第13話 好意の反応

「ねぇねぇ。聡乃ときのちゃんって、五組の咲薇さくらくんと仲良いよね?」


 朝、スクールバッグを机に置いた時だった。

 なんの前触れもなく、私は数名の集団で押しかけてきたクラスメイト(一部他クラスの子)に、そう尋ねられた。


 質問の意図が読み取れず、肯定とも否定とも言えない反応で私は返す。それを見て、声を掛けてきた子とはまた別の子が身を乗り出して言った。


「あたしたち咲薇くんのこと隠れて推してるんだけど、最近泉さんに話しかけたりするのをよく見かけて気になってたんだ。あの人とは、前から仲良いの?」


 推してるって……つまりファン? 千田くんにファンクラブあったんだ。すごい人気だな。


 私は取り敢えずの理由を並べ、深い関係ではないと嘘を吐く。口が裂けても、魔女狩りによる呪いで繋がってしまっているとは言えない。


 私の返答が腑に落ちないのか、みな困惑したような表情で互いの顔を見合わせた。

 その内、声を掛けてきた子が追って質問する。


「いつ知り合った?」

「春頃かな」

「何がきっかけで仲良くなったの?」

「仲良く、はないと思うけど……私が事故に遭いそうなったところを助けてくれたのが、きっかけだと思う」

「その後どっちから話し掛けた?」

「え、うーん……私、かな」

「なんて話し掛けたの!?」


 突然、声のトーンが上がり思わず目を見開く。彼女たちは興味津々、といった顔でこちらの返答を待っていた。

 少し違和を感じて、私は努めて冷静に問う。


「どうして私にそんなこと訊くの? 千田くんに関することなら、直接本人に聞けばいいのに」


 彼女たちがその言葉を耳にした途端、声を揃えて私に言い返した。


「できないから訊いてるの!」


 瞬きを繰り返し、私は彼女たちのことを凝視するので精一杯だった。

 彼女たちの説明によると、千田くんは本当に誰とも関わろうとしないらしい。その為、声を掛けても無愛想だったり、しつこくすると睨んできたりするそうだ。


「でもそこがまた良い……っ!」

「俺様感が堪らんのだ」


 口々に女子たちは、千田くんのことを褒めているのか貶しているのか分からない言葉を言い、各々の反応をしてみせた。この子たち、ちょっと変わってるのかな。

 その後も彼に関する話は続く。


「とにかく顔が良い。あと目付き悪いところも推せるよね」

「あたし声推してる!」

「めっちゃ分かる。無口だけど開けば口が悪いところ推しポイント」


 序盤はそうなんだー程度に頷いていたが、話が段々深くなっていくと、なんだかズレを感じて仕方なかった。私の知っている千田くんと彼女たちが話す千田くんがまるで違うみたいに。

 女子たちの言葉に対して、私は相槌のように心中で呟いた。


「独りで黙々と勉強してるの偉いよね!」


 それは多分魔法の勉強だ。彼、本当は勉強できない類だし。


「努力家なんだよ」


 それは確かにそう。他の魔女たちを守るために、たくさん魔法の勉強や練習をしている。


「この間猫に話し掛けてるの見ちゃったの! お茶目なところあるんだなってギャップ萌えしちゃった!」


 多分その猫は、彼の使い魔ハルデだ。


「独りでいること多いけど、大きい行事の時とかよく周りを見ててさ〜。その時に腕組むのが良い」


 それは魔女狩りの存在を警戒している時の癖だったような気がする。


「口悪いのも良いよね、罵られたい!」


 言葉遣いが悪いのはそうだけど、本当はとても優しい人だよ。気も遣える、でもすぐに心配してくるところもあるけど。


 私は、彼女たちが楽しげに話すのを見ていて、心做しか優越感に近しい気分でいた。

 この人らが知らない彼を、私は知っている。

 それの何処が嬉しいのかは分からない。分からないが、どうしてか誇らしく感じてしまっていた。何も誇らしく思うようなことではない筈だ。それだと言うのに、私の方が彼に近いのだと自負している。


 私の方が、千田くんを大切に想っていると。


 それと同時に灰色の煙が胸に漂う。

 彼と関わりたい女子ひとがこんなにいるのだと、不快に等しい感情が纏わりついてくる。


「皆は、千田くんのことが好きなの?」


 気が付いたら、そんな言葉を口にしていた。

 瞬間静まり返る。あんなにも彼について語りたいと動いていた口たちが、半開きのまま静止する。

 どうしたのかと視線を巡らすと、一人の子が恥ずかしげに耳を赤くして答えた。


「私たちは好き過ぎるんだと思う」


 好きという気持ちが高まり過ぎたあまり、人として応援したくなる。自分たちのことなんてどうでもいい、本人が幸せならばそれでいい。

 そのような彼女の言葉に、他の子達も大きく頷き肯定していた。


 好き過ぎる、か。

 未だ恋愛的な「好き」という感情が分からない私には、到底考えられないことだ。

 食べ物の好き、教科の好き、家族への好き、友人への好き。

 好きの形は無限にあり、それを一つ一つ言葉にするのは難しい。でもなんとなく、自分自身では分かっているつもりだ。他の「好き」との差くらい自分で判別できる。

 

