第6話 この気持ちは

 現世界に戻り、護衛を頼んでいた悪魔と呪いの相手の様子を見に行くことにした。任せたのはハルデだから、相当バカでアホな魔女狩りでなければ戦闘にならない筈なんだが。


「……どうした、その顔」


 駅にいると連絡を受けて来たら、そこには満足そうにニコニコと笑う悪魔がいた。その隣にはいつも通り無表情な泉と、ロープでぐるぐる巻きに拘束された男が立っている。

 こんな人の多いところで、成人男性を縛り付けている女子高生とは何なのだろうか。


「おっかえり〜♪ 遅かったねぇ」

「千田くん、おかえりなさい」


 しかし二人は何も無かったかのように、普通に挨拶してきた。大丈夫か、この二人。俺がいない間に何があったんだ。


「え、あぁ、ただいま……で、どういう状況だ。また魔女狩りで遊んだのか?」

「むぅ、別に遊んだっていいじゃないか」


 機嫌の良い顔を少し歪めさせ、ハルデは文句を言う。隣の泉は、こてんっと首を傾げさせ「また?」と聞き返した。

 ハルデはよく、俺を襲う魔女狩りで遊んでいた。遊ぶというよりかは、苦しんでいる様子をクスクスを見るというか。まぁ趣味の悪いことだ。


 彼の話を聞くに、この魔女狩りを途中まで優勢にさせた後、思い切り煽ってやる。怒りが魔力に通ずる瞬間に相手の攻撃を無効化させ、すっきりしない状態を馬鹿にする。……いつもやっている手口と変わらないじゃないか。


「この子ねぇ、わざわざ異空間に連れて行って戦おうとしてたんだよ〜」


 異空間? こんな奴がそこまでの魔力を?

 縛り付けられている男は項垂れていて、顔や表情がよく見えない。俺はしゃがみ込み、男の顔を覗き込んだ。


 ふっと記憶が蘇る。この人、もしかして。


 俺の違和感に気がついたのか、男を支えて立っている彼女が声を掛けてくる。


「知ってる人?」

「まぁ、な……ハルデ、相手が誰だか知ってて戦ったか?」


 問うと、間が抜けたような声で「知らなぁい」と返ってきた。まるで、もう彼に興味がないと言っているようだ。

 泉が誰なのかを追って訊いてきたため、手短に説明する。


「この人は魔女狩りだけど、魔法省側の人間だ。つまり、魔女と魔女狩りの平和的解決を目指す人」

「ちなみに身分はかなり高いよぉ〜♪」


 重ねて補足するハルデを少し睨む。なんだよ知ってるじゃねーか。

 それを聞いた彼女は瞬きを数回し、男に視線を向けた。


「私たち、まずいことしちゃった?」


 無表情な上に抑揚のない声で呟く。彼女には感情という感情がないのだろうか。


 泉の呟きに俺はかぶりを振った。

 確かに彼の身分は高い。その上、魔法界を統率する魔法省に務める奴だ。しかし最近している行為により家から見放されており、誰もこの人を庇うような人はいないのだ。

 魔女戦争以来、必ず彼のような人は存在していた。魔女を憎みつつも、平和的な関係を築きたいという我儘な人間。だがそんな彼らのちいさな働きかけによって、一時は魔女と魔女狩りの関係は改善されそうになったことがある。まぁそれも、全て水の泡になったがな。


 彼は近頃、魔法省が持つ魔女たちの情報を盗み出し自身で分析していたそうだ。それも一度だけではない、何度も繰り返した。その度に罰を下され、周りの信用を失った。結果、魔法省はクビになり家からは追い出されてしまったのだ。


 それを、俺は決して可哀想だとは思わない。


 勝手に「平和的解決」なんてものを掲げて、妄言を吐いて、たくさんの犠牲を出した彼らには、慈悲なんてものを与える義理はない。俺ら魔女たちは助けなんて求めてなんかいないんだ。


 そこまで言って、泉が口を開いた。


「でも、魔女あなたたちは困っているでしょう」

「……なに知った気になってんだ」

「それは事実じゃないのかい? いっちょ前にカッコつけて滅んだって、ぼくは知らないからね」


 泉に対して言った刺々しい言葉を、ハルデがばっさりと切った。思わずギロリと彼を睨めつける。

 格好つけるだなんて、かなりのことを言ったな。


 魔女おれたちは、誰からの助けを得る訳にはいかないのだ。

 悪魔に魂を売る、血の契約をする、それらは己の祖先が行ったこと。即ち、この過ちは祖先が犯したことだ。魔女の末裔たる者ならば、祖先の過ちを、罪を償わなくてはいけない。その責任がある。

