第11話 刃に映る遊園地

 一学期があっという間に過ぎ、私たち一年生は初めての「高校生の夏休み」に突入しようとしていた。しかしアニメや漫画の世界と違って、夏季課題は生徒が揃って弱音を吐くほどの量だった。

 今も私たちの目の前で嘆いている生徒が一人。


「折角アオハルの舞台の! 高校生の夏休みが! 勉強に染まるなんて! オレは耐えられねぇッ!」

「シンうるせえぞー」


 終業式を終えた私、千田くん、林田くんは今、下校する生徒の波の外れにて立ち話をしている。今日は午前中のみの登校だったため、多くの生徒は浮かれて猛暑の中部活に勤しんでいた。


「林田くん、今日の部活は?」

「休み。体育館、大会が近いバスケ部が占領するから……」


 すっかり魂が抜けてしまった彼は、項垂れながらも説明してくれた。ちなみに彼はバドミントン部に所属している。


 林田くんに、相変わらずの目つきで千田くんが話を切り出した。


「で、話ってのはなんだ? お前の嘆きを聞くだけなら帰るぞ」

「ふっふっふ……実はね……」

「急に笑い出すな気持ち悪い」


 彼のツッコみを気にすることなく、林田くんは眼鏡を光らせて笑った。すると彼は、何処からか取り出した三枚の紙切れを私たちの前に掲げて見せる。


「じゃーん! 不思議と魔法の国・まじかるはてなランドのチケット!」


 水色と黄色のポップな柄が入った紙切れには、その名が表記されていた。


 林田くんが自慢するように胸を張るのも当たり前だろう。なぜなら彼が持つ紙切れは、今や入手困難な代物であるからだ。

 まじかるはてなランドとは、隣の町に先月できたばかりの大規模なテーマパークである。アトラクションの数は勿論、ショーのクオリティの高さにより開園初日から絶大な評価を受けているらしい。名の通り、この世界の不思議を魔法の力(厳密に言えば科学の力)で解明していくという体験型の類だ。イメージキャラクターである「まほにゃん」と「はてにゃ」のデザインが女性人気をかっさらい、グッツは常時在庫切れだそう。

 ……以前テレビで観たから変に詳しいな。


 林田くんは満面の笑みでチケットを差し出した。


「この機会にみんなで行こうよ。泉さんは咲薇と一緒なら、どこに行っても大丈夫なんだよね」

「まぁ、そうだけど」


 ちらりと千田くんの様子を伺う。彼は私の視線に気づき、小さく笑った。


「いいぞ、一緒に行こう」

「よっしゃ! じゃあ計画立てようぜ! このチケットの有効期限は……♪」


 林田くんの喜ぶ様子を見て、何故だか私も嬉しくなった。初めてのする子供だけでの遠出に、わくわくしているのかもしれない。


 話し合いの末、私たちは八月に入ってすぐの日に行くことになった。


 ・

 ・

 ・


 今俺は、彼女の家の前で吃驚するぐらいの緊張と期待に苛まれている。


 遠出の当日。俺は一旦彼女を家まで迎えに行き、その後駅でシンと合流する手筈となっている。が、俺の心臓はどうしてか無駄に脈を打っていた。ただ友人たちと出かけるだけだというのに、変に緊張している自分が不思議でならない。この「不思議」も、あのテーマパークに行ったら解明されるのだろうか。


「あ、おはよう千田くん。朝から暑いね」


 玄関の扉が開き、泉が挨拶の言葉を口にした。咄嗟に返すと、彼女の容姿に思わず見とれてしまう。

 膝下まであるノースリーブの薄い水色のワンピースには、小洒落たレースが施されている。朝の日に当たってとても眩しい。ワンピースに合わせたらしい鍔の大きな帽子が、酷く似合っていた。


「この格好、変?」


 長い時間、見つめていたためか彼女が不審に思ったらしい。両手を広げ、小首を傾げる泉の言葉を慌てて否定する。


「い、いいや。むしろ似合って……ます」

「なんで敬語? ……ふっ、今日も宜しくね」


 瞳を細め微笑む彼女を、意識しない訳にはいかなかった。


 駅前まで遠い上にバスも本数が少ないため、今回は特別に箒に乗せてあげることにした。人目に付かないよう、迷彩魔法を使って空中に浮かぶ。泉は箒に対して横を向きつつ、俺の背中に引っ付いていた。

