第18話 凛々しき王子

「チダ、ここはもういい。中の見回りに行け」


 冷える上空。俺は箒に跨って屋外の警戒網を張っていた。

 その隣、交代を告げに女性の魔法使いがやってくる。もう一時間経ったのかと、ポケットに入れていたスマホを起こす。時刻は十八時を過ぎようとしていた。

 軽く感謝の言葉を口にし、ゆっくりと降下する。会場のテラスに降り立った。


 会場内は人の熱気のお陰で暖かかった。目立った騒動もない、今の内に腹に何か詰めておくか。

 そう思って眩しい一階へ足を向ける。丁度ダンスの時間になったらしく、音楽が変わっていた。


 脳裏に貼り付いていた不安が目を覚ます。泉は大丈夫だろうか。


 舞踏会の一ヶ月前に突然、男装して小学生の相手をしてくれと頼まれて、内心嫌な顔をしていただろう。俺だったら断るところを彼女は構わないと承諾してくれた。本当に頭が上がらない。始めはハルデに任せようとしていたが、あの薄情な子猫は当然といったような顔で断ってきた。まったく、後で首輪をしてやらねぇと。


 人混みの間を通り抜け、料理の並ぶテーブルに寄る。そこまで空腹ではないが何か食べておかないといけない。いつ襲われるか分からないし、交流の糸口にも使えるしな。


 ふと貴族がざわつく。何事かと耳を澄ませるも、断片的にしか情報を得られない。


「あの中央で踊っている娘、フェイト家の令嬢か。なんと美しい」

「相手は何方どなたかしら。見ない顔だし……あら? 女性?」


 フェイト家、令嬢。それだけで十分だ。リーリンたちのことを言っているのだろう。周りを騒がせるほどの何かがあったのか?


 泉は男性の作法に関して心配ないと言っていた。男装だって違和感はなかった。特別、女であることがばれても問題はないが、名高い家の娘の相手が女子だと言われても聞こえが悪い。変な奴に絡まれるかもしれないという危惧もある。


 ほんの少しだけ様子を窺ってもいいか。見るだけ見るだけ。

 大人の間を掻き分け、開けた会場の中心に近づく。かなりの人が踊っているな、見つけられねぇかも……。


 だがそれは杞憂だった。


 探す間もなかった。

 すぐに目に留まる、異様な美しさ。

 外見だけでない。

 踊りは他のどのペアよりも秀麗だった。


 金糸の髪に合う濃紺のドレスが翻る。傍に立つ銀灰色ぎんかいしょくのスーツは、迷うことなくステップを踏む。洗練された動きで舞うリーリンは、すっかり体を相手に委ねていた。泉も優しく導き、少女がよろけると冷静に支えに回った。


