第7話 西からの訪問者

「 ずっと傍に居てみたい 」


 俯き気味になり、彼は頬を微かに赤らめて答えた。


 千田くんの将来やってみたいこと。それは誰と、とは明確には言ってくれなかった。

 きっと他の魔女である仲間たちや椿妃さんのことを指しているのだろう。彼はあまり自分の感情や事情を話してくれないから、こんなことでも話すのは恥ずかしいことなのかもしれない。


「あ、いやさっきのは忘れてくれ」


 さらに顔を背けさせ、千田くんは居たたまれなくなってしまっている。


 ふと後ろから何かを叩くような音が聞こえた。ばっと振り返るとそこには、コウモリのような羽を羽ばたかせて窓をてしてしする子猫の姿が。

 慌てて窓を開けると、黒い子猫は緩い熱風と共に部屋に入って来た。


『やぁときのちゃん。ちょっとガキ魔女を借りるね』


 子猫――ハルデは窓を潜り抜けるのと同時に宙返りする。着地するころには頭上の猫耳を揺らし、ふわりと尻尾をうねらせていた。


が君を探してるんだけど撒いといて良かったよな」


 彼の言葉に対して、千田くんはあからさまに嫌そうな顔をした。眉間に皺を寄せて、大きな溜息を吐く彼につい尋ねる。彼は少し考えるような表情をしたあと、こう答えた。


「すまん泉、今回の相手はタチが悪い」


 そしてそそくさと荷物を片付け始めてしまった。その様子を見たハルデは、腕を組んで彼に忠告するように言う。


「ちょい待ち、今下手に動いたら勘繰られるよ」

「でもコイツを巻き込むわけにはいかないだろ」


 なんの話なのか理解できずに、ただ彼等の顔を交互に見る。強い魔女狩りでも来たのだろうか。


 ぞわり。

 初夏だというのに背が変に冷たく感じた。エアコンが強く効きすぎているのかもと振り返ると、窓の端に違和感があることに気が付く。赤紫色の靄……否、霧だ。その塊のようなものが窓ガラスを這い、完全に閉まっている筈の窓から入り込んでくる。


「! 泉ッ――――」


 彼の声が耳朶を打ち、咄嗟に千田くんの方へと顔を向ける。すると、後ろから何かが猛スピードで横切ったのを感じた。髪がばっと流れていく。


「うわあああああッ! やめろッ離せッ!」


 さあっと血の気が下がる。彼の悲鳴に喉がヒュッと鳴った。


 仰向けの千田くんに覆いかぶさる人影は、どう見ても子供ではない。身長の高い青年だ。

 慌てて彼に駆け寄ろうとしたが、ハルデに止められてしまう。


 すると突然、首に生暖かい吐息がかかったように感じた。その直後に熱く湿ったなにかが刻印部分を這う。つい変な声が漏れた。


「本当に繋がっているとは。羨ましいですね」


 覆い被さっていた青年が上体を起こし、こちらに視線を送った。


「ふふ、貴方が例のトキノ様ですか。なるほど、何処かで見たことが――」

「ふふ、じゃねーよッ!退けこの野郎ッ!」


 千田くんが起き上がり、思い切り青年を突き飛ばす……はずだったが彼の手が青年に当たる瞬間、彼は瞬く間に霧と化す。

 それは宙を浮遊した後、私のすぐ傍に移動し姿を現した。


「申し遅れました。わたくし吸血鬼ヴァンパイアのシュークと申します」


 丁寧にお辞儀をしてみせ、眼鏡越しに赤紫色の瞳を笑わせている。


 彼は確かにヴァンパイアだった。薄く笑みを浮かべる口からは、鋭い牙のようなものが顔を出している。その顔立ちはまさに美青年で、眼鏡がよく似合っていた。

 深翠色の軍服に似た服に、ワインレッドのリボンが巻かれている。服装だけでは吸血鬼には見えない。


「そんなにヴァンパイアが珍しいですか」

「初めてお会いします。魔女と悪魔にはいつも会っていますが」


 にしても身長が高い。私の頭一つ分高い。多分180cmは優に超えているだろう。


 ハルデ曰く、吸血鬼は魔女の仲間だそうだ。

 そもそも吸血鬼(ヴァンパイア、バンパイア、ヴァンピール)とは様々な国で目撃されていた、死人が生き返った人間らしい。生き血を求めて人々を襲い、場合によっては家畜などの動物をも襲う。

