第12話 決意と花火

 あの目は、人を殺すことを怖がっていなかった。


 遊園地に行った日から、もう六日が過ぎようとしている。追いつかない思考と、茹だる暑さによって私は疲弊していた。


『こんにちは、ときのちゃん』


 聞き慣れた心地よい中性的な声が、ベッドに突っ伏していた私の鼓膜を撫でる。私は無意味に考えすぎていた意識を引き剥がし、目を開けた。

 顔を明るい方へ向けると、開けていた窓から黒い子猫が座っていた。


『具合でも悪いのかい? それとも――』


 音を立てずに子猫は入り込み、背筋をスッと伸ばす。赤の瞳を細め、こちらを見つめた。


『――ガキ魔女のことについて、かな?』


 びくりと無意識に体が反応する。虚ろで曇った視界を擦り、彼をやっと認識した。


「ハルデ」


 ひとつ呟くのにさえ体力をごっそり奪われた気がした。

 子猫の姿をした悪魔はそこから私に近づくことなく、じっとこちらを見つめている。


『ガキ魔女の様子がなんか変だなーと思ったら大正解みたいだね。どうしたの、ぼくにできることはある?』


 私は起きる気力がなかったため、そのままの体勢で首を横に振った。すると彼は鼻で溜息を吐き窓の外へと視線を向ける。話くらいなら聞くよ、と優し気に言う彼は三角耳をピクピク動かす。

 悪魔の誘いに私はどうしてか乗ろうと思って上体を起こした。ハルデと向き合うが、今は目を見ては話せないから俯く。


 六日前の出来事を事細かに話す。三人で遊びに行くのをとても楽しみにしていたこと、彼らと仲良くできることが嬉しかったこと、そして――が怖く見えたこと。

 魔女狩りに襲われて、彼が助けてくれた。いつも助けてくれるけど、今回は何かが違かったんだ。

 あの時、私と彼は劣勢だったのだろう。勝つために魔法で作り出した武器を振るい、彼は魔女狩りの指を切り落とした。その後、嚙みついてきた狩人の腹に蹴りを入れて気を失わせた。

 その行為らに驚きがなかった訳ではない。でも、それ以上に怖かったのだ。


 名を呼び、彼が振り返ったあの瞬間。脳内に映ったのは、酷く見覚えのある情景だった。


『見覚えが?』


 怪訝そうに耳を傾ける子猫に、私は頷いてみせる。その光景をうろ覚えながら伝えた。


 彼より少し小さな少年が、上半身だけをこちらに向け口角を上げていた。その足元には、赫に塗れた一つの影が横たわっている。辺りは薄暗く、そして赤く濡れていた……気がする。

 当たり前だがそんな状況に、私は出くわしたことなどない。だから尚更、それにそっくりな状態だった彼に恐怖心を抱いてしまったのだ。その上、彼との価値観の食い違いにも温度差を感じた。


「人殺しを躊躇わなさそうにしていた彼が、ひたすら怖いの」


 彼は過去に、誰かを殺したことがあるのだろうか。

 知りたくはない、でも、知らなくちゃいけない。彼とちゃんと、向き合わなくちゃいけないのに。私はいつだって守られる側で、上から物を言うような立場でない。だから彼の価値観を中心に理解を深めなくてはいけない。でも今私は目を逸らしていて、逃げていて、その度に彼を傷つけてッ――!


「 それ程、ぼくのあるじのことを考えてくれていたんだね 」


 ふわりと頬を包まれる感覚に、自然と視線が上がる。そこには瞳を細め、微笑む美少女がいた。


「嬉しいなぁ。あんな人だけどほんとは良い人なんだって、分かってくれている人がいてくれて」


 彼、いや彼女はスルリと手を離し、私を見上げる体勢になる。ハルデは笑みを消すとこちらをしっかりと見た。


「我が主は今までで殺人を犯したことはない。でも彼はいつか大罪を犯すつもりだよ。死刑だけでは到底許されない、大きな罪をね」

「どういうこと……?」

「存在する魔女狩りを滅ぼし、全ての魔女の家系を途絶えさせる。主はこの小競り合いの元凶を消すつもりなんだ」


 その言葉を否定したくて、脳裏をよぎった彼の発言を口にする。


「でも、あの人は贖罪の為に魔女の家系は途絶えさせちゃいけないって」

「考えが変わったんだ。主なりの贖罪の答えが出たってことなのかもしれない」


 もう、何も言えなかった。

 呆然とその事実に怯えることくらいで、来てほしくない未来を止める自信はない。椿妃さんに願われた、彼の手を引き留める役に臆していた。その引き留める手が誰かの血で汚れていても、私は正気を保ったまま彼を連れ戻せるのか。それとも彼は私の手を振りほどいて殺そうとするのか。


