第22話 幼馴染は突然に
『つまり、ときのちゃんの幼馴染が暫く滞在する事になったってこと?』
子猫の姿で悪魔が尾を揺らす。俺はベッドに突っ伏したままそれに首肯した。
制服が皺になってしまうが、今はそれどころではない。形容しがたい気分の所為でモヤモヤして仕方ないのだ。
事の発端は今日の下校時。
普段の通り泉を送ったのだが、彼女の家に見慣れない少年がやって来ていた。丁度家を訪ねようとしていたタイミングだったらしく、インターホンに手を伸ばしていた。
泉が迷わず声を掛けると、彼はあからさまに目を泳がせる。
「ユキくん? 久しぶりだね、どうしたの」
「え、あ、おう」
中学生あたりか、身体に馴染んだ学ランの少年は頬を赤くし応答する。
足元のスーツケースに視線が行き、彼女が尋ねると少年はぶっきらぼうに答えた。
彼の両親は海外で二ヵ月ほど仕事に行くそうだ。子供一人では心配だと言う両親の頼みで、家族ぐるみで交流のあった泉のもとへ来たらしい。真新しいスーツケースはそのための物のようだ。
泉自身は知らなかったが、彼女の両親には前もって話が通っていたため、彼女もまたすぐに受け入れた。俺は事の咀嚼に手間取ってしまったが。
「悪い。俺が首を突っ込むことじゃねーと思うけど、アイツ誰」
「幼馴染の
彼女曰く、小三の時から面識があるらしい。しかし彼女が中学に上がるのと同時に関係が止まったそうだ。
俺が軽く調べたところ、魔力もないし狩人たちの手も伸びていない。普通の人間であると確認できた。
そこまでハルデに説明してやると、彼は間延びした口調で言った。
『なら気を揉む必要ないじゃん。何を心配してんのさ』
「いや年下っつっても男だぞ、心配するだろ」
胸の引っ掛かりの正体。それは泉への不安だった。
俺にとっては見ず知らずの男が、想っている女の家に住むという状況である。彼女があの少年を友人判定にしていたとしても、彼が彼女を友人という認識なのかはイコールではない。加えて示したのがあの反応だ。意識していない筈がない。
『考えすぎじゃない? まだ一回しか会ってないんでしょ』
ハルデが枕元に寄ってくる。相変わらず呑気な様子だ。
言われてみれば考えすぎかもしれないが、心配なものは心配である。何事もないことを祈りたいが……。
――翌日――
曇りの火曜日。昨晩から落ち着きのない主を見兼ねたのか、ハルデも同行すると言ってついて来た。最近気に入っている女子高生の容姿に化けて隣を歩く。
呪いの相手を迎えにいくと
「おはよう千田くん。ハルデがいるなんて珍しいね」
こちらの気も知らないで差し出される挨拶。俺も普段通りに言おうとしたが不自然だった。
「途中まで道一緒だから柚希くんもいいかな」
「構わねーけど、どこ中なの」
「桃中だよ。大通りの方にあるところ」
取り敢えず繋げる会話に緊張が滲む。彼女は気にせず無表情で歩き出した。その隣、ハルデが楽しげに話しかけていく。
自然と前方に女子二人、後方に男子二人の並びになった。
ユキという少年は離れるわけでも、追い越すわけでもなく歩調を合わせて泉の後ろについていた。
閑静な住宅街に弾む話し声。大方うるさいのはハルデだが。
俺と泉で二人きりだった静かな登校も良いが、これもこれで良いのかもしれない。二人して話すのが苦手だからな。
「あの」
不意に掛けられる声。
右に目を遣ると少年がこちらを見ていた。
内心ぎょっとしたが冷静を装って返事をする。彼は三白眼の瞳を瞬かせて問うてきた。
「サクラさん、でしたよね。聡乃と付き合ってるんすか」
コイツ年下のくせに泉を呼び捨てだとッ!?
っじゃねぇ、しっかりしろ俺。中学生だからって侮ったら負けだ。
「ちげーよ、ただの友達だ」
「それにしては距離近いっすね」
「何が言いてぇんだ」
「男女の友情は成り立たないんで、他意あるんじゃないかなと」
なんだこのくそガキ……配慮を知らないのか……?
