの。ご飯中よ、食べなさい。あんたずっと寝てて、ろくに食べてないんだから、このままだと餓死するわよ」
「え、私ってそんなに寝てたんですか?」
「二日よ、二日」
「そんなに!?」
てっきり昨日の夜くらいからだと予測していたナナからしたら驚愕の事実だった。
特に外傷があるわけでもないし、疲れが溜まっているようにも思えない。今も健康で食欲だってある。というか、それを知ってからは無性にお腹が空いた。
それとは別にまたナナの中で不安が増した。起きた時、香花が言っていた「助けた」という言葉がどうしても引っかかっていたのだ。どういうトラブルかも分からない、その無知がナナの恐怖を駆り立てた。
「こらっ」
「いてっ」
暗い方向に脳裏が働いていた時、香花はナナにチョップした。先程、四八目にした激しいものとは違い、至って乙女が感じられる程度のチョップだ。
「完全に自分の世界に囚われていたわよ、あんた。一人で考え込んでないで、さっさとご飯食べなさい。ほんとに餓死するわよ。が・し!」
顔をこれでもかと言うくらいナナに近づけ、香花は忠告した。もう少しで鼻と鼻がぶつかりそうなくらいに。
でも、怖くはなかった。むしろ逆だ。不思議と勇気づけられた。言葉を見ただけでは怒っていると読めるだろうが、その表情、声には優しさがあった。
香花は多分「私をもっと頼れ」と伝えたかったのだろう。だが、恥ずかしがり屋だったから、直接は態度に示さず、とにかく声を張ったのだ。一連の人間らしさも相まってか、ナナは前を向けるような気がした。
……もう少し、香花さんに甘えていこう。ちゃんと生きられるように。
慣れていないことをした香花は「コホンッ」と咳をして、改めて食事に戻った。それに習うよう、ナナも魚に箸をつけた。
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