第10話 魔女の姉

「お願い聡乃ちゃん! 私とデートして!」


 帰宅途中の私に、そう言って頭を下げてきたのは千田くんの姉・椿妃さんだった。


「えっと、それはどういった思惑で……?」

「思惑も何も、そのまんまの意味よ! お願い! 今から!」

「今からですか……」


 期末考査を終えた私は、昼間の明るい帰路を辿っていた。勿論、後ろには千田くんがいる。突拍子もないことを言い出した自分の姉に、彼はわざとらしく大きな溜息を吐いた。


「姉ちゃん、まさかじゃないと思うけど今日の仕事休んだ理由って」

「聡乃ちゃんとデートに行くためよ!」

「大の大人が何してんだよ」


 呆れすぎてもう言葉も出ない千田くんに、椿妃さんは可愛らしく怒ったような表情になった。彼女は時々、心の成長が子供のままで止まっているような言動をする。大人な女性の見た目とは裏腹に、はしゃぎ声をよく出して笑っていた。弟である千田くんの方が、時折大人な対応をする。

 数分の相談の後、結局千田くんをおいて椿妃さんと(彼女曰く)デートに行くことになった。なんかごめんね、千田くん。


 荷物はあってないような物のため、このまま真っ直ぐカフェに向かった。ここらでは珍しい、古い純喫茶だ。

 店内は思いの外、空いていたため待つことなく席に着くことができた。彼女はコーヒーとモンブランを、私はアイスティーを注文する。


「咲薇とは上手くやってる?」


 テーブルに両肘を付き、彼女は穏やかに尋ねてきた。先程の子供っぽさから一転し、大人の余裕さを感じさせる雰囲気だ。艶やかな長髪が店内の照明を綺麗に反射している。

 私は逡巡した後、こう答えた。


「上手く、はやっているのか分からないですが、彼には助けられてばかりです」

「それがあの子の仕事だもん、当たり前よ」


 優しく微笑む椿妃さんは安心したように返した。


 ふと、私は心に引っかかる悩みを口にする。「このまま赤の他人でいられることができるのだろうか」と。

 それは以前から心中で濁っていた澱。彼と共に過ごす時間を重ねる度、彼のことについて知る度、澱は量を増して私の心をどんどん不透明にする。はじめの、あの約束を守ることができなくなっているような気がして仕方なかった。

 しかし、千田くんが昼食を一緒に食べてもいいと言った時はひどく驚いたものだ。約束を自ら破るような言動には戸惑わずにはいられなかった。彼はそれで良いと思ったからした言動だったのだろうが、私は引っかかりを覚えたままで今に至る。

 私はどうしたいのか、分からない。千田くんといっそ仲良くなってしまえば良いのか、このまま微妙な関係を続ける方が良いのか。それらが正解なのかも分からない。


 そこまで一気に吐き出すと、向かいに座る椿妃さんは笑みを浮かべたまま言った。


「少なくとも、あの子は聡乃ちゃんに近づきたいと思っている筈よ」


 彼女の言葉に私は、ぽかんとして返すことができなかった。彼が、私に? どうして?

 俄かには信じられない言葉を何度も咀嚼するが、一向に私は嚙み砕けなかった。脳裏によぎるのは、口の悪い物言いで注意してくる彼や苦しそうに戦う彼ばかりだ。


「あなたにはまだ理解できないかもしれないわね。でもいつか必ず分かるわ、咲薇の気持ちが」


 その言葉の意味を、今の私はやはり飲み込めなかった。


 注文した品物がテーブルを彩ると、少しだけ空気が和んだ気がする。無駄に冷えたグラスに揺れるアイスティーは透き通り、半透明の氷が照明に照らされキラリと輝く。夏の匂いがした。


「今日、聡乃ちゃんをデートに誘ったのは理由があってね……私たちの両親について、家系について話しておかなくちゃいけないことがあるの」


 和やかな笑顔が消え、彼女の表情は神妙なものになる。アイスティーを一口含んだ後、私もしっかり椿妃さんの目を見た。

 千田くんの両親といえば、彼が幼い頃に魔女狩りによって殺されてしまったということくらいしか知らない。それに亡くなったショックからなのか、彼はあまり話したがらなかった。家系について知っていることは一度、彼が『抜け駆け魔女の末裔』と狩人に言われていたことくらいだ。その意味はよく分からなかったが、何か昔にあったのかもしれない。