 この首の呪いが命綱なのかもしれない。そう思ってしまった自分にも、恐怖した。


「彼は幼い頃から、普通の人間として生きたかったんだ」


 なんの前触れもなく、彼女はそう切り出す。


「どれほど主が『普通』に憧れていたか、ぼくが一番知ってる。周りの人たちは、いつもボロボロだった主を奇異の目で見て普通の扱いをしなかった。変にお人好しな輩くらいかな、傍にいたのは。そんな中、しん君やときのちゃんに出会って『普通』じゃなくていいと学んだみたいだ。だから」


 ふうっと表情を緩める。悪魔はやさしく囁いた。


「きっと、いや絶対、主は君を傷つけない筈だよ」


 気休めか、はたまた本当のことなのか。私は目の前の悪魔を見つめる。


 彼女の言葉を信じようと純粋に思えた。彼と、千田くんと向き合おうと思えた。

 だって彼は信じてくれていたのに、私が突き放してしまったのだから私から歩み寄って仲直りしなくてはいけない筈だ。それに今、私はあの人にたくさん話したいことがある。それが彼を傷つける結果になっても、嫌われても、ちゃんと話さなくちゃ。


「私、千田くんに会って話をしたい」

「うんうん、そのセリフを待ってた! じゃあ――」


 ハルデはパッと笑顔になり、立ち上がった。するとポケットから丸めた紙を取り出し、手早く広げて見せる。


「花火大会、二人で行ってこい!」


 紙には黒の空に咲く、光の花の写真が大きく載っていた。あぁ、確か昨日からやっていたんだっけ。


「どうせならユカタ? ってやつ着ていけばいいよ! ときのちゃん似合うだろうなぁ」


 自身の右頬に手を添え、だらしない表情になるハルデにこう返した。


「浴衣、持ってないよ」

「えぇ⁉ ニホンジンなら皆持ってるんじゃないの?」


 なんちゅう偏見を持っているんだ、この悪魔は……。


「んじゃ作っちゃおう! えいっ」


 彼女は可愛らしく笑って、人差し指を立てた右手を私に向ける。瞬間、ぽんっと音が鳴って煙が立つ。薄桃色の煙が晴れる頃、私は朝顔の柄が入った白い浴衣を身に纏っていた。

 それを見てハルデは満足そうに頷き、更に私の髪までもいじり始める。

 女子の姿を手に入れて、彼はおしゃれに目覚めてしまったのかもしれない……。


 こうして私は夕方になるまで、悪魔の着せ替え人形になったのだった。


 ・

 ・

 ・


 あの日から音信不通になっていた泉から突然、花火大会に誘われた。どういうつもりなのかは分からないが、確信していることが一つある。


 俺は泉に嫌われている、ということだ。


 彼女は魔女の俺を魔女狩りの輩と同じだと言い捨て、そのまま帰って行ってしまった。事の後始末で俺は追いかけられなかったため、代わりにシンが付き添って行ってくれたらしい。

 念には念をとパーク内にいた全ての人間に忘却魔法をかけている間、俺はどうしても彼女の吐き捨てた言葉が理解できなかった。

 自分の命を、大切な人の命を守るのに相手を傷つけることは不可抗力ではないのか。止むを得ないことではないのか。今まで散々俺たちの首をねようとした敵に、情けをかけるつもりでいたのだろうか。確かに泉は優しく、極悪人でさえ改心させてしまいそうな天使ではある。しかし殺されてしまえば情けも優しさも、意味がなくなる。


 彼女はまだ、他人を恨む気持ちを知らないのだろう。


 辺りはすっかり暗くなり、軒を連ねる屋台の明かりが灯り始める。人も増え始め、笑い声が心を掠めていった。まだ上がったままの気温がうざったく感じる。


 俺が出かける際、外出していた使い魔の黒猫ハルデが帰宅するや否や唐突に「ユカタを着ろ!」と言い、彼に変身魔法をかけられてしまった。その上かなり凝ったモノだったため自分で解くことができない。もしこれで泉が私服だったとしたら、ただの一人で浮かれたダサイ男子校生じゃねーか……!

