第3話 魔女の実力

 朝。

 玄関で行ってきますと言うと、向こうの部屋から母さんの返事が聞こえた。そして今日から始まる、変わったいつも通り。


 家を出てすぐ近くに魔女はいた。不機嫌そうな顔をして、手元のスマホを見ている。


 昨日の約束。

 あくまで私達は「呪いの相手」であり、友人では決してない。良くて知人という認識だ。だから学校では相当なことがなければ会話はしない。勿論、それは登下校中も同じだ。


 千田くんはかなり私のことを気遣ってくれいているようで、「心配するな」「無理もするな」と連絡をくれた。勘違いされることを気にしていると思われているようだ。……事実そうだけれど。


 今朝気が付いたことなのだが呪いの証―― 刻印があるであろう場所を鏡で見てみたら、何やら赫い十字架の進化系の形をしたマークが刺青のようにあった。だがそれは他人には見えないらしく、自分や呪いの相手、魔女、その他魔法使いなどが目視できるらしい。親や教師に指摘されたらどうしようと悩んでいたが杞憂だった。


 しかし一番困っているというのが……触られている感覚がお互いあるという点だ。


 昨晩、千田くんに連絡する前。課題に手を付けていたら突然、刻印のある箇所が濡れたように感じたのだ。濡れた、というよりかお湯が伝っているような……。

 恐らく千田くんがお風呂に入っていたのであろう。それを考えると、逆に私がお風呂に入っているときは向こうがそう感じてしまうのでは……?

 なんだか申し訳ない気分になる。タオルを当てながらやってはみたが、どうしても避けることはできなかった。何かで対処せねば……。


 そうこう考えているうちに学校に着いた。朝早いため生徒はそこまでいない。


 少し振り返って見てみると、彼はそそくさと自分の教室に入っていった。本当に気にしなくていいみたい。


 それからは特に変わった点はなかった。少し首に触れるのが慎重になったくらいで。


 四校時目の体育。


 着替えを済ませて体育館へと向かうのに廊下へ出た、そのとき。


 ばりんっとガラスが目の前で割れた。


 破片がこちらへと飛んでくるのに、私は咄嗟に腕で顔を覆う。周りから悲鳴が響いた。

 目を開けると、割れた窓の向こう側。


 真っ黒い影がこちらを見ていた。


 ゾクッと背が粟立つ。これってまさか魔女狩り……?


「大丈夫ですか泉さん! 怪我は?」

「聡乃ちゃん大丈夫っ?」


 間髪入れずに、学級委員長の子と近くにいた子が駆け寄ってくる。私は何がなんだかわからないまま大丈夫、大丈夫を繰り返し言っていた。


 ふっと隣のクラスの廊下を見ると、他クラスの子達もこちらを凝視している。その中に千田くんがいた。


 彼は私と目が合うとすぐに背を向け、走り去ってしまう。


 ……たすけて、くれなかった?


 いや、多分違う……。彼だっていつも通り過ごしているんだ。変に皆の前で魔法を使ったら、いけないだろうし……うん……。


 何故か心の中がざわついている。もう一人の私が何かを囁いていた。


 本当にそれだけの理由で? 本当は助けられたんじゃないの? さっきだってすぐ走って行ってしまったじゃない。


―――『助けなかった』の間違いじゃないの?



 下校時間になる。


 廊下を出るとすぐに千田くんがいた。心の何処かで気まずさに似た感情が蠢く。私は視線を下に向けて歩き出した。


 千田くんは何も言わなかったし、何もしなかった。少し離れた所で歩いているだけで。

 人が徐々に減ってくる。やがて二人だけになった。


 ローファーの固い音が鳴る。ちゃんと一緒にはいてくれているみたいだけれど……。


「おい」


 突然、千田くんが声を掛けてきた。少し驚いて振り返ると、相変わらずの目つきのままこちらに手招きしている。


「な、なに……?」

「ここからは隣で歩いてもらっていいか。あと、道はこっちの方がいい」


 そう言って彼は自身の右手側にある小道を指す。でもそっちだと遠回りになるんだけど……?