 誰かからの力を使って償う罪など、そんなもの端から罪などではない。俺たちの抱える罪は、凡人の考える罪より遥かに重い。


「罪の償いを途絶えさせてはいけない。だから、魔女を途絶えさせてはいけないんだ」


 きつい目付きで彼らに訴える。ハルデは呆れたように笑い、泉は腑に落ちないような表情をしていた。理解を得ようとは更々思っていない。所詮、彼は魔力を提供する存在にすぎず、彼女は呪いの相手でしかないのだ。


「……ぅう……?」


 呻きと共に、男がもぞもぞと動き始めた。ゆっくり瞳を開けると、周りの様子を見て数センチ跳ねる。


「なッ! ま、魔女ッ!!」

「そうですけど、何か」


 不機嫌に答えると、男はぐっと唇を噛んだ。そして俺に顔を近づけ――


「こんな、勝手なことをして……すまなかった」


 深々と頭を下げた。

 拍子抜けして、つい首を傾げる。


「サクラという人が今、最も狙われている魔女であり只の人間と繋の呪いにかかっていると知って、彼女を保護しようと……」

「あの、ここで話すのはちょっと……。場所を移しませんか?」


 泉が優しく言い、男が顔を上げる。周りからの視線がすごいので、俺たちは近くの公園に移動した。


 ・

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 公園に着き、私がロープを解くと男性は感謝の言葉をくれた。

 辺りは既に暗い。時計の針が七時前を示している。


「……てことは、貴方はなのですね」


 千田くんの冷たい声音が聴こえる。

 男性はベンチに腰掛け、私たちは彼を囲うように立つ。逃げる可能性もあると彼は言ったが、私にはそう感じられなかった。


 偽善者という単語に、男性は生気のない声で「その通りだ」と肯定した。どうしてだろうか、胸がズキリと痛む。


 この人は、本当に偽善者なのだろうか。

 自分の意思で魔女たちを救おうと尽力していた。クビになっても、家から見放されても、こうやって救おうと来てくれた。そんな人を偽善者呼ばわりにするのは違う気がする。

 でも、千田くんの主張も分かる。

 先祖が犯した罪を償うのに、第三者が首を突っ込むのはとても迷惑なはずだ。それも、責任感の強い彼となれば余計だ。


「もう二度と、俺たちの問題に首を突っ込まないでください。あなたに救われる義理はないです」

「だ、だけど君は子どもだろう? いくら魔力が強いとはいえ、無理が……」


 そう言い欠けると、ガンッと何かがぶつかるような鈍い音が鼓膜を殴った。驚いて、自然と下を向いていた顔を上げる。


 座り込む男性のすぐ右側、千田くんはいつの間にか呼び出していた箒の先を突きつけていた。ベンチには、へこんだような大きな窪みができている。


「――俺は独りじゃない。

 それに貴方が悲観するほど俺は苦しんでなんかいないです」


 妙に低い声が、びりびりと空気を痺れさせる。男性は目を見開いて肩を強張らせていた。


「おいガキ魔女、そろそろ時間がやばいぞ。ときのちゃんを帰さないと」


 彼の声とは対照的な高い声が揺れる。ハルデは私のことを親指で指さして、千田くんに帰宅を促した。

 肩越しにこちらを見ると、彼は箒を下ろす。しゅぱっと手元から箒が消えると、千田くんはすたすたと私の方に歩んだ。


「あとお兄さん、言っておきますけど」


 隣に立つと、彼は私を思い切り抱き寄せ――


「 貴方が思っているより、俺はしているんですよ 」


 彼の表情は分からなかった。

 一体どんな気持ちで、どんなつもりで、

 その言葉を口にしたのだろうか。


 今の私には、到底わからないだろう。


 ・

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 目を覚ますと昼だった。

 酷く疲れ切っていたようで、かなり深く眠ってしまっていたみたいだ。


 連休三日目。天気は晴れ。

 スマホの電源を入れると、待受画面には大量の不在着信の通知が入っていた。それはどれも千田くんからで、きっちり一時間おきに電話してきている。

 寝起きだが慌てて折返しの電話をかける。

 電子音が何度か鳴ったあと、無愛想な「もしもし」が鼓膜をくすぐった。


「千田くんごめん、電話出られなくて。今起きたところなの」

『謝んなくていい。こっちもしつこく連絡して悪かったな』


 変に落ち着いて聴こえる。その違和感に、私は思わず尋ねてしまった。


「……泣いてる?」


 たっぷり三秒くらいの時間を使って『は?』と聞き返された。あ、やっぱり通常運転だ。


「なんでもないよ。どうかしたの? 急ぎ?」

『いや、特に何も……』


 消え入りそうな音と返答に、電話越しにもかかわらず首を傾げる。用もないのに鬼電してきたの? この人は。


『昨日のあれ、冗談だからな。真に受けるなよ』


 一瞬なんのことなのか理解できずに黙ってしまったが、ふっと記憶が蘇る。あぁ、している、のことか。


「大丈夫だよ、信じてはないから」


 少し彼が黙ってしまう。あれ、なんか私おかしいこと言っちゃった?