 今更する説明だが、コイツは人に触れることを厭わないらしい。現にこうして俺と密着することも嫌がらない。俺も比較的、触れたり触れられたりするのに障害を感じることは少ない。彼女は別なのだがな。


 徒歩で三十分以上かかるところ、およそ五分で駅に着いた。そこには既にシンが待っていた。

 一度地面に降りてから迷彩魔法を解除し、シンには片手を挙げて挨拶する。


「お、二人ともおはよ。新幹線はあと十六分後に来るみたいだから、もう切符買っちゃおうか」


 朝に弱いはずの彼はニコニコと笑って言う。どんだけ楽しみにしてんだよ。


 慣れない切符の購入に手間取りつつも、なんとか入手して新幹線に乗り込んだ。中は向かい合うような席となっており、シンと俺が泉の正面に座ることになった。

 夏休みに入ったこともあってか子供連れの人が多く、車両のあちこちからはしゃぐ声が聞こえる。学生だけで出かける人も思ったよりいた。


 目的地までは約二時間。その間、俺たちは菓子をつまみながらテーマパークの順路を確認している。各々が見つけてきた広告やチラシ、完全ガイドブックを使って話し合っているとあっという間に着いた。そこからバスを乗り継ぎ、計三時間かけて魔法の国にやって来る。


 開園して間もなくだったようで、入り口付近は既に混雑している。人混み酔いしそうだな……。


 チケットを提示し、スタンプを押してもらう。門を潜り抜け、太陽の光を眩しく反射するアトラクションが視界に入った。先に入園していたシンと泉に駆け寄り、俺は不本意ながらも胸を躍らせていた。


「じゃあまずアレ乗ろう! 待ち時間もそこそこだし!」


 マップを握りしめたシンの先導の元、俺たちは足を進めた。


 どのアトラクションも待ち時間はかなりあり、長蛇の列をなしている。長い待ち時間を埋めるため、ここのスタッフは頻繁に小さなショーを開き客を楽しませていた。イメージキャラクターの猫たちが踊ったり、列に並ぶ子どもたちと触れ合ったりしている。その中、泉に近づいて来たのは「はてにゃ」と名乗る着ぐるみだった。

 彼女は驚きすぎて固まってしまったが、すぐにぷよぷよ動く可愛らしい着ぐるみに表情を綻ばせる。帽子から落ちる影の下で微笑む彼女はとても愛らしく、レアな笑い方につい釘付けになった。


 数個のアトラクションを周り終えると、丁度シンが見たいと言っていた大きなショーが屋外で始まる。

 魔法使いの見習い役らしき女性たちが、観客を巻き込んで魔法の実験をするようだ。観客席から子供や大人をステージに上げ、割れないシャボン玉を飛ばしたり、生き物のような動きをする紙人形を出したりする。大方は魔法、ではなく科学の力によるものだが素直に驚く実験ばかりだ。


 ……だが所々、気になる箇所が目に付く。


「あれ、千田くんも似たようなことしてなかったっけ」


 ふと右耳から吐息が掛かる。

 目をきらきらさせたシンの隣、無表情の泉は俺の右耳でそう囁いた。ステージ上では磁石を使ってモノを動かす実験がされている。動かすだけでなく、浮かせることもできるようだ。


「エスパイアのことか。あれは周りの空気を圧縮して動かしているから、少し違うな」

「そうなんだ。確かに、鉄以外の物も動かせるしね」


 気のせいか、今日は彼女の口角が上がる確率が高いらしい。俺の答えに対して、泉は気が付かないほど小さく微笑む。それを見逃すことなく、俺は瞳の中のフィルムに焼き付けた。


 彼女とは最近になって親しくするようになり、心の距離も以前より近くなった気がする。それと同時に胸元に宿る、愛おしいという感情に類似したものが以前にも増して燃えていた。恋とはこの事なのか、まだ認めたくない自分がいる。