 何を考えているのかわからないが一応従っておく。俯いたまま千田くんの隣に来た。


 それからまた沈黙が降りる。離れていても隣にいても会話をするつもりはないようだ。


「次こっち」「そこ曲がる」「ここを通ってく」


 度々彼の指示が飛んできて、思わず顰め面になる。こいつはどこに連れて行こうとしているんだ……。


 道なりに歩いていると突如、視界一杯に優しい色が広がった。


「桜?」


 季節は等に過ぎている筈なのに、満開の桜が枝を弛ませている。青空によく映える、ほんのりと緩いピンク色が揺れていた。


「ここ、俺のお気に入りの場所なんだ。誰も道を知らない、誰も入れない俺だけの庭みたいな」


 確かに辺りには人気がなく、家らしき建物も見当たらない。彼の秘密基地のようなものだろうか。


「……昼頃のやつ、まだ倒せてないんだ」


 千田くんが目を伏せて言った。


「昼頃って、窓ガラスを割ったやつ?」

「そう、魔女狩りはやっぱりお前のことを狙ってる。だから『誰も入れない』ここに連れてきた」


 ひゅうと、温かい風が私と彼の間を通り過ぎる。花弁が舞っていった。


「あの時すぐに後を追ったんだが見失ってな。その間お前に何もなくて良かった」


 言葉とは裏腹に表情はとても暗い。怒られた子猫のような落ち込み具合だ。


 私はただ黙って彼を見ていることしか出来なかった。気の利いたことの一つも言えない。


 千田くんは少ししてから顔を上げ、こう私に指示した。


「暫くここで待っていて。魔女狩り取っ捕まえてくるから。ここは俺の魔力で隠してあるから誰にも気付かれない。安心して待ってて」


 彼は身を返し、私から離れていった。


 あのこと―――私に背を向けて行ってしまったのは、魔女狩りを追うためだったようだ。私の無事を確認するのにこちらを見ていて、確認し終わったらすぐに追いに行った………。


 私はなにを、勘違いしていたのだろう。


 心の底ではまだ彼を信用していないみたいだ。千田くんはこんなに、私の為に力を尽くしているというのに。

 惨めに感じた。私は自分のことばかり考えていた。とても、申し訳なかった。


 彼が去り、鼓膜を揺するのは風だけになった。

 とりあえず荷物を木の根に下ろし、私は空を見上げる。雲ひとつない青空はつまらなさそうにぼーっとして見ていた。


「こんにちは。貴方が聡乃ちゃん?」


 凛とした声音。


 それが唐突に聞こえ、慌てて木から背を離す。振り返ると、少し距離を置いた木の後ろに髪の長い大人な女性が立っていた。


 魔女狩り? でもここは千田くんの魔力で隠されてるって言っていたし……いやでも魔女狩りには無効なのか? いやそんなことよりこの人は誰?


 戸惑い具合が相当だったらしく、女性は私を見てくすくすと可愛らしく笑っていた。


「大丈夫よ、魔女狩りじゃないわ。私は千田 椿妃ちだ つばき、咲薇の姉よ」

「えっ? お、お姉さん?」


 千田くんに上がいたの!