 何を思ってこんな格好に……それに普通の浴衣ではなく、裾部分に大きな菊の透かし模様が施されている小洒落たやつだ。菊という葬式の花のモノを寄越すとか、アイツやっぱり悪魔だな。


 スマホの時計を確認する。そろそろ来る時間な筈――――


「千田くん」


 待ち望んだ声。

 液晶画面から目を離し振り返る。そこには、周りの人よりも綺麗な佇まいの少女がいた。


「泉」


 彼女はいつもの無表情とは一味違う、したたかな目付きでこちらを見つめている。

 その身に纏うのは、鮮やかな朝顔の柄が入った白い浴衣だ。ショートヘアの髪を後ろにきつく結い、顔の印象がまるで違って見える。


「急に誘ってごめんね」

「……いや、元々ハルデにつれて行けって言われてたし」


 彼女は一瞬目を大きく見開いたが、すぐに「そう」と返す。


「貴方に、謝りたいことがあるの」


 俯かずに真っすぐ俺の目を見た。目付きが悪くなる一歩前の目力で、しっかりとこちらに向き合う。


 あぁ、この曇りのない瞳に、俺は心を奪われたんだった。


 すると泉は思い切り頭を下げる。狼狽する俺を気に留めず、彼女は謝罪の言葉を口にした。


「遊びに行った日、酷いことを言ってごめんなさい。

 先に帰ってしまってごめんなさい。

 連絡に応答しなくてごめんなさい。

 心配をかけて、不快に思わせてごめんなさい」


 ゆっくり顔を上げる彼女の瞳は潤んで、今にも泣き出してしまいそうだ。


「言い訳に聞こえてしまうだろうけれど、あの時の千田くんが、とても怖い別人に見えた」


 両手を胸元で握りしめ、祈るような表情になる。その様が、どうしてか記憶にあった。


「元の貴方に戻らない気がした。私は引き留め方を知らなかったから、つい突き放すようなことを言ってしまって」


 花火が上がる時間らしい。周辺の人がいなくなっていく。


「でも人を殺すのは良くない。争う前にできることって案外あったりするんだよ」


 彼女は歩み寄り俺の片手を掴む。そして泉は俺の手を自身の胸に押し当てた。


「もしまだ怒っているなら、私の意見に添えなければ、今ここで私を殺して」

「なッ何言ってんだ馬鹿ッ」

「私は本気だよ。それに刻印以外での刺殺とかなら、死ぬのは私だけでしょう」

「そういう話をしてるんじゃねぇよッ! 離せ!」


 力強く振りほどき、今度は俺が泉の手を握りしめる。

 俺は何故か頭に血が上っていた。それと同時に、哀しくも思った。額同士が触れてしまいそうなほど顔を近づけ、必死に訴える。


「いいか良く聞けッ。俺はいつだってお前を本気で守って来たッ、それは俺が魔女狩りに狩られたくないからじゃねぇッ」


 これは事実で、俺の本音。


「 お前だから守ってたんだッ 」


 歓声とともに上がる光の花。間もなく地を揺らすほどの音が、辺り一杯に響き渡った。明るく照らされ、はっきりと彼女の表情が捉えられる。その瞳はきらりと輝き、涙は消え、頬は赤く染められていた。


 今まで多くの時間を独りで過ごしていたが、誰かに認めてほしくて生きてきたわけではない。ただ子供ながらに孤独が嫌で、気を紛らわすために他の魔女たちを助けるようになった。だが血筋を知った瞬間、どの魔女たちも俺を冷たい目で見るようになり、助けても礼を言われる所か罵倒される始末だった。

 何度も魔女をやめてやると思った。でも、心の中に残り続けるを捨て切ることが出来ずにいて、今に至る。

 狩人に毎日追われていたため俺はいつだって怪我ばかりで、目付きも口も悪いものだからクラスメイトからは異常なものを見る眼差しを向けられていた。先生でさえ近づかず、小中学生時代は孤独に生きた。でも、そうせねば他の関係のない人を巻き込むことになるから、それでいいんだと暗示をかけて……。