 皆がご存知の通り、吸血鬼は日の光を浴びると灰になる。しかし彼は影を辿ってここまで来たそうだ。


「久しぶりに血を戴こうと思いまして」

「断食ほんとに続けてたのかよ」


 千田くんはシュークさんに舐められた箇所を入念に拭っていた。私と感覚が繋がっているというのに、力加減なしにゴシゴシ擦っている。痛い。


「数か月何も胃に入れないのは辛い事ですが、その後に戴く咲薇様の血は絶品です。その為ならばいくらでも断食できますよ」


 この二人の関係はどんな感じなのだろうか。仲間ではなく、それ以上の関係のように思えた。


 嫉妬しているみたいな自分に驚く。どうしてそんな気分になっているのか、考えても今は意味がない。でも、楽しそうに話すシュークさんといつも通りに突っ込む千田くんを見ていると、なんだか面白くなかった。


「おや、トキノ様は普通の人間でいらっしゃるのですか。面白い、味見させてもらっても?」


 隣の青年がこちらに顔を近づける。私は何故か抵抗せずに、体を硬直させていた。


「ちょっとやめてよね、ときのちゃんは関係ないでしょ。てか他の血飲めないでしょ」


 後ろに立っていたハルデがぐいっと私の肩を掴む。私の耳元で彼に忠告すると、シュークさんは苦笑を漏らした。……何この状況。


「言っておくがシューク。俺もコイツに手を出されたら黙ってはおけない、触るのもアウトだ」

「ふふ、トキノ様はお二人にとても大事にされていらっしゃるのですね。大丈夫、触れもしませんから」


 妙に落ち着いた声音で笑う。シュークさんは何処かミステリアスな雰囲気を醸し出しているような人だ。ちょっとニガテかもな。


 それはひとまず置いておき、青年は魔女の血を欲しているらしい。それを聞いたハルデは、ジト目になって文句を言った。


「じゃあぼくたちはご退出させてもらいますねー。男同士の吸血シーンなんて死んでも見たくないっ」


 彼に背を押され、あれよあれよと部屋の外へと追いやられる。


 その数秒、ドアが閉まるほんの刹那。

 千田くんと目が合った。

 彼の瞳は綺麗な赫で。

 そして少し、うるんでいた。


 なんだろう、とても変な気分。

 今日は彼も私も何だかおかしいな。


 ハルデの提案で、彼の魔法で私たちは家の外へと避難した。初夏の日差しが照っており、周りに比べて早起きなセミが鳴いていた。


「多分四、五分で終わると思うから。それまで待っててね」


 主を心配する様子もなく、彼は爽やかに笑っていた。


 慣れて、いるからなのだろうか。

 私は本当にこれに関する知識は乏しい。何も知らないし、知ろうともしなかった。分かったところで彼の役に立てるとは思えない。それに、本に書かれていることが事実であるか分からないのだ。


「彼が、不安かい?」


 猫耳悪魔が口角を上げて尋ねてきた。私は迷わず頷く。


「だって血、なんでしょ。一歩間違えたら死んじゃったりするよね。それに、痛そうだよ」

「まぁ初めてやるときは痛いらしいな。でもアイツ、過去に何回も経験してるから大丈夫だよ。あと吸血中は媚薬? と似たものが打ち込まれるから、痛みはあまり感じないみたいだし」


 媚薬と聞いてさらに心配になった。千田くん、大丈夫かな……。


 ・

 ・

 ・


「いいか、刻印には絶っっっ対に触んなよ」

「分かりましたって、それで十三回目です」


 目の前のヴァンパイアは、眼鏡を丁寧にはずしながらそう相槌を打った。


 シュークに初めて会ったのは、俺が中学一年生の冬の頃。極度の飢餓状態に陥っていた彼を、俺はたまたま下校中に見つけてしまったのだ。普通、吸血鬼は異性の生き血を好んで吸う。だが彼は空腹に耐えきれず、声を掛けた俺を襲った。ちなみに、俺が魔女であることは吸血時に気が付いたそう。


