第14話 解呪の選択

「繋の呪いを解く方法が分かった」


 電話の向こう側にいる泉に、俺は冷静な装いでそう告げた。


 夏休みが明けるおよそ一週間前、俺は以前から続けていた解呪の方法をやっとの思いで見つけ出したのだ。家にある古臭い本の数々を漁り、時に魔法界へ赴き何千もある資料に目を通した。

 もとより魔女狩りの魔法は我流のものが多く、正直当てにできる情報は少ない。その中で繋の呪いに類似したものを見つけ、他の情報と照らし合わせた結果、解呪の方法らしきものが導き出されたのである。だがそれは完全な答えではなく、あくまで俺なりの回答だ。解ける可能性は正直、期待できない。


 電話の開口一番に拍子抜けしたらしく、泉は間の抜けた返事をした。


『そう、なんだ』

「どうする、今すぐ解くか?」


 俺の問いに彼女は沈黙で答える。長いこと考えた末に、泉はこう言った。


『直接相談したい』


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 学校付近の公園。今日は不機嫌そうな空模様だ。

 待ち合わせ場所に俺が着くと、既に彼女はそこに居た。いつにも増して物憂げな表情で虚空を見ており、思い切り脱力している。声を掛けると、小動物のようにビクリと反応しベンチから立ち上がった。

 まだ少し暑さの残る公園には子供はおろか誰もいない。話し込むのには丁度いい。


「どうして電話で答えなかった」


 頭の片隅に引っ掛かっていた疑問を口にすると、泉は俯いて答える。


「どうしてかな、私も分からない」

「なんだそれ」


 まぁいい、今回大事なのはそこではない。俺は気を取り直して再び彼女に問いかけた。すると泉はばっと顔を上げ、不安そうな声音で質問返しをしてくる。


「千田くんはどうしたい……?」


 それはもちろん解きたい、とは絶対に言えなかった。

 出会ったばかりの頃はきっと、問答無用で解呪していたに違いない。しかし今はそんなことさえ頭に思いつかなかった。理由は明白、俺は彼女との関係性を失うことを恐れているのだ。


 泉はただの呪いの相手。呪いが解ければそれまでの関係であり、私情を持ち込むことも許されない。何があろうと赤の他人のままでいる。

 ――筈だった。

 俺は簡単に心を許してしまい、赤の他人どころか彼女に近づきたいと思ってしまった。それに、この間は本人を目の前にしてあんな恥ずかしいことを……。

 魔女であり常に命を狙われているという自覚が足りなさすぎる、何をやっているんだ俺は。


 中々応答しない俺に対して泉は控えめに小首を傾げる。はっと顔を上げ、慌てて答えた。


「お、お前が決めろ。俺はそれに賛同する」

「本当?」


 俺の答えに不満があったらしく、間髪入れずに彼女が問いただすように訊く。予想だにしなかった泉の行動に驚きが隠せず、反射的に肯定した。

 しかしそれも気に入らなかったようで、もう一度同じように聞き返し顔を近づける。ずいっと距離を詰められ、頭が文字通り真っ白になってしまった。


「なっ何だよ急にっ」

「ごめん、嫌だった?」


 軽やかな動きで離れると、彼女は浮かない顔になって俺のことを見つめる。

 どこか寂しそうな表情で首元の刻印に触れると、ゆっくり確実に力を込めて押し当てた。俺の首に彼女が感じている触感が襲い、微かな違和感と淡い痛みが走る。


 彼女の行動がさっきから理解できない。何かを伝えようとしているのか、それともやはり俺の回答に不満を抱いているのか。だとしたら何故不満なのだろう。彼女に選択を委ねているのは信頼しているつもりなのだが……。


 それに、どうして彼女は決断しないのだろうか。

 命を狙われずに済むし、解呪ができたら魔女狩り避けの魔法をかけることができる。そうすればこれから先、アイツらの攻撃や災いから逃れることが可能だ。日常生活に戻れる、首の感覚にも気を遣わなくても良い。それだというのに泉は即決せず、むしろ俺の意見を求めた。コイツ、何がしたいんだ?