 数秒の沈黙。彼女は意を決したように重い口を開けた。


「咲薇の、私たちの母親はの」

「……え?」


 目を思わず丸くし、その後の話を黙って聞いた。


「父は本当に亡くなったけれど、母はまだ生きている。でも咲薇が死んだといったのは、母親。咲薇の知っている母は、もういないの」


 彼女の話によると彼が幼い頃、彼の母親は魔女狩りによって洗脳され、魔女の魔女狩りになった。


 元から魔力の強い家系だった千田家は昔、魔女戦争の時に仲間を裏切ったそうだ。裏切った詳しい理由は不明だが、一抜けして戦火から逃れた一族は総じて『抜け駆け魔女』と呼ばれることになる。戦後、生き残った魔女と狩人の蟠りわだかまりが解けぬまま平穏な世界に突入し数十年。度々起こる狩人との争いから身を守るため、魔女は一度団結を取った。しかし千田家は他の魔女たちから距離を置かれ、酷い仕打ちを受けたそうだ。孤立を余儀なくされた彼らに近づいたのは、敵である魔女狩りだった。


「母はまんまと狩人に騙され、洗脳されて父を殺した。『私たち一族は異端な生き物だ』と叫んでは、咲薇や私をも殺そうとしたの」


 娘や息子を殺そうとしたその時、彼は痛感したのだろう。自分の母親は魔女狩りに狩られ、もう死んでしまったと。


 そんな狂った母親を止めたのは、千田家の契約悪魔であるハルデだったらしい。彼は子供たちを守り自ら契約を無理に切って母親の魔力を一時的に奪い取ったそうだが、彼にかかった負荷は大きなものだった。

 契約した悪魔にとって、契約者である魔女の家系は自分の命と同様。自殺行為に値する彼女の行動は、止めなくてはいけないため止むを得ないことだった。その代償としてハルデは莫大な魔力を独りで抑えられず、暴走の一歩手前に立つことになる。そこで千田くんが自分と契りを交わすように言ったそうだ。自ら、魔女として生きることを選ぶことにした。


 これが彼の原点。

 彼の存在理由だと、椿妃さんは言った。


「……分かって、くれたかしら」


 力なく口角を上げる彼女を見て、私は喉につっかえたものが取れた。彼の戦う理由が罪の償いと仇討ちということが判明して、納得した自分がいる。彼ならやり兼ねないとも思えた。


 ただ不安なのは、彼の辿り着く先が母親を殺すことになってしまわないか、ということだ。

 千田くんの魔女狩りへの怒りや憎悪は並々ならぬもので、加減が分からなくなってしまう時が垣間見える。たしか子供の魔女狩りだろうが容赦はしないとも言っていたはずだ。

 どんなに憎い相手でも、親は殺してはいけない。私はそう思っている。でも私は殺意が湧くほど他人を憎んだことがないから、彼の気持ちを端から端までは理解できない。それが、どれほど高い壁であるか……。


「聡乃ちゃん、前言えなかったお願いがあるの」


 無意識のうちに項垂れていたおもてを上げる。彼女は困ったように眉根を寄せていた。


「咲薇の傍にいてあげて。私は経済面でしかあの子を支えられない、踏み誤った時にあの手を引き留められない」


 こんな姉じゃダメよね、と笑う椿妃さんは綺麗な瞳を細める。

 私は迷わずに応えた。


「千田くんのことなら、できる限り傍にいるようにします。それと、椿妃さんは本当に優しくて面倒見が良くて……ダメなお姉さんなんかじゃありません」


 その言葉に彼女は目を丸くしたが、構わず続ける。


「私はまだ全然、千田くんについて知りません。だから椿妃さんが教えてくれませんか、ご迷惑でなければ……」

「ふふっありがとう。そんなこと言ってくれる子なんて、あなただけね。もちろん咲薇のことなら何でも聞いてちょうだい」


 あたたかな笑顔を浮かべ、彼女は優しく言う。私もつられて、いつの間にか表情を緩めていた。


 その後は椿妃さん自身のことも教えてくださった。魔力が弱すぎるため、私と千田くんの首元に刻まれている呪いや悪魔の姿のハルデが見えないこと。彼があまりにも報告しないから、知らないうちに彼が吸血鬼と関係を持つことになっていたこと。今でも時々、狩人に襲われること……。彼女は包み隠さず話した。