 シュークのことは嫌いな訳ではない。

 吸血欲求以外を見れば紳士そのものだし、男子の俺が言うのもおかしいが美男子の類なはずだと思う。でもやはり、俺の血への執着心は異常だ。


 実を言うと、俺は吸血されるのが癖になりつつあって恐ろしく思っている。

 首に牙を刺すとき麻酔兼媚薬を牙から注入され、それから血を啜られる。その時の感覚は、脳が勝手に快感と勘違いしてしまうのだ。全く、誰がこんなシステムにしたのやら。


「なんだか、貴方が奪られそうで少し危機感を感じますね」


 眼鏡を外した彼の切れ長の目が、やけにはっきりと見える。流し目、っていうんだっけか。


「誰にだ」

「トキノ様です。貴方は彼女を好いているのですか」


 ずいっと顔を近づけさせられる。端整な彼の顔に、不本意にも心臓が跳ねた。


「泉はただの呪いの相手だ。呪いが解ければそれまでの関係」


 説明しているというのに、コイツは俺の襟を退かすのに夢中だ。結局血を吸うことしか頭にないんだな、ヴァンパイアなんて。


 襟が引っ張られて首筋は露わになる。壁際まで追いやられ、本当に逃げ場はなくなった。

 彼の吐く息に背がぞくりと感じる。何回やっても慣れないなと、悠長に考えていた。意識すればするほど感じてしまう性分だから、今回ばかりは違うことを考えよう。


 痛みは相変わらず感じなかった。麻酔の効果もあるだろうが、回数を重ねていたからこの部分の感覚が麻痺しているのかもしれない。

 まずは彼の唇が柔らかく当たった。牙は皮膚に食い込み、やがて完全に貫通する。媚薬のせいか、その部分だけ熱を持っていた。


「……んッ」


 水分を多く含んだ音が振動となり直接伝わってくる。吸われている感覚はないが、足に上手く力が入ってくれなかった。


 毎度思う。認めたくないが気持ちがいい。

 体全体の力が抜け、頭の中がふわふわする。なにも考えられなくなってきた。


「ま、だか……?ぅん……っ」


 苦し紛れの俺の問いは聞こえていないようで、血を吸うことに夢中だ。いつにも増して貪り食っている。


 足は既に使い物にならず、ついにへたっとその場に座り込む。シュークは俺を片手で支えながらゆっくりと下ろした。気が付くと、右手は彼の左手と絡まっていて動けなくなっている。


「……んあっ」


 こんな情けない姿を、死んでも彼女に見せたくない。

 先程タチが悪いと言った理由。俺はコイツに逆らえないのだ。


 ヴァンパイアは恋をすると、その相手の血しか飲めなくなりその吸血欲求は日に日に強まるのだ。終いには血を吸いつくして殺してしまう。恋した相手を自らの手で殺してしまうなんて、哀れだと思わないか?


 彼もその運命さだめに苦しんだ一人だ。

 まだ西洋の国に暮らしていたころ、シュークはある少女に恋をした。上記の通り彼女の血しか受け付けなくなった彼の体は、本能的に少女を死へと追いやってしまった。少女がこの世から去っても、彼の体は彼女の血を求める。少女を殺してしまったことに対しての、自分への怒り憎しみが全身を焼く。彼女以外の血を飲めないシュークは、餓死することを決意して旅に出た。その道中に行き倒れ、俺と出会ったの下りになる。