「あら、その様子だと咲薇は説明していないみたいね……全くあの子ったら」


 呆れたように肩を竦めつつ笑って見せる。それがとても綺麗だった。


 千田くんと同じ、赤みがかった宝石のような瞳だ。よく見ると目元が似ていて、面影もある。姉弟と言われて腑に落ちた。


「あの、椿妃さんも魔女なんですか……?」


 控えめに尋ねると、椿妃さんは微笑みながら答えてくれた。


「一応そうだけれど、私は咲薇みたいに強くはないの。生まれつき魔力が弱くって。……あの子は自分の強さを理解した上でいつも行動してる。絶対に自分だけの利益を求めない」


 強い者は己の強さに惚れ道を踏み誤る。


 しかし千田くんは決してそのような行動をとらなかったらしい。強い魔力を誤った使い方で利用せず、他者の利益になることに精一杯利用する。


 彼を一番近くで見てきた椿妃さんが言うのなら、本当にそうなのだろう。


「でもこの庭は私が『自分の為に使ってみたらどう?』って言ったら作ったものなのよ。咲薇の魔力だったら自分がこの世の一番にも、不老不死にもなれるのに」


 なんだか千田くんらしいなと思った。


 まだ彼のことについて何も知らないけれど、雰囲気からそんな感じはしていた。それに『楽しくはないけど楽になる』とも言っていたし、多少なりとも自分にはあまり魔法をかけないみたいだ。


 ふと椿妃さんが呪文を呟いた。


「――ウォチオーバ」


 彼女の突き出した右手の前に、楕円形の画面が現れる。そこには千田くんが映っていた。


「これは私が唯一できる魔法、あの子を見守るための力よ。……さて聡乃ちゃん。うちの弟の戦い、観てみて頂戴」


 得意気に笑ってみせる椿妃さん。私はきょとんとした顔をして、椿妃さんから楕円形の画面に視線を移した。そこには目付きの悪い千田くんが映っている。


 ・

 ・

 ・


「やっと見つけた根腐り狩人。正々堂々相手しないなんて、相っ変わらず最低だな」


 目の前に佇んでいるのは真っ黒い影。俺は眼光を鋭くさせた。


「黙ってちゃわかんねぇよ、さっさとかかってこい」

『オ前ノ命ハ罪ニ濡レテイル。ソレデハ我ラモ罪ニ濡レル。ソシテ正面カラ挑ンデハコチラニ勝算ガナイ』


 影から片言の言葉が零れ落ちる。正直何を言っているのかわからん。

 まぁこんな風にグダグダ話をしていても、罪だの抜け駆け魔女だの言い続けていて埒が明かない。何度も何度も聞いた話だ。もういい加減聞き飽きた。


「どうでも良いんだよ、そんなこと。でもこれは言いたい」


 腰を落とす。右半身を後ろに引き、右手に集中した。


「俺がやられると、困るやつが居るんだ。

 ――パワーマスっ」


 一気に間合いを詰め、至近距離で力を放つ。右手から魔力の塊が打ち込まれた。しかし相手は上手く避け地面に潜る。俺の足元を通って背後に回ってきた。そして影は大きく変形し、ドームのような形になって俺を覆い込もうとしてくる。

 体を完全に反転させるのではなく真横へと移動し、取り込まれることを回避。相手に僅かな隙ができたため、次の魔法を使う。


「――エスパイア」


 周りの石や砂を巻き上げ、五つの塊に変形させた。それらを造形させたのと同時に影へと勢いよく落とす。地響きと低い音が空気を揺らした。

 やったかと思ったがすぐにその期待を自ら捨て、思い切り跳ねる。間髪入れずに地面から真っ黒い、何十本もの針が飛び出してきた。地面を埋め尽くす針たちは、重力で地面に引き戻される俺に向かって先を向ける。俺は急いで魔法を唱えた。


「ちッ……――コール!」


 名を呼ばれた犬のように、左手に箒の持ち手が来る。それを力強く握り、上へ行くように指示した。

 ぐんっと勢いよく上昇する。針からはなんとか逃れたが、肝心の本体が見当たらない。すると地面の針たちは数を減らして一つに纏まっていった。やがて一本の鋭い巨大な針と化し、その体をうねらせてこちらへと突っ込んでくる。軟体動物を彷彿とさせる動きだ。

