第3話 「今夜、イグネイは母の秘密を手に入れる」
痩身の修道院長が、イグネイの前で、すくりと背筋を伸ばした。
「疑いは、何も生みません。われら修道士は目の前にあるものを、そのまま受け入れます。
貴方は今、ここにいる。私の修道院の廊下に立ち、銀の鎧を身に着け、私と話している。
疑う必要はありません。ただ、それだけのことなのです」
ふふっ、とイグネイの美貌がゆれた。
「まことに、簡潔な思想だな、修道院長」
「この簡潔な思想を背骨に叩き込むのに、五十年はかかるのです、公子よ」
「思想では、なにも変わらん。俺は秘密をテコにして、世界を壊したいだけだ」
修道院長は顔を傾け、幼子に言うように、イグネイに語りかけた。
「いったい、どなたの秘密を手に入れたいのですか」
イグネイの黒曜石のような瞳が閉じられた。呼吸音だけが、重なっていく。
外はすべてのものを焼き尽くす真夏なのに、この廊下には秋の気配がたちのぼっている。
イグネイは目を開けた。
「——欲しいのは、トウィス・コンウォーリス・アルタモントの秘密だ」
「……それは、あなたのお母上ですな」
「そうだ。『たぐいなきトウィス』、美貌の侯爵夫人だ」
「なぜ、母上の秘密を手に入れたいのです?」
「母は、死にかけている。もはや話すこともできない。呼吸が止まる前に――」
イグネイは言葉を切ると下を向き、輝く銀の鎧から、ありもしない汚れを叩き落した。
「母の息が止まる前に、知りたいことがある。それだけだ」
修道院長を廊下に置いたまま石の廊下を進み、大扉をくぐると息が止まるほどの熱気が襲いかかってきた。
皮膚が、ちりちりと焼かれていく。
「地の底にある業火とは、これだな」
イグネイは白く乾燥し、煎りつけるような中庭にでていった。
忠実で信頼がおける親衛隊の兵士たちが、すでに中庭に天幕を張っていた。天幕と兵士たちの隙間を縫うように歩いていく。
「司令官公子、天幕はこちらです」
副官が呼ぶ。有能な司令官を見上げる兵士たちの瞳はあたたかい。あたりにうなずきながら、歩いていく。
「今夜は、修道院長と話し合う。おそくなる。見張りの兵士だけを残して、後は早めに休むように」
「はい。あの修道院長、なかなかのクセ者ですな」
副官が、ふとつぶやいた。
そうかもしれない。しかし政治力やあくどさがなければ、これほど大きな修道院の院長はつとまらないだろう。
だが、どんな曲者でもかまわない。イグネイは、欲しいものを手に入れるだけだ。
甘いことを言い、だまし、時にはおどしてでも、あらゆる手練手管を駆使して望みのものを手に入れてきたように、今回もかっさらっていくだけだ。
今夜、イグネイは母の秘密を手に入れる。
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