 ふと彼女は強く首をつねった。思っていたより痛く感じ、つい声が出る。


「い、痛いです泉さん」


 しかし彼女は手を離すことなく、代わりにこう返事した。


「じゃあ千田くんも触って」


 ……今なんて?

 抓る力を緩めずにこちらを見つめ返す。そんなにじっと見られたら触るしかないだろ……。


 恐る恐る手を伸ばし優しく触れた。今までココには触らないように意識していたものだから、本人を目の前にして触れると緊張してならない。

 すると泉は手の力を抜いて、俺と同じように優しく触れた。思わずビクッと体が震え更に緊張の糸が張る。


「ふっ、変なの」


 感情の籠っていない声でぽつりと呟く。俺は視線を迷わす。


「この感覚が恋しくなっちゃいそう」


 涼しい風が吹き、肌の表面に滲んでいた汗を冷やす。木々が騒がしく葉を擦らせ鳴き、細い枝をしならせる。

 落ちる影に隠れるような彼女の表情を――逃がしたくないと思った。


 距離を一気に詰め、自分の首に触れていた手を泉に伸ばす。彼女が触れている手に俺自身の手を重ね、俺は泉の耳元で囁いた。


「 恋しくなるなら、いつでも触れてやるけど 」


 少し顔を離し、彼女の表情を確認する。泉は普段の無表情に取ってつけたような赤面を浮かべていた。


「そんなの恥ずかしい」

「お前さっき似たようなこと自分で言ってたよな」

「それは自分の首だから」


 恥ずかしがるところが違いすぎじゃねーか? 格好良いだの何だのと、普通はハードルの高いセリフを平然と言ってのけたクセにこういうのはダメなのか。変なの。

 彼女にしては稀有な反応で、俺はどうしてかそれを面白がっていた。


「ははっ可愛いな」


 躊躇わずに零れた言葉。これは嘘でも世辞でもない、本当のことを言っただけ。

 彼女はあまりの恥ずかしさに顔を向けられず困り切った様子でいる。俺はするりと手を離し、泉からも離れた。


「ごめん。からかい過ぎたな」

「許せませんね」


 泉が優し気に笑う。出会ったばかりの頃の彼女は決して見せなかった、その感情を見られて俺は嬉しく思えた。

 彼女は笑顔を浮かべたまま、祈るような声音で言う。


「呪いが解けても一緒に居て良いかな、千田くん」


 それはまた命を預けることを承知している、といことである。再び、死ぬ危険のある毎日を送らなくてはいけないかもしれないというのに、どうしてこの人はそこまでしたいのだろうか。

 正直それは訊きたかった。だが訊く勇気がなかった。密かに期待してしまっている自分が馬鹿らしい。


 俺は静かに、泉の願いを


「ごめん、泉」


 微笑んで謝罪の言葉を零す。

 彼女はふっと表情を消し、不思議そうな声で理由を尋ねた。俺は申し訳なさに押し潰されそうになりながら、泉の問いに答える。どうか分かってほしいと。


「これ以上怖い目に遭わせたくない、傷つく姿を見たくない。これから先、俺では守り切れないかもしれないんだ」


 誰かを失うのはもう嫌。何度この胸を引き裂かれたことか。

 大事だからこそ傷ついてほしくない、彼女を恐怖から遠ざけたい。今までの生活に戻って、平穏を取り戻してほしい。俺がいくら強いとは言え上には上が存在する。いつかは地面に膝を着く日が来るはずなんだ。魔女狩り避けの魔法も、強い狩人にはほとんど効かない。気休めにすぎないんだ。

 以前シュークが言っていた通り、魔女狩りの輩は近い将来本気でこちらを潰しに掛かる。大昔の戦争がまた現代で起こってしまうかもしれない。その時、俺は守りたい人を守れないだろう。