 箒にしがみつき、ギリギリのところで相手の攻撃を避ける。何度か体を掠めた。

 俺は針先を引き付けたのち、一気にスピードを上げて根元へと突っ切っていく。そうすると案の定、針先は自分の根元へと突き刺さった。


 やっぱり、はなんにもないやつか。


 痛みが凄いのか、影から悲痛な叫び声が放たれる。針はどろりと地面に溶け、一時的に水溜りのようになった。


 箒に乗ったままそれを上空から見下ろす。魔女の俺が言うのも変だが、とても不気味だった。


 少しして水溜りのような影は形を取り戻し、最初と同じ姿になる。あぁなるほど、あれ自体が本体な訳か。


『抜ケ駆ケ魔女ノ末裔ヨ……ナゼ我ラニ抵抗シ続ケル……?』


 今度はちゃんと聞き取れた。が、答えに詰まってしまう。抵抗し続ける理由? そんなの分かるわけないじゃないか。俺は物心つく前から命のやり取りをさせているんだぞ?


「……真っ当な理由としては『生きたいから』だよ。人間として、な。

 ――クリエイトナイト」


 左手に小さなダーツのような棘が現れる。赤黒いそれを勢いよく、影に投げつけた。見事に棘は影の頭部に当たる部分に突き刺さり、影は悲鳴に似た声をあげて散り散りになる。思わず溜息を吐いた。


 たとえ中身のない只の依代だとしても、意思があるものの命を奪うのは気持ちいいもんじゃない。

 ……さぁ、とっとと帰るか。超視線を感じるし。


 ・

 ・

 ・


 一本の映画を見終わったような気分になる。私は短く息を吐いた。ふっと右側に立つ椿妃さんを見上げる。


「どうだった? ……あら、とても安心したような顔ね」

「え? そんな顔してますか?」


 反射的に自分の頬に触れた。彼女はにこにこ笑いながら頷き、私の目線と同じ高さになって言った。


「聡乃ちゃん。もしかして、自分の身より咲薇の身を案じていたのかしら?」


 ギクッと体が無意識に反応した。あらあら図星? と面白がっている椿妃さんを恥ずかしそうに見る。


 確かに私は、あの戦いを観て『千田くんは大丈夫なのか』と思った。


 簡単に言えば……心配、していた。


 単純に、アニメや漫画でしか観たことのない出来事が画面を通して現実リアルの世界で行われていたのだ。命の取り合いを目の前でされているということに、私は怖気付いていた。


