第24話 果たすか否か

「咲薇、ちょっと聞いてほしいんだけど」


 普段は物静かな夕食の時間。

 姉が何やら重い口を開いた。俺は咀嚼しながら「何」と聞き返す。彼女は箸を持ったまま言った。


「私、真佑さんにプロポーズされたの」


 暗い表情とは全く似合わない台詞だった。取り敢えず俺は祝福の言葉を口にした。


 驚きは特別ない。

 いつか来る日だと分かっていたし、彼女が彼女の幸せを手にすることができて、弟として素直に嬉しい。それでも姉の表情に陰りがあるのは大体の予想がつく。


「俺のことなら別に気にすんなよ」

「そ、そんなこと! だってあんたまだ高一でしょ!?」

「もう高二の間違いだろ。一人でも大丈夫だし」


 薄い反応を示す弟に、彼女は呆れに近しい顔つきになって言う。だが俺は変わらず食事を進めるだけだ。


 結婚するということは、彼女はこの家から出て行くことを意味する。

 彼氏のさかきさんをうちに置くわけにもいかないし、何より俺は彼と面識がない。だから出て行くのだなと思っていた。


 あの事件から六年。小五の頃から姉ちゃんと二人暮らしを続けてきた。

 彼女には散々迷惑を掛けてきたんだ。幸せになってほしいと思うことは必然だろう。


 彼女は少しの間唇を閉じたが、すぐに開いた。


「一応婚約はすることになったんだけど、同棲は咲薇が高校を卒業してからってなったの」


 彼女の言葉を耳にし、ぴたりと動きを止める。胸の内側で至った答えに喉が絞まった。


 また、俺のせいで彼女の時間を奪うのか?


「いいって。姉ちゃんはもう姉ちゃんの人生歩めよ、これ以上迷惑かけたくねーんだ」

「そんなこと言って。あんた一人だと心配なのよ」

「子ども扱いすんじゃねーよ、ハルデもいんだし大丈夫だって」


 不本意に語気が強くなり、姉の顔が曇ってしまった。居た堪れなくなって目を逸らす。

 しばらく食器の音が沈黙を埋めた。味を感じないが、茶碗の中は順調に減っていく。


 悶々と次の言葉を考えるが浮かぶものがない。何を言っても今の自分では傷つけてしまう。無言を貫くのが最善策かと下を向いた。

 食べ終えたのか、彼女が箸を置く。小さく息を吸って言った。


「ごめんね。咲薇が独りでも大丈夫なのはずっと前から分かってた。でも、一番不安に思っているのはね」


 震える声。視線を上げ目を合わせる。俺と同じ赤みがかった虹彩が瞬く。


「咲薇が、魔女と狩人を全部滅ぼすことなんだ」


 息が、できなくなった。


 どうして姉ちゃんが知っているんだ?

 誰にも話した覚えはない。

 話したとしても、贖罪のために魔女の家系は途絶えさせてはいけないという事だけだ。

 秘密裏にしていた計画。

 わざと黙っていた野望。

 それを何故彼女が知っている?


