第12話 「魔物の仕事」
魔物はイグネイが土床に書いた名前をじっと見て、形を覚えてから瓶を探しはじめた。
『秘密』を抱えた瓶は無数にあった。『庵』の壁という壁に棚が作られ、そこに小さな瓶がぎっしりと並んでいるからだ。
イグネイは、魔物の反対側を探しはじめる。
男の名前も、女の名前もあった。
リボンに書いた名前がかすれて読みにくくなっているものや、異国の名前もあった。そのすべてが、小さな秘密を瓶の中にたたえ、薄く緑色に光っていた。
ひそかに膨らみ、縮み、呼吸しているようだった。
「どれだけあるんだ」
イグネイが尋ねると、頭上から声がした。魔物はハシゴにのぼり、瓶をひとつずつ、たしかめていた。
「しらない」
「どうやってここへ来るんだ」
「カゴでくる」
魔物はちらりと土床を見た。そこには二日前に修道院長が、『聖なる森』の入り口で巨木のうろに入れたカゴがおいてあった。
カゴの中には、たしか堅パンと干魚が入っていたはずだ。今はカラになっている。
イグネイの疑念を感じたのか、頭上で瓶を調べながら魔物は言った。
「おまえが、たべた」
「ほんとうか? 覚えていない」
「ねていた。ねながら、たべた」
くすくすと魔物は笑った。イグネイの唇がうずく。またあの温かく柔らかい唇にキスをしたい。だが欲情を振り払うように、
「お前は、なにも食べないのか? 魔物だから?」
「たべる。いまは森にたべものがおおい」
魔物は笑い声のまま答えた。くそ、この声すらも鈴がなるようだ、とイグネイは思った。
「森に食べ物が?」
「木にたくさん、ある。あまいもの、やわらかいもの、ときどきにがいもの」
「果物と木の実か……やはり魔物だな。人のものは食べないわけだ。ではなぜ、供物がある?」
「ふゆは、木がからっぽになる」
「なるほど……冬は食べ物に困るんだな。つまり、お前はずっとこの庵にいるのか?」
「いる。ばんにんだから」
魔物は手を止め、イグネイを見下ろした。
「しごとがある。三つの朝がきたら、四つめの朝は『ろたき』する」
「ろたき?」
魔物はひょいと金色の頭をふって、土床の上に作られた炉をしめした。
「ろを焚く」
「なぜだ?」
「『ひみつ』をまもるため」
「——『秘密』は死なないんだろう?」
「しらない」
魔物は次々に瓶を手に取ってリボンの名前を調べながら言った。
「四つめの朝、ゆかに、いけの水をまく。炉をたく。しごと」
「仕事……。魔物よ、そんなこと、誰から命じられた?」
「くろいものから」
「黒いもの?」
魔物の動きは止まらない。手早く瓶を確かめていく。
「くろいもの――こわい」
「お前よりえらい魔物か」
「こわい。たすけてくれたけど」
イグネイは首をひねった。魔物の世界の構造はよくわからないが、上級魔などがいるのだろう。この少女の魔はまだ若くて、下っ端なのだと推察できた。
ふと、イグネイに疑念がわいた。
「魔物は、人間を助けても問題はないのか?」
「さあ」
「さあって……おまえ、まさか人間を見たことはないのか?」
「まえに、みた」
「どれくらい前だ? 百年? 二百年?」
「しらない。ここへくるまえ」
ぶちん、とそれきり魔物はだまってしまった。庵の中は、また、明滅する緑の光に支配される空間になった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます