第17話 舞踏会は幼い姫と

 絢爛豪華な会場に立つ、煌びやかに着飾った人の群れ。壁に沿って横たわる大きなテーブルには、普段は見ない様々な料理が得意げな顔をして並んでいた。


 今日は魔女と魔法使いの交流を目的とした舞踏会パーティである。


 着慣れない黒のタキシードはまだ糊の匂いがした。皆も張り切って引っ張り出してきたのだろう、ドレスやスーツが真新しい。

 会場の大半を占めるのは老若男女の魔法使い。俺が今、視認できる魔女の数は右手で数える程度しかいなかった。各々の使い魔を侍らせ常に警戒し続けている。

 そう言う俺には護衛の一人もいない。使い魔の猫に同伴を拒否されたのだ。


「千田くん、ちょっと」


 背後からの声に振り返る。そこには左半分の前髪を上げ、髪をきつく後頭部で結った泉が立っていた。彼女が身に纏うのは灰色のスーツ――男装である。

 普段することのないネクタイの結び目に触れながら、彼女は周囲に視線を焚べていた。


「やっぱり普通の人間が混ざってるなんて変かな」


 ポーカーフェイスに似合わない不安そうな声。俺はいつも通りの調子で返す。


「別に気にすることねぇよ。それに、魔法使いだって魔女おれたちから見れば只の人間だし」


 そうなんだ、と泉は変わらない無表情で会場を見渡す。頭の後ろで結われた髪が僅かに跳ねた。


 頬を掠めていく微細な魔力に、俺は少しばかり顔を顰める。こちらの動きを制限するような鎖状の魔力だ。下手な行動をとれば即刻、身体を絞め潰すつもりなのだろう。

 何が交流会だ、ふざけた真似しやがって。魔法使いの、魔女を自分らの監視下に置きたいという企てが明白だ。

 腹の底で鳴く苛立ちに理性が蓋をする。今はこの機会を何としてでも乗り越えなくてはならない。

 ふと泉が自身の左腕の袖を軽く引いた。腕時計の針を確認すると顔をこちらに向ける。


「そろそろ迎えに行こう」


 彼女の言葉に頷くと、俺たちは一旦会場を後にした。


 赤の絨毯を辿るとすぐ正面玄関に行きつく。到着したばかりの魔法使いたちが車から降り、男女が腕を組んで中へと入って行った。

 やがて、探していた白いリムジンが俺たちの前にやって来る。何処からか使用人らしき人が出てくると、後方のドアを開けて頭を下げた。

 そこから出てきたのは、背の高い童顔の少女。

 西洋人形のような円らな瞳に、毛先まで入念に手入れされた金の長髪。すらりとした体には金糸で刺繍された真っ白なドレスが纏われている。

 少女はこちらを見るや否や、装いに似合わぬ俊足で駆けてきた。正しく言うなら俺に突進してきた、か。


「さっきゅんー! 待っててくれたのね!」


 鈴の転がる声に押され、俺は半歩後退する。抱き着いてきた少女に離れるよう言うが、聞く耳を持ってはくれなかった。


「リーリン、いい加減その呼び方やめてくれ」

「どうして? 可愛いからいいでしょ」


 この少女の名前はリーリン・フェイト。齢十二。西洋人だからか年齢に合わず大人びて見える。

 彼女は上流魔法使い一族の箱入り娘だ。俺の家系とは長い付き合いだったらしく、現在も良い関係を続けている。数少ない仲の良い魔法使いだ。

 ……この子供は話が別だが。


「あら? その人は誰?」


 彼女が話す英語は、魔法によって日本語に変換されてから俺達の耳に入る。リーリンはきょとんとした顔で泉を見つめた。

 不思議そうにする少女に泉を紹介する。彼女は礼儀正しくお辞儀をして見せた。


「悪いけどリーリン、今回はこの人がパートナーだ。俺は近くに居られねぇ」

「ど、どういうこと!? リーのエスコートはさっきゅんだって約束したでしょ!」


 予想通り、少女は甲高い声で喚き始めた。渋い顔をしつつ何とか説明を聞いてもらう。


 このパーティの目的は魔女と魔法使いの親睦を深めることだ。だがそれを逆手に取って、魔女狩りの輩が襲撃を企てているらしい。毎回起こる出来事だが今回は一味違う。

 足跡や情報が全くないのだ。

 過去に襲ってきた狩人たちは爪が甘かったため、事前にこちらが備えることができていた。しかし今回は襲撃の気配がない。ただ襲ってこない、という簡単な話ではないだろう。


 狩人ではない。つまり魔法使いむこうに裏切り者がいる。舞踏会の喧騒に紛れて魔女狩りを始める可能性が高い。


 奴らの目的は魔女だ。関係のない魔法使いや人間などが被害に遭うことだって考えられる。俺が近くにいれば傷付けられるかもしれないのだ。

 その上リーリンは高貴な魔法使い一族の令嬢。

 傷一つ付けてしまえば彼女の家系に、魔女に対して不信感を抱かせることになる。俺の後ろ盾がなくなるのは結構まずい。

 彼女には多少の護衛はいるが相手の実力が未知数だ。慢心はいけない。


「念には念をってこと。ごめんな」

「嫌っ。さっきゅんは強いから襲われても大丈夫でしょ? なら一緒にいても良いじゃない!」


 愛らしい顔を歪ませる。泣くことまで想定していたから、まだマシだな。

 俺は腰を落とし、少女と目線を合わせる。


「お前が危ない目に遭うかもしれねぇの。それだと困るんだ、お願い」


 リーリンは眉根に皺を寄せて悲しそうにした。


「……分かったわ。さっきゅんのお願いなら仕方ないわね」


 思っていたより食い下がらなかった。珍しい。

 彼女の返答に拍子抜けするも、手間が省けて良かったと立ち上がった。隣の泉は変わらず人形のように無表情である。

 後は頼んだと言うと彼女は一つ頷く。そして、その口を俺の耳に近づけさせた。


「気をつけてね」


 微かに震えを感じた。心配、しているのか。

 俺は口の端を持ち上げて、自身の首筋を指先でノックし耳打ちする。


「お前もな」


 お前が死ねば俺も死ぬ。俺が死ねばお前も死ぬ。くれぐれも首の刻印には注意を払ってほしいものだ。

 俺は身を返し、二人から遠ざかっていった。


 ・

 ・

 ・


 他の魔女と合流するのか、千田くんは人々の中へと姿を消した。耳に残る言葉に唇をきゅっと結ぶ。

 向けた視線の先にいる少女は、不貞腐れた顔をしてドレスの裾を注視していた。身長は私より五、六センチほどしか変わらない。外国の子供は身長が高いな。

 私はそっと声を出す。


「……リーリンちゃん」

「リーのことは様付けなさい。あと敬語!」


 きつい口調だ。少し怯む。


「リーリン様、体が冷えます。控室ひかえしつへ行きましょう」


 彼女に手を差し伸べると、睨みに近い顔で一瞥された。しかし手は重ねてくれた。

 練習を思い出しながらスルリと腕をくぐらす。彼女の腕は細く、体も華奢だ。控室へ向かう足取りはしっかりしている。


「あなた、トキノと言ったわね。エスコートはできるの」


 千田くんとの会話の時とは違う声音だった。でも彼女から話してくれるのは素直に嬉しい。

 私は真っ直ぐ前を見て答える。


「はい、練習しましたので。お任せ下さい」

「女なのに? わざわざ男装してまで準備してたの?」

「貴方は千田くんの大切な人だと聞いていたので、恥のないよう練習したのです」


 返答はない。小さい溜息が聞こえた気がした。

 今日は私が誰かを守る番だ、気は絶対に抜かない。彼の役に立つんだ。


 白に統一された控室は無駄に広く静かだった。

 少女のお付き人は計五人で、彼女の世話役が二人、SPの魔法使いが三人らしい。お付き人とはいえ誰が敵かも分からない、悪いが少し警戒させてもらっている。


 まずはリーリン様のドレスアップだ。

 今の恰好も十分愛らしいが、これは外用だそうで舞踏会では別のドレスを用意している。ここは手慣れている世話役の二人に任せて、私は離れた。


 正直に言う、不安しかない。エスコートの練習は確かにしたが作法は慣れないものばかりだ。

 先月、千田くんにご令嬢のパートナーになってほしいと言われてから、ハルデ(じょしこうせいのすがた)に指導してもらい基礎的なマナーを叩き込まれた。

 互いに初対面、加えて年頃の女の子だから気が張ってしまうことは仕方ないと思っている。でもまさか、あんなに千田くんに懐いているとは思っていなかった……。

 内ポケットからメモを取り出す。彼が書いてくれたリーリン様の取扱説明書だ。


 彼女の前では魔法使いの話、特に彼女の家系についての話はしていけない。

 ダンスが好きだから積極的に誘う。

 肉が苦手。甘いものは果物のみ。

 機嫌が悪い時は傍から離れない。

 本当は極度の寂しがりや――など多数。


 彼はリーリン様が苦手だと言っていたが、このメモを見る限り気にかけているようだ。

 一応全て暗記しているけれど、このメモを見るとどうしてか安心する。千田くんが書いたからかな。

 中でも目を引く文字。


 彼女は魔法使いではない。


「泉様、リーリン様のご仕度が整いました」


 凛とした声に顔を上げる。慌ててメモをしまった。

 急ぎ足で彼女の元へ行くと思わず目を瞠った。あまりの美しさに呆然とする。

 髪型はハーフアップ。端から端まで艷やかな金髪を編み込ませていた。新たなドレスは白から一変、宵の空で染めたかのような深い藍色。絹と見間違うほどの白い肌、碧眼と相まって息を呑む姿だ。


 静止した私に彼女は不機嫌そうな声を掛ける。


「似合わないって言いたいの?」


 人形の瞳が曇る。私はおもむろに口を動かした。


「いえ、とても麗しいです」


 零れたのは素直な感想だった。彼女は僅かに驚いた表情をして「そう」と返答する。

 私は左肘を突き出し、彼女に腕を組むよう促す。リーリン様もそれに応え、自身の右腕を通した。

 入場。

 開かれたドアの先は、心地良い喧騒と揺蕩う演奏で満たされている。

 先程、散々見た景色である筈なのに違うように見えた。高い天井のシャンデリアが煌めき、少女を迎え入れる。

 私たちを囲むお付き人は鋭い眼光で辺り一帯を見回した。問題なしの合図である頷きを確認してから、私は少女――否、姫を導く。

 背筋を伸ばし、凛々しく、でも優しく。

 記憶の中の悪魔が脳内で囁く。ハルデ、私ちゃんと支えられているかな。


 交流に関しては問題なかった。

 令嬢という立場ですっかり馴染んでいるのか、彼女は十二でも綺麗な言葉遣いで大人の相手をしている。浮かべる微笑も自然だ。ただ節々に疲労が見え隠れしている。

 タイミングを見て私は人混みからリーリン様を引き出した。


「お飲み物です、気疲れしたでしょう」


 細長いグラスに注がれたアップルジュースを差し出す。彼女は溜息を吐きながらそれを受け取った。


「リーは魔女と話がしたいのに、なんで下級魔法使いばかりたかるのかしら。鬱陶しい」


 どうやら棘のある口調は素であるようだ。


「お食事は如何なさいますか」

「今は良いわ。食べる気になれないもの」


 グラスを傾ける。水分を口にできて落ち着いたみたいだ。

 不意に彼女は顔をこちらに向ける。深みのある碧い双眼に見つめられ、私は瞬きを繰り返した。どうかしたのかと尋ねると、リーリン様は表情を消して答える。


「トキノとさっきゅんは、どういう関係なの」


 私の手にも握られているグラスが揺れる。半透明のアップルジュースが照明の光を返した。

 彼女のひねくれた視線は異様に真っ直ぐだ。心を見透かすような、それでいて弱さが感じられる。

 私は変わらない声音で「呪いの相手」だと答えた。しかし彼女は首を振った。


「その事はもう知っているわ。そうね、訊き方を変えるわ。トキノにとって、さっきゅんどういう存在なの」


 響く騒々しさが白けた気がした。目を逸らしかけた私は、ぎゅっと手に力を込める。

 多分、彼女は千田くんのことが恋愛的に好きなのだろう。好きな人の近くにいる女なら警戒するのも当然。それにこういう質問なら最近された、大丈夫。


「大切な人です。恋愛感情はございません」

「でも特別なんでしょ、さっきゅんも似たような事を言っていたわ」


 ぴくりと体が勝手に反応する。動揺してはいけない、と暗示を掛けて受け流した。だが彼女は追って口を開く。


「それ吊り橋効果なの、分かってる?」


 何故か、私は言葉を詰まらせた。


 吊り橋効果。緊張や不安から引き起こされた胸の高鳴りを「あなたが好きだから起こる」と錯覚してしまう、勘違いの心理現象。


 確かにそうだなと腑に落ちた。

 私と彼は繋の呪いという危ない吊り橋の上にいるだけだ。呪いによって共に過ごすようになったのだし、そう言われるのも無理はない。