 あぁ、椿妃さんは私に心を許してくださっているのだな。


 心の中にある空っぽの小瓶に、音を立ててその言葉が入り込む。嬉しい、のかもしれない。誰かに信頼されて、心を通わせるということが出来て。

 私は生きている中、家族以外で誰かに極端な感情を露わにしたことがない。他人の前で表情を変えるのが、どうも怖かったからできなかった。いつも無表情な私に自ら歩み寄ってくれたこの人は、心の底から信じていい人だと確信できる。


「じゃあ、これからも私と咲薇をよろしくね、聡乃ちゃん」


 右手をテーブル越しに差し出される。


「はい、こちらこそ」


 私は照れながら、魔女の姉と握手を交わした。


 ・・・・・・


『えー! デート⁉』


 柔らかそうな猫耳を真っすぐ立たせ、悪魔は心底羨ましそうな声を上げた。


 帰宅途中、突如として現れた自分の姉に呪いの相手を攫われしまい一人で自宅に着いた俺は、子猫の状態の悪魔にそれを話している。デートがどうのこうのより、俺は姉ちゃんが変な気を起こさないかで不安だ。彼女は初対面でも構わず抱きしめに行くほどのコミュ力の持ち主だから、泉のことが気掛かりでしかない。

 一方ハルデは床に寝転がり、じたばたと手足を動かし駄々をこねている。


『ぼくも行きたかったー! 今からでも遅くないよね!』

「何言ってんだバカ、邪魔する訳にもいかねぇだろ」

『大丈夫! 女の子に化ければいいんでしょ!』


 そう言うと悪魔は、俺の目線ほどまで床から高く跳ねた。ジャンプの最高到達点に着くと、前方に一回転し一瞬で姿を変える。音も立てずに着地する頃には、既に一人の女子高生が立っていた。

 見た目は悪魔の姿と大差ないが、髪は長くなっており後頭部で一つに結ばれている。頭上の猫耳は隠しきれておらず、側頭部の髪が跳ねているように見えた。すらっとしたシルエットが纏うのは泉と同じ制服で、気のせいだと思うが異様に胸が大きくなっている。


「よしっ!」

「何も良くないが」


 何故か自信満々で外に出ようとした彼を止める。どんなに見た目が可愛らしくなっても、彼女たちの交流を邪魔してはいけないのに変わりはない。


 確かに姉たちが何を話しているかは気になる。だが、一時的な好奇心のためだけに彼女らの信頼を水の泡にするのは嫌だ。それに、女子の会話を盗み聞きする趣味など俺にはない。


「えーそしたら、ぼくだけ行くよ」


 鈴のような可愛らしい声音になったハルデが提案するも、俺は「そういう問題ではない」とばっさり切ってやる。不満そうに頬を膨らませる彼を見て、不本意にも可愛いと思ってしまった。


 テーブルに置いていたスマホが震える。すぐさま手に取ると、画面には彼女の名前が表示されていた。


「……もしもし」

『あ、もしもし千田くん? 今終わったから、迎えお願いしていいかな』


 落ち着く、丸みのある聞き慣れた声。泉の抑揚のない声音が鼓膜をくすぐると、俺は咄嗟に返事をした。彼女は優し気に「よろしくね」と返し、電話を切る。その後少しだけ意味もなく、ぼうっとしていた。

 どうやら一瞬だけ、泉の声に聞き惚れていたようだ。やはり俺は、彼女のことを――


「ガキ魔女ー? 女の子のこと待たせちゃダメでしょ、ほら行くよ!」

「ちょっ、引っ張るなっ」


 ハルデに右手首を掴まれ、転びかけそうになりながら彼女を迎えに行った。



「お、来た来た! ……って誰だあの子」


 言われた喫茶店の出口には、長い茶髪の姉と無表情な泉が並んで待っていた。二人は俺の隣を歩く女子高生を見て、揃って首を傾げる。彼女たちの前に立つと、さらに不思議そうな顔をした。