 なんだ。あいつ、エスコートできるじゃねぇか。


 距離があって彼女たちの表情はよく見えない。でも楽しそうにしていることは間違いなさそうだ。

 いつの間に心を開くようになったのか不明だが一先ず安心だ。泉とリーリンのことだから仲良くはなれねぇと思っていたが、そんなことはなかったな。


 にしてもアイツ、男装が似合いすぎじゃねぇか? そこらの男子より紳士イケメンだぞ。

 顔が整っていることもあり、懸命に覚えてくれた礼儀正しい所作がより引き立つ。俺より丁寧だ。なんかむかつく。


 まぁいいか、女子二人の安全も確認できたことだし戻ろう。

 と思った半瞬後、首筋に熱が駆け抜けた。


 殺意に満ちた魔力。それは完全に殺しにきていた。

 咄嗟にしゃがみ込む。間髪入れずに破壊音が後方で響き渡り、悲鳴があがった。硝子と皿が割れる音が空気を引っ掻く。揺蕩う演奏が弾かれたように途絶えた。


「しゅ、襲撃! 避難しろ!」


 誰かの使用人が喚起する。しかし貴族らは混乱して足を惑わせているばかりだ。


 これだけの人の中、どいつが裏切り者なのかを見つけ出すなんて無理に決まっている。先程の攻撃から位置を割り出そうとしたが、すぐに行方をはぐらかされた。

 再び轟音。絶え間なく悲鳴は鳴り渡る。


 ここのセキュリティ、前より酷いな。裏切り者が複数いるなんて聞いてねぇぞ。


 流石にまずい。このまま皆殺しにされる可能性が出てきた。俺が魔女だと名乗り出てもいいが、他の魔女なかまを巻き込むかもしれない。今は何としてでも敵を探し当てねぇと。


 華美な装いの魔法使いは一度に出入り口へと向かった。一部は機転を利かせ、転送魔法で移動しようとする。だがどうしてか皆戻ってきてしまった。


「外に出られない」


 その言葉が空気を揺らした瞬間、人々は更なる混乱に溺れた。子どもは女性にしがみつき、女性は男性の腕に縋る。その周りを使者たちが奔走していた。


 やはり魔法使い共々潰そうとしている。目的は魔女おれたちじゃねぇのかよ。

 ここでもし全員が殺されたら、今回のパーティに参加していない魔法使いと魔女の間の亀裂が取り返しのつかないことになってしまう。この機会を全面戦争の発端にするつもりか。


 沸々と苛立ちが煮えていた。

 魔女の俺が動けば、最初から会場に張り巡らされた鎖状の魔力に絞め潰される。今動けるのは魔法使いしかいない。だのに彼等が混乱していまっている。主催は何をしてんだ。


 とりあえず人から離れよう。誰が敵かも分からない以上、至近距離にいるのは危ない。


 ――クリエイトナイト


 ぞっと背が冷える。確かにそう、耳元で聞こえた。


 振り返るのと同時に風を切る音が鳴る。反射的に左に躱すと右頬に痛みが掠めてきた。目前、銀のつるぎをこちらに突き出す女。

 こいつ、さっき外回りの交代に――っ


「てめぇが狩人かッ!」


 怒声をわざと響かせる。周囲に危険を報せることで距離をとってもらい、他の従者に応援を要請したのだ。


 剣を躱し続けられるのも時間の問題。向こうは魔法が使えるから、こちらが圧倒的に不利だ。


 間もなく主催の従者が駆け付け、取り押さえようとするが近づけない。相手は慣れたように刃を振り回し、無力化魔法を唱えていた。辺りの人々から感じられた魔力が消え去る。これでは魔法使いも戦えない。

 こいつの戦い方、人の心がないな。


「なぁ魔女、選べ。お前らだけが此処で殺されるか、このパーティにいる奴ら全員殺されるか」


 声が高らかにあがる。今いる魔女たちに問われた選択肢は、どちらも理不尽なものだ。

 周囲の魔法使いからは前者を選べと視線で訴えられる。殺されるのなら魔女おまえたちだけ死ねと。


 いつまでも返ってこない答えに苛立ったらしく、女は剣の先端を大理石の床に打ち付ける。彼女の怒鳴りは人々の脳内を恐怖で支配した。沈黙を押し付けられたホール内は、呼吸音さえも聴こえない。


 怯むな。弱みを見せたら負けだ。

 ……つっても抵抗するのにも限度がある。生身の人間に何ができる?

 いや、相手の気を少しでも逸らせば。


 不意に、ぱりんッと甲高い割れる音が鳴る。


 息を殺した空間に、それはあまりにも場違いだった。

 反射的に皆が顔を上げる。女も音が鳴った方へ剣を突きつけた。その延長線上に立つ人影に、俺は出しかけた声を押さえつける。


「ただの人間が紛れ込んでいるなんて、命知らずな」


 女が鋭利な眼光で睨みつけたのは、アッシュグレーのスーツに身を包んだ一人の少女。彼女は凛々しいその眼差しで見つめ返していた。


「失礼、動揺してしまいまして」


 泉は相変わらずの無表情で、棒読みの台詞でそう言った。

 彼女の背後にリーリンが隠れている。すっかり怯えてしまって端正な顔は真っ青だ。それもそうだろう、自分のパートナーがテロリストの注意を引こうとしているのだから。


 って、んなこと言ってる場合か! 何やってんだアイツはッ!!


