第23話 恋敵
小さなお化けが床を滑っていく。思い当たるところ暗殺狙いの狩人だろう。
追いかけるのに俺まで店内を全速力で走っては色々まずい。即座に迷彩魔法で姿を隠したが、お化けは構わず猛スピードで泉のもとへと駆けてゆく。
商品棚の間隔が狭いから箒は呼び出せない。ハルデがすぐ後ろを追走しているが、小さすぎて捕まえられないらしい。
『っだー! もういい加減にしてよっ!!』
集中力が切れたようだ。これでは彼が暴走しかねないため、一度下がるように指示する。渋々悪魔は勢いを落とした。
あの狩人、人間の脚力では到底追いつけない速度で移動し続けている。
方向転換も何故か曲がり切っているし、低すぎる筈の目線でも確実に泉に近づいている。もしや他に協力者が?
「ハルデ、周りに仲間がいないか探せっ。見つけたら即シバいていいっ」
そう言いながら右手を掲げる。チェンジュと唱えると、お化けと俺の位置が入れ替わった。
身を返し、すぐさま足元に滑り込んでくる狩人に掴みかかる。だが奴は俺の目の前を急カーブしてみせた。
くっそ、取り損なった!!
「――キープケイス!」
対象に黄色い箱が囲む。が、それは粉々に砕け散った。
意味わかんねぇ、弾かれた!
捕捉できないなら呪いの相手を直接守るしかない。方向を変え、泉のいる場所へ最短で向かった。
俺の姿は迷彩魔法によって一般人や狩人には目視できないようになっているが、同じ呪いをかけられた泉になら視える。
棚に向かう彼女と背を合わせるように立ち、両手を突き出した。
良かった、まだここは広い。
「え、ちだ……」
「しっ、ユキに怪しまれる。話だけ聞け」
振り返りそうになった泉を声で制する。彼女は大人しく従い、俺は口早に詳細を説明する。
「魔女狩りが始まった。相手は小さいが足が速い、あと数秒で来る。四、五分この場にいてくれ。ここで仕留める」
背後、小声の返事。
同時に角からお化けが姿を現す。変わらず圧の凄い魔力だ。
前方の両手を重ね、きつく睨めつける。
「相手しろ根腐り狩人ッ!」
・
・
・
まさか出先、それもショッピングセンターで戦闘になるなんて思ってもいなかった。
すぐ後ろで戦っているからか、音と風が間近に伝わってくる。
「隙間風? なんかすごいな」
柚希くんが呑気に呟く。
どうやら魔力を持たない人には風しか感じられないらしい。私には呪いの刻印があるから、そこからも
千田くんに言われて思わず頷いてしまったけれど、買い物中に待機は難しい。どう頑張ったって柚希くんに怪訝に思われてしまう。
「それ何?」
静止する私に低い声がかかる。咄嗟に返した。
「何って、キーホルダーだけど」
「欲しいの?」
蛍光灯の明かりを反射する、目付きの悪い猫のチャーム。掌の中でこちらを見つめ返してきた。
取り敢えず手に取っただけで欲しい訳ではない。しかし、なんとしてでも場を繋ぎ留めなくては。
「なんか……可愛い」
「可愛い、の?」
「うん。この目とか」
我ながら酷い演技だ。いつも以上に言葉が棒読みである。
幸い、柚希くんは可愛いに疎いみたい。強硬手段だがこのまま話を繋げよう。
「あ、この子、千田くんに似てる」
奥の方に押しやられたものに触れる。黒猫だ。
たまに彼もこういう表情をするんだ、と私は言った。
簡単に情を移してしまう私や、冗談を言う林田くんに向かって、呆れたような眼差しになる。戦闘時には決して見せることのない、私達にしか見せてくれないもの。
眺めていたら愛着が湧いてきた。どうしよう、一つ買おうかな。
奥に伸ばす手。それを柚希くんが掴んだ。
驚いて
瞬きを繰り返す私は「何」と尋ねた。彼は低い声を更に低くして答える。
「サクラさんの話、もうしないでほしい」
小首を傾げる。
察しの悪い私に、彼は握る手に力を込めてきた。
「何も思わない? 結構おれ頑張ってるんだけど」
何をだろう。分からない。その代わり真剣なのは肌から伝って分かる。
あ、この表情も千田くんがするものに似いている。
悠長に私はそう考えていた。
「友人の話をするのはだめ?」
「ダメじゃないけどダメ」
風が横切る。私の髪が舞い、金属音が鼓膜を揺らす。まだ彼は戦っているようだ。
「よく分からないけど、ごめんね」
抑揚のない台詞。