「もしかして、ハルデ?」

「さすがときのちゃん! 大当たりだよ!」


 自分の正体に気付いてもらえて嬉しいらしく、ハルデ(じょしこうせいのすがた)はピョンピョン跳ねて彼女に飛びつく。俺が軽く説明してやると、二人は納得したような表情になった。


「へぇ、悪魔って凄いね。ハルデくんじゃなくてハルデちゃん、かな?」


 姉の言葉に彼、否、彼女は得意げに胸を張って見せる。大きく揺れる胸に、俺は思わず目を逸らしてしまった。……俺には少々シゲキが強いみたいだ。

 すると姉ちゃんが両手を叩き、ぱっと笑顔になって提案する。


「そうだ、折角その姿になったなら私とお茶してかない? あなたには聞いておきたいことが山ほどあるの」

「行く行く! 行きたい!」


 お茶という単語を耳にすると、ハルデは隠していたつもりであろう猫耳を垂直に立たせた。おい、人がいないからって気を抜きすぎじゃないか。


 そんなこんなで、姉ちゃんは悪魔を連れてカフェをハシゴすることにし、俺は泉を家にまで送ることとなった。

 いつものように彼女を先に歩かせようと、一歩下がる。しかし泉は一向に歩き出そうとしないため、不審に思って視線を向けた。


「どうかしたか」

「えっと、今日から隣に立ちたいな……って思って」


 予想だにしなかった彼女の言葉に、思わず目を見開く。泉は俯き、上目遣いになってこちらを見てきた。


 な、何を血迷っているんだコイツはッ……⁉ 姉ちゃんに何か悪いことでも吹き込まれたのか? それとも約束を諦めたのか? どちらにせよ、今俺はどう答えれば正解なんだッ?


 脳内で緊急会議を開きかけたところで、泉が冷静な口調で理由を説明した。


「あの約束、私は守れる気がしなくて。だから赤の他人はもう辞めにしたいの。だめ、かな」


 今度はしっかりと目を見て言い、真剣そうな顔で言う。俺は一旦落ち着きを取り戻し、見つめ返した。


 あの約束。

 俺と関わったために命を狙われることになった彼女に、普段と変わらない毎日を送ってほしいことから提案した約束。本来ならば、彼女は俺と交わることなく生きる筈だった。だから、俺と関係を持っていない状態に近い日々を送らせるつもりだったのだ。しかし実際、俺は彼女に心を奪われ、彼女もまた俺に近づこうとしている状況になっている。

 ……確かに、俺も約束を守れる気がしないな。


 俺は自然と上がった口角に気が付かない振りをして、泉の願いを聞き入れた。


「わかった。ただし噂されても、勘違いされても文句言うんじゃねぇぞ」


 嫌味で言ったつもりだった。しかし彼女は、表情を変えることなく平然と言ってのける。


「 私、千田くんとなら勘違いされてもいいけどな 」


 一瞬にして頬が赤く染まり、熱を帯び始める。耳までもが発火したように熱くなってしまった。


 コイツ正気なのかッ……⁉ いやただの天然? もしや俺で遊んでいるのか? 表情が無いから読めないし分からない。本気で言っていると思えなくもないが、もし本気だったとしたら俺の頭が文字通りパンクしてしまう。


「大丈夫? 顔、真っ赤だよ」


 無表情のまま心配そうに覗き込む彼女から耐えられず、俺は顔を背けた。近づこうとする泉を片手で制し、気持ちが声に滲み出てしまわないようにと声を出す。


「あ、暑いだけだ……! 今の顔だけは見ないでくれッ……」

「そうなの、ごめんね」


 彼女が離れたことを察してから態勢を整えた。ふと、下を向く泉の表情が視界に入る。悪いと思いつつ少しだけ横目で確認すると、彼女は珍しく極端な感情を表に出していた。


 嬉しそうに微笑みながらも、頬をほんのり赤らめさせていたのだった。

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