 動揺する弟を前に、姉は経緯を説明し始めた。彼女曰くハルデがばらしたらしい。

 悪魔は人の隠し持つを読むことができる。それは欲求が強ければ強いほど読み取りやすい。使い魔ならやりかねないことだ。

 あの猫は勝手に思考を読んで、勝手に広めた。主を怒らせるのには充分すぎる。


 弟の大罪に値する望みを知った彼女は、自分が近くにいなくなることがトリガーになる事を恐れていたようだ。


「大量虐殺なんて馬鹿なことしないで。この世界に狩人がいくらいると思っているの」


 昔から変わらない姉の諭すような物言い。

 内臓が、心が、軋む。


 分かってる。知ってる。

 己の果たしたいと願っていることが間違いだなんて。

 魔女狩りを根本から絶つことがどれほど難しく愚かだなんて。

 でも、そうでもしないと。


「終わらねぇんだ」


 魔女が途絶えれば、狩人の矛先は魔法使いに向かい戦争になる。

 魔女が続けば、過去の悲劇を繰り返して泉のような人間を生む。

 そして狩人が残り続けてしまえば、魔法が使えるようになる人間が増える。それも争うための魔法を。


 滅ぼすか否か、どちらにせよ血は流れる運命。どうせなら元凶を潰してしまえと思い至った。


 全て洗いざらい話す。終始、姉は悲しげな表情をしていた。


「潰すって……話し合いで解決できるかもしれないのに」

「そうやって何人の魔女なかまが死んだ? 魔女狩りは魔女がいなくならねー限り続くんだよ」

「でも咲薇がすることないじゃない」

「誰もやらないしできないからだろ」

「いくら魔力が強いからって、自分の命を軽く見過ぎよ」


 正論の矢を立て続けに飛ばす彼女は、まるで息子を気に掛ける母親のようだった。しかし俺には届かない。唯一の血縁が、必ずしも心の拠り所とは限らないのだから。


 うるさい、と低く唸る。姉は怯んで言葉を詰まらせたが、再び声をあげた。

 途端。ぷつんと糸が切れた。


「黙れよッ 魔女になれなかったくせにッ!」


 机を叩いて席を立つ。去っていく弟を、彼女は呼び止めはしなかった。


 ・

 ・

 ・


 夜の九時過ぎ。滅多に連絡の来ない人からメッセージが届いた。

 椿妃さんだ。

 どうしたのだろうと、アプリを起動しトーク画面に行くと、吹き出しの中に長文が詰まっていた。この画面でも収まりきらないほどである。もはやメールなのではと思ってしまったが目を通す。柔らかい言い回しが脳に滑り込んできた。

 簡単にまとめると、椿妃さんは千田くんと喧嘩してしまったようだ。それも発端がかなり重い内容。


 千田くんは姉と険悪な空気になると投げやりな行動をとるらしい。今も初冬の夜だというのに外出してしまっているそう。

 そんな状態の弟が不安だから私に助けを求めたという。私の方が話を聞いてくれるはずだとも。


 彼女の期待に応えられるかどうかは分からないが、純粋に彼が心配だ。

 私は椿妃さんに了解の旨を示したのち、千田くんに電話をかける。だが一向に出てくれない。

 無機質なコール音が一方通行する。ベッドに丸まりながら彼の声を待った。


『……もしもし』


 いつもより低い声が鼓膜を揺らす。私は至って平生と変わらない態度で応答した。

 彼は開口一番、電話の理由を尋ねる。貴方の姉からお願いされたと、少し迷って素直に答えた。

 千田くんは不機嫌な声音で言う。


『やっぱりか。だったら切るぞ』

「待って、少し話したい」


 目前に彼の姿はないのに手を伸ばしかけた。行き場を失った指先を折り込み、そっと息を吸う。


「貴方たちのいさかいに口を挟むつもりはないよ。私は私で千田くんの心配をしているの」


 電話の向こうから雨音がした。彼はまだ外にいるのだろう。

 魔女は大きく溜息を吐いて謝罪を口にした。八つ当たりになってしまって悪かったと。私は構わないと首を振った。


「風邪ひくよ。外、寒いでしょう」

『いい、頭冷やしたら戻るから』


 彼の言動から察するに、家を飛び出したのは冷静になるためのようだ。家出じゃなくて良かったと一先ず安心する。

 その後、言いにくそうに魔女は自身の姉に対して申し訳なさを感じていると伝えた。昔から姉弟喧嘩をすると、しばらく頭に血が上って治まらないそうだ。

 また、怒りに任せて手を出してしまわないよう、わざと距離を置いているのだとか。椿妃さんは魔法が使えないから、彼の攻撃で怪我をしてしまう可能性が高いらしい。


 千田くんは少々黙り、やがてぼそぼそと話し始めた。


『姉ちゃんは今まで弟中心の生活だった。だからもう普通に生きてほしいんだ。アイツが俺を心配してんのも、必死に親代わりになろうとしてんのも全部、俺のためだって分かってる。でも』


 いつにも増して彼は怒っているようだったが、苦しそうでもあった。


 互いが互いを強く想ったが故の喧嘩。

 椿妃さんにも不器用な一面があるのだなと思いつつ、改めて二人は本当に優しいのだと知った。同じ傷とその痛みを抱えて生きてきたのだから、両者が幸せになってほしいと願うことは当然だ。ただ、それがあまりにも強く、一方的だっただけ。


 私はふっと笑みを零す。千田くんが不機嫌そうに「なんで笑うんだ」と問うてきた。


「喧嘩するほど仲が良いって本当なんだなって」

『んな事ねーよ』

「でもお姉さんのこと嫌いじゃないでしょう」


 反論しそうになった彼が何も言い返せなくなった。どうやら図星みたい。

 千田くんが素直でないことは十分に知っているから、きっとそうだと思った。自分自身にも素直になれないのだろう。


 彼の本心をあとで椿妃さんに連絡しなくてはいけない。彼女なら呆れたように笑ってくれる筈だ。


「仲直り、できそう?」


 感情を音にして吐き出すことができたからか、心なしか彼の肩の力が抜けていた。気が進まなさそうな返事を聞き、私も胸のわだかまりが解けるのを感じる。なんだか、今の彼は叱られた猫みたいだ。


『あと少しだけ姉ちゃんに世話焼かせてあげることにする。巻き込んで悪いな、泉』

「ううん、役に立てて良かった」


 時計の短針が十時を回る。

 電話口、離れたところから彼のくしゃみが微かに聞こえた。寒いのも当たり前だと、私は通話を切ることにする。


 柔らかくなった彼の声が別れを告げた。同じくらいに優しく答える。

 頭の隅っこで、風邪ひかないといいな、と私が独り言ちた。

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少年魔女 @novel_oboro

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