 ――彼が居なくなるのではと、怖かった。


 すると椿妃さんは優しく声をかける。


「安心して、うちの弟はとても強いのよ? 多分、魔女の中でも五本の指に入るくらいっ。まぁそんなに魔女っていないんだけど……」


 以前彼も「俺が強くて殺せない」言っていた。あれ嘘じゃなかったんだ……。


 それから彼女は千田くんの強さを伝えようと必死になってくれた。それは私を安心させる術なのだろう。


「ふっ、ありがとうございます。椿妃さんはお優しいのですね」


 笑ってお礼を言うと椿妃さんが突然、真顔になってこちらを見つめる。きょとんとしていると、彼女は私の両肩をガシッと掴んで食い気味にこう言った。


「私には分かるわ………! 聡乃ちゃん、貴方にお願いがあるの」

「はい?」


 ……なんか嫌な予感がするな。


「咲薇の『お嫁さん』になって頂戴!」


 ほら見ろ言わんこっちゃない。


 ・

 ・

 ・


「倒してきたぞ……って、なんで姉ちゃんがいるんだ」


 自分の庭に戻ると、そこで静かに待って居たはずの女子が俺の姉に執拗にぎゅーぎゅーされていた。


「あら咲薇〜♪ おかえりなさい♪」

「ちっ千田くんっ……た、助けて……っ」


 涙目になって(しかし無表情)こちらへ助けを乞う女子が、姉の腕から逃れようとジタバタしているが意味がなさそうだ。

 助けろと言われても、安々と女の体には触れたくはないのだが。


「何したらこうなるの……てか姉ちゃん勝手に庭に入らないでよ」

「もうっそんなこと言わないでよぅ咲薇ぁ」

「く、苦しいっ……」


 そろそろコイツの命が危うい。窒息死してしまう。魔力の無い実姉に魔法を使うのは後ろめたいが……。


「はぁ……――エスパイア」


 唱えたのとほぼ同時に姉の体が宙に浮く。手足をジタバタさせ、子犬のようにキャンキャン何かを叫んでいる。大の大人が女子高校生に何してんだか。


 充分な距離に離してから地面に足をつけさせた。すぐさま俺は女子高校生の隣に立つ。


「通報されるぞ姉ちゃん。怖がらせんじゃない」

「ぶーぶー! 私は聡乃ちゃんに交渉してたの!」


 なんの交渉なのか問うと彼女は片目を閉じてお茶目に言ってみせた。


「あんたの未来のお嫁さんについてよっ」

「あーなんとなく分かった、いつものやつね」


 姉はいつも、俺に関わる女子という女子に声をかけて俺の嫁にならないかと勧誘しているのだ。はじめは魔法でもなんでも使って全力で阻止していたが、もう諦めて自由にさせている。

 俺ももう他人と関わらなくなった為、誰にどう思われようともどうでも良くなった。


 まぁ魔女狩りは倒したし、いずれ会わせようと思ってた姉ちゃんにも会ってもらっていたし、良いとしよう。


 再び俺の隣に立つ彼女に飛びつこうとしている姉ちゃんを止めるため、帰宅を促そうとした。


「もう六時半だ、帰ろう」

「もうそんな時間!? 真佑さんとのデート、六時五十分からなのに! 咲薇、今すぐ転送してっ!」

「また? 今回は何処に?」

「如月駅の東口! いつもの所!」


 そう、姉はいつもカレシとのデートに遅刻しそうになる。だから俺が魔法を駆使して転送してやっているのだ。


 なんだかんだあって、姉ちゃんがこの場から離脱し静かになる。隣で彼女が申し訳なさそうに(しかし表情は相変わらず無表情で)言った。


「お姉さんのこと興奮させてごめんね」

「いやいい、あれが通常運転だし」


 再び沈黙が下りる。夕焼けに桜の花弁が舞い散っていた。

 庭から出ると、彼女が聞きにくそうに問うてくる。


「椿妃さん、彼氏さんいらっしゃるんだね」

「あーまぁな。事故ったときに助けてくれたらしいんだ」

「え、事故ったって……?」


 彼女があからさまに戸惑う。勘がいいやつだな……俺は少し説明してやった。


「魔女狩りの仕業。危うく死にそうだったのに、榊さんがすぐ助けに来てくれたお陰で一命を取り留めたんだ。あ、榊さんって人がカレシだ」


 言い終えた後、隣を歩く彼女の様子がおかしいことに気が付く。どうかしたかと問うと、目を伏せて答えた。


「椿妃さん、魔力がほぼないって言っていたんだけど……それでも魔女、なの?」


 ……優しいんだな、こいつは。


「前も言ったけど、魔女は『家系』で受け継がれていく。魔力の有無問わず、家系が魔女なら魔女なんだ。姉ちゃんの場合、あの事故以降は標的にされていない。魔女としての力までないと判断されたんだろうな」