 私欲で彼女を危険に晒したくない。友達でいることはできても直接話したり交流することは、きっともうできない。


「俺は嫌だ。お前と居たいと思うし、楽しいから」


 でも、それ以上に失うかもしれないという恐怖心が大きくなる。

 ごめん。ごめんな。


 俺は説明し終えると、胸の息苦しさに目頭が熱くなった。ほんと、優しくなったなぁ、俺は。


「それは、呪いにかかっていてもいなくても、同じじゃないの」


 彼女の声に視線を上げる。泉は切なそうに目を伏せさせて言った。


「解呪しても貴方の傍にいる危険の程度は、今と変わりないでしょう。もし私という存在が貴方の足枷になるのなら構わず解呪してほしい、でもそれ以上に私の身を案じるならこのままにして」


 我儘でごめんなさい、と彼女は表情を強張らせる。その食いつきようと願望内容に、俺は疑問を口にした。


「どうしてそこまでするんだ。自分の命が狩られるかもしれねぇんだぞ」

「私も千田くんと同じ気持ちだから。私も貴方のことを心配しているの、それに――」


 泉はぎゅっと両手を胸の前で握った。


 ふと脳裏に駆け巡る情景。祈っている、あの少女の絵を彷彿とさせた。


「 千田くんは大切な人だから 」


 真っすぐな瞳、酷く優しい心、そして躊躇いなく放つ言葉。あぁ、彼女はあの方にそっくりなんだと今更気が付く。


 憧憬を捧げてきた、白魔女のシーシャに。


 ・

 ・

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 私の言葉に、彼は顔を赤くして困ったように慌てた。どういう顔をしていいのか分からないらしく片腕で自身の顔を覆って一歩下がる。私、本気で思っていたことを言っただけなのにな。


 その後、落ち着きを取り戻した千田くんは私の存在は足枷ではないと言ってくれた。つまり解呪は最優先事項ではなくなったということである。呪いを解かない、ということは、この関係をまだ続けて良いということだ。私の胸の中で何故か安堵の温かさが広がった。


「お前はこのまま呪いにかかったままでいいのか?」

「うん、まだこのままがいい」


 はじめは早く解けないものかと思っていたが、今はそうではない。この呪いが彼と繋がっていられる証なら、私は喜んでかかったままでいよう。これからも千田くんの障害にならないように努力するし、精一杯彼の力にもなるつもりだ。そして椿妃さんに託された彼を『引き留める役』、それをしっかり果たさねばなるまい。

 呪いの相手として、友人として、一人の人間として。

 私はまだ千田くんと繋がっていたいんだ。


「あとで泣きにみるようになっても知らねぇからな」


 意地悪そうに笑いながらいう彼に、私は冷静に返した。


「でも千田くんは知らないフリしないでしょう」

「んなっ」


 図星なようで彼はおかしな声を出した。それに対し思わず笑みが零れると、千田くんも恥ずかし気に口角をあげる。


 ふと一際冷たい微風が髪を揺らした。違和を感じて周囲に視線を巡らせると、目の前にあった千田くんの姿が消える。同時に彼の悲鳴が鼓膜を刺し、慌てて彼を視界に捉えた。見覚えのある人影が千田くんを押し倒している。