『さぁ! お次の実験に協力してもらうのは……そこのショートヘアのアナタ! ステージに上がってもらえるかしら』


 女性スタッフの溌剌はつらつとした声が、隣の女子高生に向けられる。泉は辺りを一度見回したあと、自身を控えめに指さした。それに対し、スタッフがマイク越しに大きな声で肯定する。


 ステージの方へ足を向けたとき、彼女は無表情ながらも少しだけ眉根を寄せこちらに視線を遣った。人前に出ることに緊張しているらしく、不安げな様子だ。

 そんな泉を見て、俺は自身の首元を数回だけ軽く叩いてやる。そこは刻印の在る場所。

 感覚と俺の意思が伝わったようで、彼女の顔はいつもの真顔に戻った。


 子供が騒ぎ声が近いステージに登壇すると、彼女にスタッフが近づく。


『さて、お次の実験に使うものはー……先程の実験に使ったこの魔法のナイフ! 実はこれ、ナイフなのにモノが切れないんです! しかーし、呪文を唱えながら布で擦るとぉ?――』


 頬に駆ける、僅かな

 俺は咄嗟に大声を出した。


「伏せろ泉ッ‼」


 瞬間、彼女は地面に伏せスタッフの奇行から回避した。

 騒然となる観客席。大人は子どもを抱きかかえ後退するような動きをみせる。彼等の視線は、ステージ上の少女と女性スタッフに注がれていた。


 スタッフが持っていた古びたナイフは、一瞬のうちにして巨大な鎌へと姿を変えた。これは科学の力でも手品でもない、正真正銘の魔法の力だ。

 鎌は勢いよく真横に振られたらしく、泉の首元を完全に狙っているものだった。刃先には逃げ遅れた彼女の帽子が刺さっており、切れ味を示すようである。

 その場にしゃがみ込んだ泉は、すぐさまステージから飛び降りようとした。だが目の前に刃を突き立てられ、身動きが取れなくなってしまっている。


「おい咲薇ッあれって……ッ!」

「魔女狩りだ、上手く魔力を封じ込めていたな」


 大勢の人の前で魔法を使うことは魔女でも狩人でも、魔法界の法律により禁止されている。この魔女狩りは、罰則覚悟で俺の命を狙っているようだ。


 シンには他の客を遠くに避難させるように指示する。俺は意地でもこの野蛮な狩人を止めなくてはならない。もし、本当に俺と彼女の命が危険に晒されるならば――殺すことだって躊躇うつもりはない。


 狩人が再び鎌を振り上げる。足を竦ませた彼女の位置を確認し、呪文を口にした。


「――チェンジュ!」


 一旦俺と泉の位置を交換させ、目の前に振り下ろされた刃を避ける。さっそく肩を掠めてしまったが気には留めない。

 相手の背後に回り、魔力の塊を打ち込もうと手を伸ばした。しかしその時、狩人が振り返るのと同時に鎌をこちらに振るってくる。これは避けきれないと判断し、簡易的なバリア(正しく言えば圧縮した空気)を真横に出現させた。向こうの力は凄まじく、ボールのように体ごと吹き飛ばされてしまう。

 ステージから落下したが、怯むことなく立ち上がって泉の元へ駆けた。


「いいか泉、絶対に俺から離れるなッ!」


 遠くに逃げている間に攻撃される可能性があるため、今回はすぐ傍に立ってもらう。相手を倒す、つまり戦闘不能状態にさえすればこちらのものだ。彼女が近くにいても、それくらいならできる。

 幸い魔法は呪文を唱えるだけで、大きな動作は不必要。指先の感覚だけでコントロールができるから、彼女に迷惑は掛からない筈なんだが。


 ふと、ステージ上の影が消え目前に現れる。その口元には気味の悪い笑みを浮かべていた。


「守りながら戦うなんて! なんて愚かで阿保らしいの!」


 軽蔑の言葉には反応せず、落下してくる鈍色の刃から一度距離を置く。泉の右手を掴むと、彼女は応えるように握り返した。

 相手はしつこく迫り、巨大な鎌を縦横無尽に振り回す。それはどれも泉の首を狙っていた。


 何の能力も力もない、ただの人間を本気になって殺しに行くとか。ガキでもそんな卑怯な手段は使わねぇよ!