 でも、彼に対して「好き」という感情が浮かばない。

 代わりに違う何かが胸の中を掻き乱して、どうして良いか分からなくなる。

 一緒に居たい、でも一緒に居ると体の真ん中が窮屈になって、少し辛い。それでも一緒に居たいと思ってしまう。何なのだろう、この面倒くさい気持ちは。こんなものが「好き」なのだろうか。


 彼女たちは、唐突に押し掛けてきたことを謝罪して、私の元から去っていった。でも、私の中のは去ってくれなかった。


 この気持ちをさっさと片付けてしまいたくて、でもそれができなくて、私は意味もなく首の感覚に意識を遣った。


 ・

 ・

 ・

 

「泉の表情を崩してみたい」


 気が付いたら俺は、そうシンに相談していた。

 彼は間抜けな顔になってこちらを見つめ返し、勢いよく立ち上がった。かと思ったが、彼は間髪入れずに俺のネクタイを強く引く。


「気でも触れたか変態魔女」

「んだと黙れメガネ」


 売り言葉に買い言葉のようなやり取りの後、シンはネクタイを掴んだ手を放した。


「咲薇、下心あって泉さんに近づいてんのか?」

「シンなんか勘違いしてね?」


 俺は周りに聴かれないよう、そっと遠回しで言葉の意図を伝えた。

 まず前提として、泉は何があろうと無表情である。

 理由は分からないが生まれつきそうなのだろう。俺と呪いにかかった時も、多少なりと動揺していたが一般人に比べたら冷静すぎる反応だった。

 それからも、襲ってくるのが悪魔だろうが狩人だろうが姉だろうが、取り乱すこと無く平然とあの表情を保ち続けているのだ。まぁ、最近になって笑う確率が上がってくれたのだが。

 その、仮面を付けたような彼女の表情を見てみたいと、好奇心からそう感じたのが原因の発言である。


「ほーん、泉さんの反応ってことか。それならオレも興味あるな。見たことない表情をあげてこう」


 シンが乗り気になってくれたようで、そう返してくれた。


 見たことない表情……声を上げて笑ったり、驚いたりしたのは無いな。怒る、泣く、のも見てみたいが彼女のストレスになるようなことはしたくない。

 後は――と言おうとシンに視線を向けると、彼はニヤニヤと不快な笑顔を浮かべて言った。


「えっちな顔? とか?」

「死ぬ覚悟は出来てるみたいだなシン」


 一瞬の間も置かずに、今度は俺が彼の胸ぐらを掴む。彼は悪びれる素振りもなく、へらっ笑って言った。


「落ち着けって! でも事実だろ!」

「何を根拠にそんなこと」

「考えてみろよ、泉さんの興味ないのか?」


 無いと言ったら嘘になる。が、今はそれが最優先事項ではない。

 解放してやるとシンは、何か妙案が浮かんだらしく目を見開いて、両手をパチンと叩いた。


「泣き顔見る方法、思いついた」

 

 あまり期待はしたくないなと思いつつ、彼はニコニコ笑って作戦を話した。


 ――放課後――


 教室から出てくる泉を待ち伏せし、彼女が今まさに出ようとしたところで、シンが横から驚かしに飛び出した。


「わっ!」


 タイミングや声の大きさはほぼ完璧。だが案の定、彼女のポーカーフェイスは歪みさえしなかった。


「! ……びっくりした、林田くんか」


 驚かした五秒後に、泉はやっと反応する。あまりの鈍さとローテンションに、シンはずるっとその場でコケて見せた。


「びっくりしたって全然じゃん! そんな反射神経だったら魔女狩りに襲われた時、すぐに首引っ掻けないよー」


 彼の言う通りだが、取り敢えず今は置いておこう。このような反応になるのは何となく分かっていたし。

 俺は彼女に「コイツのことは気にすんな」と言っておき、三人並んで昇降口に向かう。


 シンの考えた作戦とは、感動する動画を見せて泉さんの涙腺崩壊作戦、という名前から既に崩壊していそうなものだ。作戦名の通り泉に感動的な動画を見せて泣かせる、というもので、かなり良心が痛みそうである。