『……そう、ならいい』


 あからさまに元気でなくなっている。やっぱり何か誤解されてるかも。

 黙りこくってしまったため、少々焦って口先で言っていた。


「ち、千田くんは宿題って、終わってたりする?」

『いや、まだだけど』

「なら良かった、私もなの。だから、その……」


 なぜか言い出すのがちょっと苦しい。でも、いい機会なんだし。


「私の家でお勉強会、しない?」


 ・

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 電話を切ると、俺の目の前でこちらをニヤニヤと見ていた悪魔が口を開けた。


「えーナニナニ? そんなに顔真っ赤にさせてさぁ?」

「うるさい。準備するから退いて」


 ハルデを押し退けてスクールバッグを乱暴に掴む。中の筆箱やノートの騒ぐ音が、俺の心中を具現化しているような気がして尚更ムカつく。その上、俺の周りをふよふよと鬱陶しく飛び交うハルデにもなぜかイライラしていた。


 すると彼が面白がるように話し掛けてきた。


「もしかしてもしかすると、千田クン嬉しい? 気になっている子にお家デートに誘われて♪」


 それを聞くなり思わず彼に掴み掛かる。


「何を勝手に勘違いしてんだこの野郎。誰がアイツを気になっているって? あとデートじゃねぇ、だ」

「そんな真っ赤な顔で言われても、これっぽっちも怖くなんてないよ♪」


 そう言われてしまい、俺は睨みつけたまま手を離した。

 悪びれる様子もなく悪魔は、余計に楽しそうに気味悪く笑っている。コイツの手玉になってしまえば駄目だ、あるじ失格に等しい。


 家を出て無意識に、自分の頬に触れた。すごく熱いがこれは夏の暑さのせいだ。多分。


 ・ ・ ・


「いらっしゃい。あなたが咲薇くんね、外暑かったでしょう」


 泉の母親が玄関のドアを開け、招き入れてくれた。彼女とは打って変わってにこやかな表情を欠かさない人だ。一応ちゃんと自己紹介をして挨拶をする。


「ごめんねぇ。まだ部屋を片付けてなかったみたいで。あの子、あぁ見えて少し抜けているところがあるから」


 彼女にそんな一面があったのか、知らなかったな。

 泉が二階で慌ただしく片付けをしている間に、俺はダイニングにて冷たい麦茶をいただいていた。そして彼女の母親が、なんの前触れもなくクスリと微笑む。


「どうかされましたか」

「実はあの子、表情を作るのがニガテなの。でもここ最近、前より表情が柔らかくなっているような気がするのよ。それってもしかしたら咲薇くんのお陰なのかなって思って」


 そう言われ、俺は俯いてしまった。


 以前から気にはしていたが、彼女……泉は呪いに関して何も文句を言っていなかった。突然知らない男子高生と体の一部の感覚が繋がってしまった上に、命まで狙われてしまっているのだ。あまりにも理不尽で身勝手な運命に対して、彼女は何も言わない。それがとても不思議で仕方なかった。


 本当は、嫌で嫌で苦しかったのではないかと、そう思って仕方なかった。


「ところで咲薇くんと聡乃の関係は――って訊いちゃいけないわね」

「ただの友達だって言ってるでしょ」


 声のした方へ視線を向けると、相変わらずの無表情でこちらを見ている彼女がいた。半袖にキュロットスカートと、男子の前ではかなりの無防備な恰好である。


 軽く会釈をしてその場を立ち去り、泉の後ろについて行く。この家、見た目の割には広く感じるな。片付いているせいか。


 二階には部屋が一つしかなかった。そう、彼女の部屋だけ。


「あ、お茶忘れた。中で少し待ってて、すぐ戻るから」


 泉は言い残して階段を下りていった。

 入って、良いんだよな……?