柚希くんは気難しそうに顔を顰めた。謝ってほしいんじゃないと言う彼の視線は、真っ直ぐに私を射抜く。不可解は余計に胸のうちを濁らせた。
不意に、どんっと強風が体を押す。
ばらばらと大きな音を立てて商品が落下した。一部の棚は倒れ、周辺の客の中には転倒する人もいた。
私もよろけてしまい、柚希くんに支えてもらう。つい後方を向いてしまった。
すぐ傍。
険しい眼差しの魔女が肩で息をしていた。頬は軽く抉られて出血している。伸ばした右手も傷だらけだった。
狩人は確かに小さい。が、たくさんいる。私でさえ数え切れない。背筋が一瞬で凍った。
柚希くんの呼びかけで我に返る。平然を装ってみたものの体は微かに震えていた。
心配が浮かぶ彼の目に映る私は、ただの人間だ。千田くんを助けることなんてできない。
でも、彼の足を引っ張るなんてことはしたくない。
「お願いなんだけど、私まだここで悩むだろうから先に買い物進めてほしいんだ。いいかな」
突拍子もないことを言い出す幼馴染に、柚希くんは目を丸くした。聞き返してくるが私は気にせず我を通す。
私の押しは珍しいから、彼はあまり食い下がらずに頷いてくれた。
大人になったんだね。
一人カートを押して遠ざかる彼の背が見えなくなると、私はスマホを取り出し、耳元に寄せる。
「千田くん、大丈夫?」
電話をしているふりなら独りで喋っていても自然だろう。
手のキーホルダーを棚に戻す。彼の返事が背後から聞こえた。
「お前の方こそ大丈夫なのか。ユキだけで行かせて」
「私は平気。まずは千田くんの心配をさせて」
金属音がぶつかる。相手の攻撃は止まない、魔女は私を守るので精一杯だったようだ。
「移動しよう。ここは戦いにくいんでしょう」
普段、彼は人目のつかない広い場所で力を発揮する。狭くて人の存在が近いこの場では思うようにいかないのかもしれない。
だからと言って私が単独行動する訳にもいかないから確認は必須。千田くんは僅かに唸ってから了承した。
「悪い、気ぃ遣わせたな」
「そんなことない。千田くんが怪我する方が嫌だから」
室内には似合わない突風が吹き荒れる。客がざわつき始めた。
彼の苦悶の声が途切れ、間髪入れずに「手っ」と指示が飛ぶ。私が左手を出すと、間も空けずに彼は力強く握った。とても熱かった。
「――チェンジュ」
体が浮く。水中に放り込まれたような感覚が全身を覆うと、数秒も経たずに重力を感じた。
違う、落下してる。
広がった景色は外。上空だ。
「泉、離れるなよッ――コール!」
千田くんの声が耳元に聞こえた。
彼は私の腰の辺りに腕を回し固定する。私も倣って魔女にしがみついた。
靴の裏に何か細いものが触れた。瞬間、がくっと四肢が重力に抗う。唐突に現れた地面、否、箒にふらついた。
彼のお陰でちゃんと箒に乗れたみたい。
「ったく、ハルデのやつ外に追い出されてんじゃねーか」
通常通り不機嫌そうだ。大怪我まではしていなさそうだし、良かった。
至近距離で向かい合い、支え合う状態でゆっくりと降下する。彼の心地良い匂いが近くにあるからか、高所でもそこまで怖くはなかった。
ある程度の低さになると私は彼から離れる。彼も地に足をつけると箒を消した。
どうやら降り立ったのは屋上のようだ。冷えた風が髪を強めに攫っていく。
千田くんは大きく溜息を吐き、一帯を見回した。
その生傷に目が行く。私の口が衝いた。
「傷だらけ、だよ」
「あ? いい、
「でも痛いでしょう」
指先を伸べる。彼の左頬を横断する鋭利な傷口から血が一筋だけ伝っていた。
それに触れようとしたが、千田くんはさり気なく片手で拒絶する。半歩後退され、私は伸ばした手を迷わせた。
拒んだその手にも無数の切り傷がある。心配の言葉を掛けたが、彼は素っ気ない返事しかしてくれなかった。
「他に痛むところはないの」
「だから
棘のある口調は出会った頃から何ら変わりないのに、胸に刺さって取れない。覚えず表情を曇らせる。
「最近冷たいね」
そんなこと、言うつもりなかった。
案の定、千田くんはこちらを
「そんなことねーよ」
目線を逸らされる。魔女は私を見てはくれなかった。
相手は彼なのに、息が詰まる。
私が責めている気がして居た堪れなかった。謝るべきかと唇を開きかけたが、別方向からの高い声がそれを阻む。