 彼は自身の恋に上書きをした。簡単に言えば、シュークは俺に恋をしている状態なのだ。……急なBL展開ですまない。


「……っん、ごちそうさまでした」


 彼が離れると、一気に熱が放出される感覚がよく伝わる。いくらエアコンが効いているとはいえ男同士がべたべたと触れ合うなんて、画面えづらも暑さも地獄だろ。


 シュークはペロリと唇を舐め、満足そうに微笑んだ。その、いたずらっ子のような笑い方に心が苦しく感じる。


「シューク、お前は本気で俺のことが好きなのか」


 それは以前から改めて訊きたかったこと。俺だってそれなりに覚悟せねばなるまい。


「……えぇ、いつか貴方をわたくしのモノにしたいと考えております」


 はにかむことなく、真面目にそう答えてみせた。


「それって俺を殺すことになるの、分かっているよな」

「はい、承知の上です」


 眼鏡を掛けながら返す。


「血を吸い切る前に、わたくしは自ら命を絶ちます。ですからわたくしの望みは叶うことはない。安心してください」


 ヴァンパイアとは、哀しい生き物である。

 彼等の恋が実ることはなく、人間から遠ざけられ、生きる術もなく孤独に死ぬ運命。


 俺は彼等についてよく知っている。だからこそ力になりたいと思った。

 同じ魔女人に非ず者として、一つの生き物として。


 俺は、彼等ヴァンパイア俺ら魔女も救われる道をさがしている。


 ・

 ・

 ・


「だから大丈夫だって言ってるだろ」


 私の問いに呆れた声で返す彼は、少し笑っていた。首には二つの赤い点がある。きっとそこが咬まれた跡なのだろう。


 千田くんの顔色は悪そうでないが、かなりの血を持っていかれたらしい。いつもより力なく笑っているようで、不安が溢れ出てしまった。


「ほら、本人もこう言ってるんだから大丈夫だよ。ときのちゃんって心配性なんだね」


 ハルデも私をなだめさせるのに笑っている。


「それではわたくしはこれで。また近いうちにお会いするでしょうから」

「どういうことだ?」


 青年の別れ際、意味深長な言葉を耳にして千田くんが尋ねる。シュークさんは口元の微笑を崩すことなく答えた。


「魔女狩りがついこの間、大規模な会議を行いました。スパイの者が言うに今後二、三ヶ月間は警戒した方が良い、とのことです」


 その回答に、千田くんは険悪な表情を素直に出す。


「向こうは本気、ってことで捉えていいんだな」

「そうですね、全面戦争も考慮した方が良いかと」


 戦争という言葉に、無意識に手をぎゅっとした。言わずもがな、そんなことはないと信じたい。


 怯える私を見て、ハルデは満面の笑みを浮かべながら元気付ける。


「ときのちゃん、怖がらなくて良いんだよ。もしもの話なんだから、ね?」


 そうだね。

 今は、嘘でも笑っていたかった。


 シュークさんはその後、千田くんと軽く何かを相談して帰っていった。相変わらずミステリアスな空気を取り巻いていた。

 ハルデも暑さにやられた為、先に休んでると言い帰った。


 部屋に戻ったのは私と彼。一気に静まる空間に、少しだけ緊張の糸が張られる。

 部屋には朱色の陽が差し込んでいた。エアコンの低い機械音が微かに聴こえる。ほんの僅かに荒い彼の吐息に、意識が向かった。


「貧血?」

「もしかしたらな。大丈夫だ、すぐ治る」


 スクールバッグを肩にかけ、彼は部屋を出ようとする。


 咄嗟だった。迷いがなかった。


 千田くんはふらりとドアに凭れかかり、呻き声を漏らしていた。その時、私は思わず彼を支えるのに腕を伸ばす。

 彼は私の腕に掴まり、上目遣いでこちらを見た。どう見ても顔が青い。


「す、すまな……――」

「嘘つき」


 分からない。どうして彼の言葉を塞いでまで言ったのか。でも、これだけは伝えたかった。


「嘘吐くほど私に気を遣っているの」


 どうしよう、今までの本音が。


「私は、貴方が思うほど強くないし頼りない」


 止まらず、溢れ返って。


「貴方ほど心も強くないよ」


 止めないと、止めないと。


「でも」


 言わなくちゃ、いま。


「 私は貴方が思っているより、貴方を人だと思っているよ 」


 これは嘘なんかじゃない。


 突然の告白に、千田くんはひたすら目を瞠っていた。何かを言おうと口を少し開くが、今の状況を配慮して何も言えないでいる。


 恥ずかしさはなかった。だって本当のことだもの。


「お前ッ……! ほんとに、何言ってッ……!」


 やっとのやっとで声を出すもつっかえてしまっている。


「帰る……っ」


 ぼそりと口にし、俯いてしまう。

 彼の血相は一気に変わり、真っ赤に頬を染めた。私と真逆で口は嘘吐きなのに、顔は思ったより素直だったりするんだ。


 千田くんはすぐに体勢を整え、私の腕から離れた。彼は目を逸して階段をズカズカと降りていくが、私の背中へかけた自身の名に振り返る。


 私はちょっと笑って言ってみた。


「今のやつ、冗談だから。真に受けないでね」


 千田くんは赤い顔のまま、目つきは相変わらず悪いけれど。

 口角を少しばかり上げて見せた。


「大丈夫だ、信じてはいないから」


 うん、なんか傷付く。私がしたあの返事は、やっぱり彼を多少なりと傷付けていたみたいだ。


 ごめんね。本当はあの時の言葉が嬉しかったんだ。でも貴方のことだから、素直に言ってしまえば顔もきっと見てくれないと思ったの。


「また明日もよろしくね」

「もちろんだ」


 千田くんはそう言って玄関を出ていった。


「どうしたの? そんなに笑って」


 リビングから顔をニヤつかせた母さんが現れた。すぐさま普段通りの表情に戻す。


「私、笑ってた?」

「珍しくねぇ。咲薇くんのこと、気になってるの?」


 私はまだその気持ちが分からない。でも確実に、私にとって彼は赤の他人なんかじゃない。


 でも。


「……もしかしたら、ね」


 彼は多分、互いの命を守るため赤の他人でいようと言うだろう。


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出典︰創作のネタ提供(雑学多め)様より

(Twitter @sousakubott)

Wikipedia様より 吸血鬼について

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