「あの、千田くん」


 はっとして意識が戻る。上目遣いに見遣る彼女は、申し訳なさそうに口を開けた。


「ちょっと暑い」

「す、すまん。その、また怖がらせるようなことを」


 慌てて手と顔を離し、熱が放出される。俺はあまりの恥ずかしさに顔を上げられなかった。

 そんな俺を見て、泉はいつもの抑揚のない声で答える。


「ううん、大丈夫。むしろ格好良かったよ、少しドキッとしちゃった」


 言い終えてから彼女は小さく微笑み、目を細めた。打ち上げられる花火に照らされる泉は、普段より一層綺麗に見える。いや、いつでも可愛いし綺麗だけども……。

 というか今なんて言ったんだコイツは。以前から思っていたが、彼女は平然と恥ずかしいセリフを口にするな……こちらの気も知らずに。天然なのか、普通に耐性があるだけなのか、俺にはよく分からない。


「これで仲直り、だね」


 安堵の声を漏らし泉は表情を緩めた。俺も、仲が戻ったことに安心して肩の力が抜けたような気がする。

 ふと泉は視線を下に向け、ゆっくり上げていった。


「千田くんって浴衣、すごく似合うね」

「あ、ありがとう。ハルデが魔法で勝手に仕立てたものだがな」

「そうなの? 実は私もなんだ」


 なんだって? それはつまり……。


「花火大会の下りは、ハルデに仕組まれてたってことか?」


 あんの悪魔め、一体何を考えてやがんだ。

 心中で彼を睨んだが反対に感謝もした。俺らの仲直りに力を貸してくれていた、ということでもあるからな。しかしあの猫のことだ、他に何か狙いがあって企てたに違いない。


『やーやー少年少女、デートは楽しんでるか?』


 早速ご本人が来てくれたみたいだ。コウモリに似た小さな翼を羽ばたかせ、俺と泉の間に黒い子猫が降り立った。三角耳をぴこぴこ動かし、ハルデはいたずらっ子のような笑みを浮かべる。

 この下りはあんたの仕業かと問うと、悪魔は何故か胸を張って頷いた。


『あ、でも、遊園地の件は知らなかったからね』

「あんたが狩人と繋がってたら転生しても呪い殺してやるからな」

『わー冗談に聞こえなーい』


 そのやり取りを見ていた泉は、クスリと笑ってしゃがみ込む。慣れたように子猫の額を撫でてやり、細めた目で優しく感謝の言葉を零した。


「ありがとうハルデ。でもどうして花火大会に? 直接話すなら、ココより人のいない千田くんの家に行ってもよかったと思うけど」


 純粋に思えば確かにそうだ。わざわざ遠い所、それも人の多いところで話さなくても良いはずである。

 彼女の問いに、ハルデは呆れたような声で答えた。


『君たち口にしなくちゃ伝わんないでしょ、お互いの気持ちをさ。ぼくが仕立ててあげたそのユカタに答えがあるよ』


 彼はそう言うと『続きは二人で楽しんでねー』と捨て台詞を残し、再び飛び立ってしまった。追いかけようとしたが視界に入っていた泉のことを考慮し、伸ばした右手を引き戻す。ここで彼女を置いていく訳にはいかないし、何より折角の時間だ。すぐには手放したくない。


 にしても、浴衣に答えとはどういうことだろう。紙やタグなどのものは無く、どこからどう見ても只の浴衣だが。違いと言えば色と花の柄くらいだ。


「あ」


 何か思い当たったのか、泉が急に呟く。尋ねると彼女はくるりとこちらを向いて、口元に寄せていた右手の人差し指を俺の足元を指し示した。


「その柄、菊の花だよね」

「? 多分そうだが」

「それで私が朝顔……ふふっ、そういうことか」


 泉は一人で微笑み、一人で納得したようだ。答えを教えろとせがんだが、彼女はどうしてか教えてくれずはぐらかしている。彼女らしくない対応に驚きつつも、それさえも可愛らしく見えた。


 花火は続々と夜空に咲き、多くの人々を笑顔にする。

 泉の、自身が咲かせる笑顔に俺もつられて口角が上がった。


 まだ、この人の傍に居たいと思えた夜だった。

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