「――クリエイトナイト!」


 呪文を口にした半瞬後、俺の手元には一本のつるぎが握られていた。刹那の重さに耐え、落ちてくる刃へ勢いよく振り上げる。鋭く鳴る金属音が辺りに響き、遠巻きに見ていた他の客たちが言葉を失っていた。


 クリエイトナイトで作り出した武器は形作る時間が限られている。長時間、無理に形を留めようとすれば魔力や体力は根こそぎ奪われるため、時間配分を考慮せねばならない。

 まずは限られた時間の中で、コイツの武器を手放させよう。

 泉とは少し距離を置き、相手が彼女に手を出す前にこちらから間合いを詰める。鎌を振り上げる、狩人の手に狙いを定め刃を振るった。


 子どもの命を狩るのなら、自分の指の一、二本くらい失ったって軽いだろ?


 切れ味の良い刃は、まるで野菜を切るかのような感覚で狩人の中指と薬指を切り落とした。ぼとぼとっと音を立て、血に濡れた指先が地面に落ちる。


「あぁッ……ああああああぁぁぁぁあああああああぁぁぁぁぁぁぁッ‼」


 ガシャンっと鎌が地面に落ちた。魔女狩りの手は既に鮮血で染まり、その雫が地にある鎌を汚す。すぐさま魔法で鎌の魔力を吸い、元の切れないナイフに姿を戻した。


 そして咄嗟に後ろに立つ泉の目元を隠す。この光景は慣れていないとトラウマになり、心に深い傷をつけるのだ。彼女は戸惑ったように俺の名を呼んだが、俺はそのまま目を瞑れと指示した。


 目前の狩人は、右手で二本の指を失った左手を抑え項垂れる。痛みに苦悶の声をあげ、女性特有の甲高い悲鳴を漏らした。


 今のうちに魔力を取り上げよう。そう思い、右手を突き出した次の瞬間。

 狩人が顔を上げこちらに突進した。瞬く間に俺の右手に咬みつき、力いっぱい引き千切ろうとする。


「いッ……てぇなぁッ‼」


 思い切り左足で相手の腹を蹴り上げ、強制的に離れさせた。間髪入れずに魔力を吸収し、狩人の意識を飛ばす。


 ぜえぜえと荒い息を吐き、紅く汚れた地面を片付けた。血と指は原子レベルに分解、転がっている女性スタッフの手は軽い応急処置を施してやる。止血するには時間が掛かるみたいだな。


「千田くん……?」


 呼ばれ、顔をそちらに向ける。そこには両手を胸元で軽く握っている泉がいた。

 だが彼女は、いつもの無表情でなかった。


「その人、生きてる……?」

「あぁ。寝てるだけ」

「手が、真っ赤だよ」


 普段と様子が違うことにもの凄く違和を感じた俺は、彼女に近づこうとする。手を伸ばしたが、触れる数ミリ前で避けられた。


「指、切り落としたんだね……?」


 それはまるで、俺が悪いとでも言いたいような意味に感じられた。


「殺さなかっただけマシだが――」

「そ、んなのっ」


 壊れた機械仕掛けの人形のように震え、彼女は感情のない瞳で呟く。


「殺すのが当たり前みたいに、言わないで」


 怯える子猫はもう一歩後ずさる。そんな彼女に俺は冷静に返した。


「お前の命も狙われていたんだぞ、何を言って」

「それじゃあ魔女狩り向こうと同じじゃないっ」


 途端、思考が弾かれた。彼女らしくない乱れた感情が声に、顔に出ている。それについても勿論驚いたが、それ以上に泉の台詞が予想外だった。


 アイツらと、同じ……だと?


 信じがたい彼女の言葉に、喉が一瞬で凍らされた。何も言い返すことが出来ず、ひたすら息が上がり困惑し、目の前の少女を凝視する。彼女の瞳は酷く濁り、光が見えない。


 彼女はそれから、俺とは話そうとしなくなってしまった。

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