 そう説明すると、彼女は目を少し大きくさせた。分かりにくいが少々元気を取り戻したみたいだ。


「そうなんだ。それなら良かった」


 言葉とは裏腹に口角は上がっていない。感情を表にあまり出さないタイプなのか? なんだか難しいやつだな……。


 ふと彼女が足を止めたため、俺もそれに習って立ち止まった。不思議に思っていると、彼女はこちらを真っ直ぐに見て問うてきた。その瞳にはなんの曇りもない。


「千田くんは、魔女狩りが怖くないの――?」


 彼女の後ろから緩く風が吹き、ショートヘアの髪が揺れた。辺りの木々が葉を擦り合わせて音を立てる。鼻先にふわる、微かな花の香り。


 俺は一度口を開けたがすぐに閉じ、小さく分からない程度に笑って見せる。


「 お前は魔女おれが怖いか? 」

「……怖くはない、けど……」

「それと同じ、俺も怖くはない」


 幼い頃は怖くて仕方がなかった。


 何度も目の前で死の鎌を振り回されて、何度も死の淵に立たされて、その度に姉が生きる方へ引き上げてくれた。だから今度からは俺が姉ちゃんを助ける番だと思うようになって、怖くはなくなったんだ。

 そして耳にたこができるくらい両親の生い立ちについて聞かされた。千田家に代々受け継がれていた言葉も。


 ―――魔女戦争伝説の少女のようであれ。


「魔女戦争伝説……?」


 彼女は首を傾げ、聞き返してきた。俺は少し長くなるが、と断ってから話し始める。



 魔女戦争伝説とは、この世界で実際にあった『魔女戦争』という何百年も前の戦争の話だ。


 まず魔女の基本的な話をしようか。


 魔女は主に西洋の国から生まれた。人間に嫌気が差した人――主に女性――が悪魔と契約をして、超自然的な能力を手にしたのが始まりだ。


 魔女たちは災害を起こしたり、疫病を流行らせたりと、様々な方法で人間たちを苦しめてきた。やがて怒った政府は『魔女狩り』を始める。


 怪しいと思われた人間は魔女裁判にかけられ、魔女であると判断されたら処断。そうやって魔女も、ただの人間も殺されていった。


 しかし、これで魔女たちが黙っているわけがない。


 数を減らした彼女達は、手を取り合い政府に戦を申し込んだ。政府は魔女狩りを歴とした『仕事』として人々に魔力を授ける。


 それからおよそ三年にも及ぶ戦争が幕を上げた。


 一般住民までもが巻き込まれ、魔法と魔法の大規模な争いが巻きおこる。家屋は破壊され、魔女たちの家である森は焼かれた。


 ミサイルや爆弾よりも破壊力のある、人に非ず力どうしがぶつかり合う。多くの人々が犠牲になり、遂に政府が核兵器を取り出そうとした。


 だがその時、彼女が現れた。


「齢十つの白魔女、シーシャだ」


 彼女は誰よりも心優しい魔女で、十歳にも拘わらずたくさんの人や動物たちを避難させたのだ。


 突然姿を現したシーシャは戦場で独り立ち、大きな声で両者に向かって言う。


『こんな無駄なことをしている間にも他の生き物たちは死に、絶えていく』


 彼女は足元の白い花を守るために、命を張って言葉を紡ぐ。


『戦争なんかしてなんの意味があるの』


 人々はこの時、彼女の得意魔法――ク・ロックにかかっていた。意識以外の全ての時間を止める最高難度の魔法だ。

 シーシャはたくさんの人たちに自分の話を聞いてもらうため、体が潰れるほどの負荷がかかる魔法を使った。


『もう、誰も死んでほしくない

 もう、誰かが苦しむ姿を見たくない


 だからもう、やめにしませんか』


 彼女の言葉により、魔女と人間は武器を下ろした。そう、戦争は終わったのだ。


 それからシーシャは魔女や魔法使いたちの居場所「魔法界」を創り出し、力を使い切って息を引き取った。

 その時彼女は十五歳だった。――――


「すごい、壮大なお話だね」


 目を丸くして私は感想を述べた。千田くんは何も言わずに体を進行方向へ向ける。


 彼が自分の為に魔法を使わない理由がよくわかった気がした。私は千田くんの隣へと足を進める。