『おーいっ二人とも! こんな所にいたの?』
「こんな所ってお前がいたんだろ」
『だって急に
猫耳を反らし、蝙蝠の翼を羽ばたかせるハルデが言った。彼は口元についた血を舐め取ると、むっとした顔を笑顔に変える。
『まぁいいや、お相手さんは底辺悪魔だったし美味しくいただいたよ』
満足そうに笑う猫に対して主は呆れた顔をする。
その後は何事もなかった。
柚希くんとも合流できたし、買い物も無事に済ませられた。万事解決と言いたいところなのだが、今度は柚希くんの様子がおかしい。
帰宅の道を辿る。途中はバスに乗ったから足取りは軽い。
道中は終始無言だった。
というより、話せない空気だった。独りで残りの買い物を任せてしまったから機嫌を損ねてしまったのかもしれない。
やっと家に着き、鍵をバッグから取り出す。しかし滑って落としてしまった。
小さく立った金属音。拾おうとしたが先に柚希くんが拾ってくれた。
受け取ろうと掌を差し出す。だが彼は返してくれなかった。つい首を傾げる。
「おれ聡乃のことが昔から好きだった」
不意をつく。
絡みついてくるような視線だった。顔を背けようとしたが彼が一歩近づいてきて逃げられない。
「いつ言おうか迷っていたけど、最近はずっとサクラさんの事ばかり話すし。ねぇ、そんなにあの人の方がいいの?」
心做しか語気が強い。なんだか怖い。
こういう時、ほんの少しでも笑えたら場が和むだろうに、私はそれができない。どうしても無表情が剥がれてくれない。
彼は俯く私の肩に触れてきた。びくりと体が反応する。
肩を覆う大きな手。そこから滲む力。小学生の頃とは全く違う。
「おれ、もう聡乃の背越したんだよ。もう子ども扱いしないで。ちゃんと見てよ」
目も向けられない。彼の言葉が頭に入ってこない。脳内が恐怖の二文字で埋め尽くされてしまう。
彼は指で軽く掴んだ私の顎をぐいっと持ち上げ、無理やり目を合わせさせた。近い。
「鈍感にも程がある。もう逃げないで」
「やめて、柚希くん」
感情のない台詞を言ったところで変わることはない。彼は苦しげな表情で返した。
「返事しなくちゃダメ、答えてよ」
断りたくはなかった。久しぶりに会った幼馴染を傷つけたくなかった。だがそんな事を言っている場合ではない。
それは分かっているのに。
声が出ない、答えないといけないのに、どうしよう、どうしたら、彼に、なんて、返せば。
「怖がってるだろ、見えねーの?」
聞き馴染みのある声。
押さえつけられていた上体が軽くなる。
左を向くと、千田くんが柚希くんの手を払っていた。
「は、なんで居るんすか」
「居ちゃ悪いか。んな事より何、それ」
彼が離れた少年の手を指差す。さっきまで私を掴んでいた手だ。
「想い拗らせてこの有り様かよ。泉がやめろっつったの聞こえなかったか?」
どすの利いた低い声音で牽制するが、魔女は決して睨んでいなかった。
冷静に、諭すように、年上として教えている。見上げた彼の横顔は、いつにも増して強かだった。
言い返せなくなった柚希くんは項垂れて一言謝り、鍵をドアに差し込んだ。そそくさと中に入り、顔を見せることはなかった。
静まり返る空間。
私は隣の彼に感謝を口にする。一方彼は申し訳なさそうに言った。
「後で困んのは泉なのに言い過ぎたかもしれねぇ。すまん」
やはり千田くんはこちらを見てくれない。
複雑な気分が渦巻くが、彼を変に引き止めてはいけないと思った。私は首を振り、できる限りの笑みを浮かべる。
「いつもありがとう。また明日も宜しくね」
帰宅を促す後方への一歩。扉に手を掛ける。
ふと彼が私の名を呼んだ。
視線の先、千田くんの赤い虹彩と合う。
「冷たくして悪かった。本当はそんなことしたくなかったんだが、ユキがお前といるのを見て……嫉妬した」
彼の似合わない単語だった。
呆然とする私を見て、彼は頬を赤らめる。合っていた瞳は解かれた。
自分の言葉を取り消すかのように、慌てて千田くんは別れを言う。こちらを見ることなく、箒を呼び出して行ってしまった。
……魔女も嫉妬するんだ、意外。
私は彼が去っていった空に微笑みかけ、身を返す。心はすっかり軽くなっていた。
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