「うわあぁッ離れろッ‼」

「すみません、久しい再会でしたので」

「こないだ会ったばっかだろッ!」


 低く落ち着いた声。深緑色の軍服に似た服を纏う青年が、上体を起こしながら謝罪の言葉を口にした。

 彼は西の吸血鬼・シュークさんだ。千田くんに命を救ってもらって以来、彼に恋をしているらしい魔女の味方。

 しかし私は彼が苦手である。理由は単純、シュークさんは私と似ていて表情が読めない、何を考えているのか分からないから。

 裏で何かを企んでいるようで、疑いの目を無意識に向けてしまっている気がする。まぁ簡単に言ってしまえば同族嫌悪である。


 彼は常に日陰の中におり、余計表情が分からなくなった。


「お二人が揃っていらっしゃったことは僥倖ぎょうこうです。丁度探していましたから」


 にこやかに笑うと、彼は胸ポケットから何か長方形のものを取り出した。それは純白の固い紙の封筒で、中心の赤い印がよく目立っている。


「あなた方宛に『招待状』が届いております」


 千田くんが差し出された封筒を受け取る。裏と表を軽く確認すると、顔を上げてシュークさんに詳細の説明を求めた。


 彼曰く、それは魔法使いと魔女の交流をするため・更に親睦を深めるために二年に一度開催されるパーティの招待状だそうだ。

 魔法使いと魔女はかつて、敵でも味方でもない関係を続けていた。勿論、あの戦争の時も。

 しかし近年、自身の過激な思想により暴徒の一途を辿っていた狩人は魔法省だけでは歯止めが利かなくなってしまい、ついに魔女に飛び火することになった。

 魔女と狩人の直接的な戦闘を避けようと尽力していた魔法省は破綻しかけ、魔女狩りは人間界へ進出する。多くの人間を巻き込み、彼等は一気に数を増した。戦闘を最小限に押しとどめ、彼等の暴走に終止符を打つため、魔法使いも魔女に力を貸すことになったが関係は険悪。二者の間でもいさかいは絶えなかった。

 それでは戦争の二の舞になると立ち上がった一部の魔法使いが、このパーティの開催を提案したのである。


「会場は当日明かされます。魔法界ではありませんのでご安心を」


 彼の手で開かれた招待状にも同じことが書かれている。千田くんは面倒くさそうに顔を顰めて返した。


「これって再来月……秋の話じゃねぇか。なんでこんなのに参加しなくちゃなんねぇの? 今まで何度か出席したけど、毎回のように魔女狩りに襲撃されてたよな。わざわざ命を差し出してまで行きたくねぇ」


 招待状を綺麗に折りたたむと、シュークさんに返却する。目前に突き出された彼は、きょとんとした顔をしたがすぐに困ったような笑みを浮かべた。


「しかし咲薇様、彼等との交流は重要です。近い内に狩人たちの企みが実行される可能性だってございますし」


 以前シュークさんが言っていた、全面戦争にまで発展するかもしれないという戦闘。今はそんな兆しも見当たらないが、それは息をひそめ足音を忍ばせているだけなのかもしれない。


 確実に戦闘は起こるよ。


 私の中で、私じゃない誰かが囁く。ぞっとして両手を握りしめた。


「はぁ、わかった参加する。でもどうして泉も名前が書かれているんだ?」


 名を呼ばれ、反射的に顔を上げるとシュークさんと目が合った。彼は私に一笑すると千田くんの質問に答える。


「呪いのお相手ですからね。繋の呪いは彼等にとっても珍しい呪いですので興味があるのでしょう。それに、共に出向いた方が咲薇様にとって都合がよろしいのではないでしょうか」

「そうだけど……大丈夫か、一緒に行っても」


 そう尋ねられて私は逡巡する。

 危険なところに自ら行くことは愚かなことだ。しかし守ってくれる彼がいなくては、行っても行かなくても命の危険は同じ。ならば一緒に行っても変わりないはずだ。


「うん、行く。私も魔法使いに会ってみたいし、関係を良くするために力になりたい」

「では決まりですね。出席の箇所に丸を書いてください」


 シュークさんはにこりと微笑むと、招待状を持つ千田くんにペンを差し出した。彼はそれを受け取り、広げた羊皮紙に円を描く。すると紙が光って何処からか声が聞こえた。


『ご出席いただき有難うございます。咲薇様、聡乃様を心よりお待ちしております』


 女性の涼やかな声音が鼓膜をくすぐる。音声が切れると、紙は光るのをやめ静かになった。


「わぁ、びっくりした」

「にしては全く顔が変わってねーな」


 千田くんにそうツッコまれ、私はそうかなと首を傾げさせる。彼は小さく笑ってから視線をシュークさんに向けた。


「お勤めご苦労だった、シューク。引き続き頑張ってくれ」

「ふふ、ありがとうございます。咲薇様とトキノ様のためでしたら如何なることでも」


 彼は心底嬉しそうな様子で言い、風と共に霧になって去った。


 千田くんは手元に残った招待状を一瞥し、私に視線を向け問う。


「そういやお前、出席するのはいいけどってできるのか?」


 わかるはずの言葉に理解が追いつかない。思わず聞き返すと彼はだと答えた。

 社交ダンスなんて踊ったことがないに決まっている。というかパーティーって、そういうこと……?


 先程立ち去ったシュークさんに、出席の取り消しをお願いしたくなってしまった。

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