 泉は冷静そうにしているが、彼女のデフォルトが無表情である。実際の感情は分からない。


 狩人の女は警戒したのか、男装した彼女に向けた刃の先を逸らさずにいる。そのせいで泉の周りにいた人たちが一度にけた。

 女は睨みに近い視線で彼女を射抜く。泉の表情が変わる兆しはない。


「娘、なぜ此処にいる。魔法使いではないだろう」

「はい、同伴者として参加しています」

「同伴? 誰のだ」

「この方です。それと」


 不自然なところで言葉を切った彼女に、狩人は怪訝そうな顔をする。向こうに立つ泉は、構わず自身のネクタイを緩めた。かと思えば襟をぐいっと引いて見せ、自分の首筋を露わにする。


 その時、俺は気が付いた。彼女の行動の意味に、覚悟していることに。

 考えるより先に体が動いた。


 ここに居る全員が視認できる「呪いの刻印」。それが色を濃くして晒される。

 彼女は至って平然とした様子で言った。


つなぎの呪いの相手です」

「――エスパイア」


 数センチまでに迫った狩人の背。俺は、泉の言葉に覆い被さるように魔法を唱え、狩人の体を硬直させた。

 そして設置魔法が作動する。空間に蔓延っていた鎖の魔力が、俺の唱える声で目を覚ました。

 物騒な音を立てて絞めつけにくるそれをすんでのところで躱す。勢い余った魔力は、対象を魔女ではなく狩人の女に移し替えた。


 鎖を象った魔力は、エスパイアの効果で動けなくなった狩人に作動したのだ。


 ばちんっという音が耳を劈くと、間もなく女の苦悶の声があがる。上手く誤作動してくれて良かったと安堵で胸を撫で下ろした。

 躱した勢いで泉の元へと駆け寄る。彼女はいつも通りだった。


「千田くん、ほっぺ切れてる」

「あ? 掠り傷だ、気にすんな。それより危ねえことすんなよ。気付かなかったらどうするつもりだったんだ」

「いや、でも、千田くんなら気付くって思ってたから」

「んだよそれ」


 緊迫した状況下に交わされる、放課後のような会話。

 泉は普段の通り表情がなかったが、瞳は酷く真っ直ぐだった。いつも以上に凛々しく見えるのは男装しているからだろうか。


 途端、呻いていた声が聞こえなくなる。

 振り返ると、そこには設置魔法を解いてしまった狩人がいた。双眸に宿るのはこちらへの恨み、纏っていた衣服の一部は裂けている。


「ガキが、ふざけた真似を!」


 怒りをまき散らす彼女は、手にした剣を力任せにこちらへ投げた。丁度俺と泉の間だ。

 お互い身を引くと、刃は後ろにあったテーブルを破壊する。魔法使いたちが慌てて離れていくのを尻目に、俺は泉に言った。


「まずはリーリンを避難させろ。念のため付き人は頼るな」

「千田くんは?」

「コイツの相手をする。何、策はあっから心配すんな」


 彼女は何か言いたげに口を開きかけたが、すぐさま噤んで頷いた。それを見て思わず頬が緩む。

 泉が幼い姫の手を引くのを確認してから、女に向かって不敵に笑ってみせた。


「お前はさっき二つ選択肢をくれたよな。でも考えてみろ、ここにいる魔女えものの力量」


 捌けた魔法使いの中から現れる数人の人影。瞬間、自分と同じ血の匂いが立ち込めた。


「ここに居るのは過去の魔女狩りから生き残ってる奴らだ。そんな奴らを簡単に殺せると思ったか?」


 今の俺に抜け駆け魔女の名は無い。かつての裏切りを、今だけは赦されている。


 共に戦おうと、魔女なかまが言っている。


 俺は右の踵を力強く床に叩きつけた。そこから広がる魔法陣。本能的に感じたのか、女は考える間もなく突っ込んできた。