 どんな理由であれ、女子を泣かせようとする男子二人組とは如何なものだろうか。ちょっとどころか、かなり申し訳ない。


 シンは適当な理由をつけて、帰宅途中にある公園に寄らせることを成功させる。泉は瞬きを繰り返しつつ、シンの後を追う。


 夏の終盤が照る夕暮れ。

 日陰に集まり、彼は自分のスマホを取り出した。

 泉さんに見せたい動画があるんだーと言いながら、彼は慣れた手付きで動画を開く。画面が横になったスマホを彼女を手渡し、再生させた。

 何を見せられるのかと戸惑いながら、泉は目の前の映像をただ見つめる。


 動画の内容は、事故で下半身を失った子猫の短い一生をまとめたものだった。


 人間の言葉での説明はなく、ただ字幕が静かに流れていく。たまに聞こえる子猫の鳴き声が、とても可愛らしい。

 動画を見ていて、彼女は愛くるしい子猫の様子に時折笑みを溢した。目を細めたり、ふっと微笑んだりするその反応に、思わず俺の口角も上がってしまう。

 動画が終盤に差し掛かったらしい。

 切ないBGMが流れ始め、子猫の容態が急変する。必死にまだ生きようと瞳を開け、か弱く鳴いていた。


 悔しいが、俺も目頭が熱くなっている。この手の動画は大体がお涙頂戴だ。そんなこと分かっている、分かっているが……動物モノは弱い。


 画面が真っ暗になり、終わりを告げる。

 俺は顔を上げると、隣で大号泣しているシンが目に入った。眼鏡を外して、自前のハンカチがぐしょぐしょになってしまうほど泣いている。


「そ、そんなに泣くほどか?」

「ずび……ぐずっ、これ観るといつも泣くんだよ……むしろ何故泣かないのかが分からん……ゔっ」 


 通常の彼と違って、文句の切れ味が劣っている。まぁお陰で涙が引っ込んだから良いか。


 ふと、スマホを持ったまま静止する彼女に視線を遣る。俯いていてピクリとも動かない。


「泉、大丈夫か?」


 俺の言葉でやっと意識が戻ってきたらしく、ゆっくりとおもてを上げた。ふわりとショートヘアの髪を揺らし、こちらに向けた顔には――


「え、あ……ごめん千田くん、大丈夫」


 いつものあの無表情に、取って付けたような涙が頬を伝っていた。それもかなりの量。その表情があまりにも新鮮だった。


 ……ってそんなこと思ってる場合じゃねぇ! コイツ予想以上に号泣してるぞ!?


 俺もシンも勢いよく立ち上がり、彼女の正面に回る。俺は自分のハンカチを取り出し、邪魔する泉の髪を彼女の耳にかけた。

 膝をつき、顔を覗き込む。そっと布を頬に当てようと手を伸ばすと、彼女は目を瞑った。頬を撫でるも、泉は抵抗するような素振りは見せず、むしろ力を抜いて俺に身を委ねる。


 途端に緊張の波が押し寄せ、俺はぎこちなく手を動かした。コイツ、もしかしてわざと俺に拭かせてる……?


 手を離すと、彼女はいつもの無表情になってそこに居た。少しばかり頬を赤くして。


「ありがとう、もう大丈夫だよ」


 そう呟いた後、泉の小さな笑みを浮かべた。それを見て一気に胸が安堵に包まれる。傷つけたのかと、不安になってしまったんだ。


「ごめんね泉さん!! ま、まさかこんなに泣くなんて思ってなくって!!」


 そこへ酷く取り乱したシンが突撃してきた。泉は無表情に戻り、彼を安心させるような口調で優しく言う。


「ううん。私もこんなに泣くんだってびっくりしちゃった」


 良い話だったねと動画の感想まで述べると、シンは更に後ろめたくなったらしく、その場で土下座するのだった。


 ……泉の泣き顔見て、少し興奮したのは内緒だからな。


 ・

 ・

 ・


 どうして私にその動画を見せたかったのかが、よく分からないまま林田くんと別れてしまった。でもそこまで重要なことではないから良いかと、私は考えるのをやめる。


 帰路を辿っている最中、千田くんは腕を組んだまま歩いていた。


「近くに狩人の気配でもするの?」


 そう問うと彼は少し目を見開き、驚いた顔をしてこちらを見た。


「どうして分かった?」

「それ、千田くんの癖だから」


 私くらいしか知らない、貴方の癖だから。

 それは言わずにそっと胸に閉じ込める。彼は無意識だったと呟いて、腕組みを解いた。


 何気なく、今朝の会話が脳裏をよぎる。

 よく知らない千田くんのことが好き過ぎる、と言っていた女子たちに対して感じていたものが分かった気がする。

 そしてなんとなく、この魔女に抱いている感情の正体も。


「ねぇ千田くん」

「どうした」


 歩幅を合わせて歩いてくれる彼は、ちらりとこちらに目を遣った。私は臆病者だから、今は目を合わせられないけれど。


「あまり他の子に余所見よそみしないで」

「……は? なんで?」


 分かってくれなくても良い。今この時は直接的な意味で伝えられないから。


「――――から」


 わざと聴こえない声で言う。困った表情をした千田くんは聞き返したが、私は何でもないと誤魔化した。


 私が嫉妬してしまいそうだから。

 この言葉を伝えるのには、もう少し掛かりそうだ。

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