にしても随分とませている。初対面の年上に対する口の聞き方じゃねぇ。
でもここで取り乱してはいけない。今は泉の友達という体で話さなくては。
「そんなもんねーよ。お前こそやけに執着すんじゃねぇか。何かあんのかよ」
冗談のつもりで言ったはずだった。ユキは上目遣いで変わらない声音で答える。
「おれ、聡乃のこと好きだから。あんま邪魔しないでくださいよ」
冬の入口だと言うのに、背に冷や汗が伝ったような感覚がした。
「で、どう返したん?」
騒々しい教室の隅。興味津々な面持ちでこちらを覗き込んでくるシンに、軽く首を左右に振った。
俺の解答を見て彼は大袈裟な溜息を吐く。
「なんであんたはそうなんだよ! これだから奥手は!」
「うるせぇ動揺したんだよ!」
登校して間もなく、様子のおかしい俺にシンが話を聞くと言ってくれた。しかし話したらこの有り様である。
確かに奥手であることは否めないが動揺したのもまた事実だ。あの時、何も言い出せず微妙な相槌を打つことしかできなかった自分を殴りたい。
眼鏡を押し上げ、シンは呆れ顔で言った。
「ていうか、あんた泉さんのこと本気で好きだったの? 知らなかったわ」
「言う必要ねーと思ったんだよ。つーか声でかい」
顔を顰めてみせたが、彼は悪びれることなく笑った。
好意の明確な定義は分からないが、少なくとも俺の見る世界は彼女中心になりつつある。命を共有しているということも原因だろう。
頬杖をつき、目を伏せる。
アイツも好き、なのか。
あんなに真っ直ぐ、淀みなく言われてしまうと何も言い返せない。それほど想っているのだろうがなんだか癪だ。
「……九年間は片想いしてんのか」
ぽつりと独りごちると、シンはすかさず言った。
「そういうのって年月の問題じゃないと思うぞ。現にあんたは命賭けられるくらい好きな訳じゃん」
「そう思うとくそ重いな俺」
「軽いよりは良くない?」
彼が励ましてくれているのは有り難いが、不安は取り除かれる兆しがない。
もしこれからの二ヶ月間で、彼に泉の心を奪われてしまったらどうすればいいのだろうか。彼女は優しいから幼馴染の想いを無下にすることはないだろう。
だからと言って、俺に何ができる。
下手な動きを取れば不快に感じられてしまうし、何より彼女が何を考えているのか分からない。いっそのこと俺が行動をしてしまえば良いのだろうか。でも、そんな勇気は……。
「咲薇、いつも通りが一番なんだよ」
神妙そうな顔つきでシンが言った。
「相手だって泉さんだって人間だ。人は環境の急変を嫌う習性にあるから、あんたがドンと構えてなくちゃ泉さん安心できないでしょ。今はいつも通り、呪いの相手を守るべき!」
言い終えると彼は一笑してみせる。
得体のしれない焦燥に駆り立てられていた心が安らいでいった。
そうか。何も特別なことはしなくていい。俺はやるべきことをするまでだ。
元から俺と泉は赤の他人だった筈である。そもそも想うこと自体が筋違いだが、それ以前に守らなくてはいけない。
俺は彼女の呪いの相手なのだから。
「ありがとうシン。やっぱりお前に話して良かった」
そう言うと、彼はぱっと笑って頷いた。
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先週。丁度、柚希くんが私の元へ居候することになった辺りから、千田くんの様子がおかしい。
前までは過保護だなと思うほど干渉してきたのに、最近は変に連絡してこない。送り迎えや昼休みは変わらないけれど、ちょっとしたところで違和を感じた。
「柚希くん、ご飯できたよ」
私の自室の隣。空き部屋を彼に貸している。
扉に声を掛けると、すぐに彼が出てきた。小学生の頃より遥かに身長が伸びていて少し気圧されそうになるけれど、それ以外は昔とあまり変わらない。無愛想なのも通常運転だ。
幼少期から表情を作ることが苦手だった私に、唯一近づいてくれたのが柚希くんだった。
彼もまた、誰に対しても冷たい態度を取ってしまうことにより一人ぼっちになっていた子だった。似たもの同士だねと、僅かな年の差に関係なく、よく遊びに行ったものである。
私が中学生になると、自然と会う回数も減ってしまって関係も希薄になっていた。心の何処かで彼を気に掛けていたが、時とともに忘れていた。
だから、こうして再び話すことができて素直に嬉しい。
私の旧友。懐かしい匂いが鼻先をくすぐる。