 でも。


「私にとって大切な人だと思いますよ」


 どう言われようと構わない。この気持ちが勘違いだとしても、彼の傍から離れる理由にはならないから。

 取り乱す様子を見せない私に、リーリン様は口角を下げて不満げだった。機嫌を損ねてしまった気がして、私はそちらの方に動揺する。

 ダンスの時間まで余裕があるし、話をしても良いかな。


「リーリン様と千田くんのご関係について、お訊きしても宜しいでしょうか」


 彼女の長い睫毛が大きく上下する。予想だにしていなかった質問だったらしく、彼女は聞き返してきた。

 こちらがもう一度同じ言葉を口にすると、やっと問いに答えてくれた。


ただの友達よ」


 幼い姫の頬は仄かに赤く染められていた。やはり彼女は千田くんのことを――

 無意識の内に、私の口が衝いた。


「お二人はとてもお似合いだと思います」


 魔女と魔法使い。釣り合うのも当たり前だ。

 千田くんは彼女をあまり得意としないけれど、嫌っている訳ではない。きっと隣に立つのが相応しいのは、この人なのだろう。


 突然、ぐいっと左腕を掴まれた。


 反射的に向けた視線の先には、どうしてか怒っている様子のリーリン様がいた。


「なんでそんな事が言えるの。貴方にとってあの人は大切なんでしょ、なら、リーは邪魔なんじゃないの」


 端正で綺麗な顔が歪む。苦しそうな、今にも泣き出しそうな表情だった。


「皆そう、リーの顔色ばっかり見て、本当の事を言ってくれない。リーがフェイト家だからって皆嘘を吐くっ」


 掴む力は弱く、震えていた。


 私は何かまずいことを言ってしまったのだろうか。気を損ねてしまったなら謝らなくてはいけない。でも、それは得策でない気がした。


「嘘ではありませんよ。私は思ったことを述べただけです」

「わけ分かんないっ。トキノだって、さっきゅんのこと……っ」


 あれ、勘違いしてる?

 私は恐る恐る口を開いた。


「リーリン様、私は千田くんにそのような感情を抱いたことはないです。大切ではありますが少し違います」


 十二歳にはまだ分からない感覚なのだろうか。彼女は理解しきれず腑に落ちない表情をしていた。しかし自身が勘違いしていたことに気がつき、彼女はバツが悪そうに顔を背ける。


 とりあえず誤解が解けて良かった。恋敵みたいに思われても困るし。

 安心する私を彼女は怪訝そうに見てきた。が、すぐに目を違う方へ逸らす。彼女は手に持つグラスをテーブルに置いて言った。


「今頃さっきゅんは何をしているのかしら。ダンス、楽しみにしていたのに」


 やはりパートナーが彼でなく私だから不満なのだろう。リーリン様が浮かない様子でいることに変わりなかった。


 ふっと、周囲の男性が女性を会場の中央へいざなっているのが視界に入る。もう本番か、不安だな。


 私は上体を折り、上目遣いで姫に手を伸べる。


「今は、私のことだけを考えていただけませんか」


 瞬間、姫は顔を真っ赤にさせた。

 なんでだろう。ダンスの誘い方、間違えたかな。

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