「人間にとってはあまり有名な話じゃない。事実、文献や証拠が存在していないからな」


 少し悲しそうな表情に見えたのは夕日のせいだろうか。眩しそうに睫毛を伏せさせ、俯き気味になっている。

 私は心の中でざらついた疑問を口にした。


「……魔女狩りはそれからも魔女を狩っているんだよね……?」


 すぐには返答が無かったが、彼は呟くように教えてくれた。


「戦争以降、魔女と人間の関係は回復したと思われた。が、魔女に対して個人的な恨みを持つ輩が多くて一部では未だに戦争状態なんだ」

「てことは千田くんが魔女狩りに追われているって……もしかして恨まれて?」

「先祖がそういう行為をしていたから、その報いだ」


 彼は淡々と答え、自分の感情を何一切表に出さなかった。まるで諦めたように、仕方ないことだと分かっているかのように。


 家に辿り着いて、ふと私は彼に相談した。


「あ、そういえば、最近耳元で名前を呼ばれるの。どこの誰かは分からないんだけど……その呼ぶ間隔が段々狭まってきていて」


 それを聞くなり、彼は眉間に皺を寄せつつ怒ったような口調で問い返す。


「なんで早くにそれを言わなかったんだ」

「呪いなのか気の所為なのか分からなかったから」

「全く……分かった、調べておく。ただ呪いの種類によっては、お前にも協力して貰わないといけないからな、覚悟しておけ」


 じゃ、と軽く挨拶をすると昨日のように箒に乗って私から離れていった。


 なんだか苛ついていたような気がする。私のせい、なのかな……。


 後味の悪い気分になっている私を、再び誰かが呼んだ。

 ―――まだなのかい?ときのちゃん。



 翌日、土曜日。連休初日。


 部活に入っていない私は今、雑多な本を読み漁っていた。これは私の唯一の趣味というか楽しみで、家にあるありとあらゆる本を集めては読み耽っているのだ。

 表紙が焼けて丸まった小説に、古くてツンと匂いのする漫画、今はいない誰かのエッセイなどなど。興味は端からないのだが、これが案外面白かったりする。


――――ときのちゃん、なにしてるの?


 まただ。また誰かが私のことを呼んでいる。


――――ぼくと遊ぼうよ、ときのちゃん。


 ときの、なんて名前はここらでは珍しいから、なにかの聞き間違いということはないけれど……。


 昨日の夜辺りには四、五分置きに呼ばれるようになっていた。耳を塞いでも聞こえる不思議なもので、直接脳に話しかけられているようなのだ。


 困ったな、こんな風になっちゃうなんて。もっと早くに千田くんに相談するべきだった。


――――ぼくはずっと待っているんだよ、ときのちゃんのことをさ。


 ……ごめん、ちょっとそれは気持ち悪い。


――――ほら、ここだよ。こっちだよ。


 うーん、気が散る。黙ってほしい。

 ん? 待てよ、間隔が狭まってきてる……?


――――ときのちゃん、もういいよ。


 確実に狭まってきてる。


――――あれ、ぼくのこと見つけられないの?


 それはまるでヒタヒタと足音を忍ばせるように。


――――じゃあさ、


 一歩、また一歩。近づいてきているようで。


――――ぼくから会いに行くよ、ときのちゃん。



「千田くんっ!」

 思わず私は自分の首を思い切り引っ掻いた。


 ばんッと目の前の窓が勝手に開く。

 そこから赤い影がこちらに飛び込んできた。

 積み上げられた本が音を立てて崩れ落ちる。

 喉がひゅっと鳴く。

 赤い影の目は恐ろしい程沈んでいて。


 次の瞬間、私は――喉を刺された。


 痛い痛い。何が何だか理解が追いつかない。痛い。息ができない。何がどうなっているの。視界に入っているこの大量の赤は……私の血? こんな、たくさん……うそ……。


「みぃつけたぁ♡」


 あの声が脳に直接響くのではなく、私の耳でちゃんと聴こえた。

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