第11話 「どんなひみつも、わければ、はんぶん」

 魔物は食い飽きた骨を捨てるように、イグネイの指を放した。ついさっきまで暖かくイグネイの指を愛撫していた唇が、短い言葉を吐き出す。


「はいれ。さがす」

「さがす? 何を」


 扉が大きく開いた。金色の髪を揺らした美しい魔物は一歩後ろへ引き、庵の中をしめした。


「おまえの『ひみつ』を、さがす。だが」


 と魔物は言葉を切った。闇の青い目がきらめく。


「いきている『ひみつ』を、あけるのはあぶない。やるか?」


 イグネイは扉の取っ手に手をかけて、立ち止まった。考え込む。

 危険を冒して、母の秘密をあばきたてるか。

 それとも扉を閉じて、修道院へ戻るか。ふたつにひとつだ。


 ごくん、と唾を飲む。持っている木の取っ手が妙にかさついて感じる。


 母は都で病のために死にかけている。もはや言葉も出ない。母が死ねば、瓶の中の『秘密』も死ぬ。イグネイは永遠に、父の名を知らないままだ。

 本当の名を知ることなく、この天地に身を置く場所を得ることもできず。

 イグネイ・コンウォーリス・アルタモントは、半透明の名を掲げたまま生きてゆかねばならない。

 そして薄暗い疑いを抱えたまま、王姪をめとることになる。

 疑いが不安を呼び、不安がイグネイを食いつくして、やがて足元を崩していくかもしれない。妻である王姪を、姉かもしれないと思いながら抱く日々はイグネイを壊してしまうだろう。


 気づけば、イグネイは幼いころから叩き込まれてきた戦士としての教えをつぶやいていた。


「——まず、敵を知れ。

 敵軍の数を数えろ、場所を明らかにしろ。光にさらされたものは――もはや脅威ではない」


 ゆっくりと、イグネイは目線を上げていった。自分の手がつかんでいる木の粗末な取っ手。分厚い扉、夜に沈んだ石壁。格子を描く石壁の隙間から、薄緑色の秘密たちがイグネイを呼んでいるようだ。

 それはまがまがしく――。

 たまらないほどに、魅惑的だった。


「こわいな」


 イグネイは言った。美しい少女の形をした魔は答えた。


「どんなひみつも、わければ、はんぶん」


 魔物はニコリとした。刃のような青い瞳がやわらかくなり、ふっくらした唇が花のようにほころんだ。

 花が開く。奥にひそむ蜜が、つややかに光った。

 震える花をひらき、蜜を味わっているのが自分だとイグネイが気づいたときには――世界のすべてが、反転していた。


『どんなひみつも、わければ、はんぶん』」


 そう言った唇は、イグネイの口を受け入れ、舌の愛撫を受け入れていた。

 たとえ魔物であっても、秘密を分け持ってくれるのなら、これは愛しい魔だ。

 半月の光を浴びて、イグネイは少女の金色の髪に触れ、頬を両手で包み、キスをつづけた。


「探してくれ、母の『秘密』を」


 キスの合間に、イグネイが熱に浮かされたようにささやく。


「解放してくれ、俺の秘密を――俺自身を」


 なおもキスを続けようとするイグネイを、魔物は笑って止めた。


「名をゆかにかけ。その形の『ひみつ』をさがす」

「わかった」


 キスの後に大きく吸い込んだ息は――魔物の香りがした。月光が降りそそぐ夜の匂いだ。星がめぐる音がきこえるほどの。

 身体いっぱいに、夏の終わりの気配が広がった。

 イグネイは一切の不安を切り捨て、薄緑色の光が明滅する中へ入っていった。

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