 設置魔法である、今もこの空間を漂う魔力は、魔女の攻撃でないならば作動することはない。つまり魔女おれたちが攻めなければ良いのだ。


 一寸先の攻撃。それと俺の間を隔てるように、魔法陣から出現する


「――リリーシング・ハルデ」


 女が新たに創り出した剣は、こちらの首へ噛みついてくる。しかしそれが皮膚を裂く直前、足元の光が一層強くなった。


 金属音が空気を殴る。

 目前に現れた影に、俺は不満げに言った。


「遅い。掠ってんじゃねーか」

『いーじゃん、そっちは刻印ないんだし』


 蝙蝠の翼、頭上の三角耳、ラセットブラウンの猫毛、ころころ転がる鈴のような声。

 あるじによって召喚された使い魔・ハルデは、狩人の剣を弾き返した。


 攻撃を阻止された女が後退する。だがハルデは「逃がすか」とでも言いそうな気迫で間合いを詰めた。

 周辺の魔女たちも、自身の使い魔を呼び出す。容赦なく一斉に攻めろと指示を下した。

 俺らは援護だ。回復魔法を中心に、強化魔法、防御魔法を口々に唱える。


 勝ち目のない女の助太刀に、潜んでいた他の狩人らが躍り出た。数はこちらと同じくらいだな、上等だ。


 ネクタイを緩める。首元から熱が抜けていく。


「パーティは終わりだ、根腐り狩人」


 ・

 ・

 ・


 会場に閉じ込められた私たちは、各々の控室に逃げ込んだ。少し離れたところから戦闘の音が聴こえる。狩人の魔法の効果なのか、明かりは点かなかった。

 部屋に入って早々、連れていた少女が高い声をあげる。


「トキノ! あなたって人はっ!」


 ご立腹な様子のお姫様は、綺麗な顔を歪ませてこちらを睨んでいた。折角の美しい装いが褪せて見える。

 私は小首を傾げて問い返した。


「何がでしょうか」

「何がでしょうか、じゃないのよ! よくあのテロリストに関わろうとしたわね!?」


 火に油を注いでしまいリーリン様が詰め寄ってくる。彼女は、私の乱れた襟元を指さして怒鳴った。


「あなた魔法が使えないんでしょう!? もし攻撃でもさてれたらどうするつもりだったの!」


 少女の指先にある呪いの刻印。唐突に魔女狩りを始めた女性の気を引くために示した囮の材料だ。

 なんだか、リーリン様も千田くんみたいなことを言うね。なんでだろう。

 私は不思議そうに答えた。


「信じていましたので。千田くんが来てくれること」


 あの時、視界の端で今にも飛び掛かりそうな彼がいた。でも二の足を踏んでいるような様子だったから、なんとなく、狩人の背を彼に向ければいいかなと思った。ただそれだけ。

 でも確かに、襲われていたらどうしようもなかっただろう。狩人の体術に対抗できるほど私は動けないし、避けられたとしてもリーリン様が危ない目に遭っていたかもしれない。

 今になって体が震えた。


 自分の軽率な行動を省みて、私は謝罪の言葉を口にする。しかし彼女は「許さない!」と半ば泣き出しそうな声で言った。やっぱり、この子の機嫌を取るのは難しいな。

 とはいえ私には、パートナーである姫を不安にさせてしまったという非がある。大人びていても、十二歳の子どもであることに変わりはない。

 困った私は、膝をついて彼女の顔を覗き込んだ。


「リーリン様、どうすれば許して下さいますか」


 小刻みに震える姫の睫毛。彼女は答えない。


 地面を揺らす戦いの音が責め立てる。薄暗い無言の空間で見つめ合う二人の少女。西洋人形を彷彿とさせる彼女は、おもむろに口を開いた。


「……リーから離れないで」

「承知しました」


 握った姫の手は、酷く冷たかった。

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