両親と夕飯の食卓を囲むと、落ち着いた様子で彼は手を合わせた。来たばかりの時は居づらそうにしていたから、少し安心する。
「小さい頃からカレー好きだったでしょう、おかわりあるから食べてね」
「あ、ありがとう、ございます」
母さんの節介に苦笑している。彼も成長したのだな。前まで愛想笑いは上手にできなかったのに。
そう思うと私の方があの頃と何も変われていないんだな。一本の針が胸の内から刺してくる。
「聡乃どうかした?」
俯く私の様子を柚希くんが窺う。慌てて
ふっと母さんが口に運ぶスプーンを止める。
「あ、そうだわ。明日柚希くんと一緒にお遣い頼める? お客さんが来る予定だから外せなくて」
困ったように笑う彼女の願いを了承する。左に座る柚希くんに目を遣ると、彼も頷いてくれた。
買い物なんて久しぶりだな。呪いにかかってからは、魔女の彼に迷惑にならないように外出を控えていたし。あとで千田くんに連絡しておかないと。
出会った時に交わした約束の内容を思い出す。確か、何処か出かけるときは必ず連絡する(千田くんも離れたところで一緒に行く)だった。そうなると彼は私たちのあとを尾行することになるのか。彼には悪いけれど、想像したらなんだかストーカーみたいだ。
お茶を一口含む。冷たさが腹の底へ伝っていった。
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「あのさぁ、なんでぼくもストーキングしなきゃいけないの?」
「ストーキングじゃねぇ、護衛だ」
大型ショッピングセンターの一角。壁から向こうを凝視しながら俺は後方の使い魔に言い返す。視線の先には並んで歩く二人の人影がいた。
昨日、呪いの相手から出かけるという連絡があった。おまけに幼馴染付きである。
正直アイツが泉といるだけで顔が歪んでしまいそうだ。魔が差して彼女らの買い物を邪魔してしまわないように、監視役としてハルデも呼びつけた。が、先程から不満ばかり口にしてうるさい。
ここに来ておよそ半時間経つ。
その間、狩人の小さい手下が何匹か襲おうとしていたが、こちらの魔力を示しただけで逃げてしまった。憂さ晴らしにもならずに俺もハルデも悶々としている。
俺自身の買い出しはないから暇も同然。たまに子猫が甘味に惹かれてしまうくらいで特別問題はない。と、言いたいところなのだが。
泉たちが服屋の前を通り過ぎようする。ふとユキが足を止め、彼女を呼び止めた。傍に掛かっていたワンピースを彼女の体に当て、何かを話している。二人して表情が乏しいから会話内容を推測できない。やがて歩き出すと、今度は違う服を手にした。
彼女らの様子を黙ってみていた使い魔が、噤んでいた口を開ける。
「……なんていうか、デートだね」
「やっぱりお前もそう感じるか」
喉から出かかっていた単語を、代わりにハルデが言ってくれたお陰で胸が微かにすっとした。それでも気持ちは晴れない。
その後も泉たちは寄り道を繰り返し、目的の場所までかなりの時間が掛かった。こっちの身にもなってくれ。
ショッピングカートを押していく二人。泉が棚に手を伸ばし、ユキが取ってあげた。彼女の口角が僅かに持ちあがっている。
「……なんていうか、新婚だね」
「お前どこでそんな言葉覚えた」
商品棚の影に隠れつつ、周りから怪しまれないようにと菓子を手に取る。気を抜かせば握り潰してしまいそうだ。
突然、ビリリと頬に痛みが走る。
同時にハルデも
脊髄で分かる。これは並み以上の魔力を持った狩人だ。何処かに身を潜めているらしい。
使い魔とアイコンタクトを取ると、彼は姿を消した。俺も二人との距離を詰める。
人が集中しているところに出てくることができる、ということは相手は人間ではない。まったく、面倒な刺客を。
徐々に圧が迫ってくるのを感じる。移動速度が想像以上に速い。一体どこにそんなやついるんだ。
これだけの魔力を晒してもなお姿を隠し続けるなんて不可能。人外だからってそんな所業できるわけがない。
ぐっと熱が近づく。
もう、すぐ傍にいるはずなのに見えない。使い魔からの
視界の端に何かが横切る。
咄嗟に目を遣ると、考える間もなく
『ガキ魔女いた!? ……ってちっさ!!』
ハルデが驚くのも当たり前だ。なぜなら捜していた狩人が、消しゴムサイズの小さなお化けであったからだ。
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