 とはいえ以前、彼女を悪魔から救うために飛んできたとき、さらりとこの部屋に入ってしまったことがある。そのときは命が危険に晒されていたから、それどころではなかったのだが。

 俺も女子なんかの部屋に入ったことなど姉くらいしか無いため、どうも気持ちが落ち着かない。それに、男子たる者みな女子の部屋に入ることは緊張くらいするだろう。


 恐る恐るドアを開け、一歩足を踏み入れる。彼女の匂いが鼻孔をくすぐった。


 部屋はかなり広いが物がほとんど何もない。無駄に大きい書架と窓際にベッド、中央に簡易的なテーブルがあるくらいで、後は特に何もなかった。とても変に広く感じ、窓からのぞく外の景色が唯一のいろどりだ。


「女の子らしい部屋じゃなくてごめんね」


 ふと、真後ろから声を掛けられちょっと驚く。

 彼女は俺になんの謝罪をしたんだ? 謝る必要性はないはずだと思うが。


 泉はトレーに乗せられたコップをテーブルに置き、掌で自分の向かい側に席を勧めた。とりあえず座り、バッグをすぐ傍に置く。彼女はテーブルの下から筆記用具などを取り出し、準備を始めた。


「私、てっきり終わらせてると思ってた。千田くんも後回しにしちゃうの?」

「まぁな。課題をしている暇があったら他の魔女たちの助けに行くし、魔女狩りの情報収集に費やす。基本、これは提出する日の朝に魔法を使って終わらせるな」


 手短に説明すると、彼女は無表情で「いいな」と呟いた。なんだよ、そう言うならもっと羨んだ風に言えよ。


 俺は今まで生きていて勉強というものをちゃんとしたことがない。テストや模試、受験は魔法を使って答えを丸写しにしたし、レポートや発表は他人の脳内にお邪魔してパクった。そういう点、魔法はとても便利だなと思う。

 だが、そもそも魔法は周りの環境を変化させるだけで、特定の能力や才能が飛躍的にレベルアップさせることはできない。例えば頭が良くなる、運動神経が良くなる、透視能力を得るなどのことはまず不可能。他にも誰かの能力を上げたり下げたり、直接死を望んだりすることも無理だ。あくまで魔法は「周りの環境を自在に変化させられる」ことができる。


「思っていたより、魔法ってなんでも出来たりしないんだね」

「そう、どこぞのマンガみたいなチート能力なんて端から存在しねぇんだ」


 お茶を一口ふくむと、泉は改めて訊いてきた。


「……じゃあつまり、千田くんって勉強できない人?」


 それに対して、俺は迷いなく首肯してみせた。どうしてだろう、無表情であるはずの彼女が呆れたような顔に見えたのは。


 それからはワンツーマンで泉に基礎から教えてもらっていた。いいと断ったが、彼女は「なんかムカつくから」という理不尽な理由で俺に講座している。なんか、コイツの機嫌を損ねてしまったかもしれない……。


 悔しいことに泉の教え方はとても分かりやすかった。掛け算九九さえもまともにできない俺に、ひとつひとつ丁寧に教えてくれる。なんなんだ、コイツは天使か女神か?

 でも足し算、引き算、掛け算、割り算くらいは暗算でできるようになれと叱られた。


 話を聞くに、彼女は二年生になったら理系コースに進むそう。将来のために、今から考え用意しておかなくてはいけないと言う。夢について尋ねたら真顔で「内緒」と言われてしまった。


「千田くんは、大人になったら何になりたいの?」


 彼女の問いかけに、一旦シャーペンを握る力を抜く。なぜか視界がぼやけて見えにくくなった気がした。


「……考えたこと、なかったな」


 昔から、今を生きるのに精一杯だった。

 今生きている魔女なかまたちが死なないように、俺が少しでも仲間の役に立てるように、常に今現在のことばかり考えていたんだ。毎日魔女狩りの情報を漁ったり、新しい魔法を開発したり、もっと上手く魔法を使えるようにと練習したり……。

 その反面、姉は迷わず公務員の道を選んだ。親のいない家庭で日々殺されそうになりながら、それでも比較的安定した暮らしを送るために、その道を躊躇いなく進んだ。


 じゃあ、俺は?


 魔女は職業でない、仕事でもない。必ずしも誰かを幸せにできるとは限らないし、役にも立たないかもしれない。むしろ気味悪がられる可能性だってある。


 馬鹿だな、学生のくせに将来のことを何一切考えていなかっただなんて。


「働くとかじゃなくて、やりたいこととかは? 役に立つかどうかより」


 フォローのつもりか、泉が追って質問してくる。

 俺は彼女の、その真っすぐな眼差しに一瞬目が眩んだ。なんの曇りのない、無駄に綺麗なその瞳。


 もし俺のこの気持ちがならば、今言う言葉に嘘はないはずだと思い、言葉を音にした。


「 ずっと傍に居てみたい 」

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