第2話 繋の呪い
「明後日から連休です。すでに分かっている課題は計画的に進め、部活動は積極的に参加するように。それと再来週は……」
担任教師が無表情で連絡事項を読み上げる。私は机の端をじっと見つめてやり過ごした。
高校一年生の私は、友人を作っていない。
コミュニケーション能力が低い訳ではないが、あまり人に合わせることが好きではなかった。誰かの機嫌をとるように褒めまくったり、独りにならないようにグループにしがみついたりするのが、どうしようもなく疲れる。だから私はいつも独りだ。
今月は掃除当番ではない。早く帰ろう。
そう思い、挨拶をしてから荷物をまとめて立ち上がった。
よく陰キャだとか言われる。正直、陰キャと普通の子の境がわからない。静かにしているだけでそう言われるのだ。まぁ、私はあまり気にしないけど。
下校の道。三年生の先輩方に混じって帰る。部活には入部していないため、そのまま真っ直ぐ帰るのが日常だ。
徐々に人が少なくなっていく。私の家はかなり遠いから、こうなるのは仕方ないことだ。
ふと、耳を劈く音が背後から聞こえた。
さっと血が引くのを感じる。振り返るとすぐそこには、黒いワゴン車がこちらへ突っ込んで来ていた。スピードを緩める気配はなく、むしろ更に加速している。
逃げられない。
足が竦んでしまって、体が強張ってしまって動けない。
悲鳴もあげられない。
ひゅっと喉が鳴るだけだ。
「たすけ――――」
虚しく空気を掠める声は、誰にも届かなかった。
反射的に、私は体を縮こませて頭を両腕で守る。目をぎゅっと瞑った。それだけでは、ただで済まないのに。
ぱんっと、弾けたような音がした。
恐る恐る目を開けると、私とワゴン車の僅かな間に影が立っていた。思わず一歩後ずさりすると、影がこちらを振り向く。
「何してんの?」
影ではない、人だ。同じ高校の男子制服を着ている。
驚きすぎて声が出ない。なぜなら彼の左手、ワゴン車に突き出した左手から光が溢れ出ていた。ふわりふわりと、揺らめく光はまるでクッションのように間を埋めている。
「あ、ありがとう……その、ごめんなさい」
振り絞って吐いた言葉はあまりにも掠れていて、ちゃんと彼に届いたのかわからない。
彼は溜息のような息を吐いて背を向けた。そして両手を突き出し、合奏の指揮をするように動かす。するとワゴン車は道路へ戻り、何事もなかったかのように走り去った。
エ、エスパーだ……。
訳のわからない世界に放り込まれたかのような私はただ、救ってくれた男子高校生を凝視するので精一杯だった。
少しして、彼はまた振り返る。見下すかのような目で見てきたが、言葉は優しかった。
「ケガとかしてねぇの?」
その問いかけに慌てて答える。
「だ、大丈夫。ありがとう」
ぺこりと頭を下げると、彼はまた溜息を吐いた。
「あんまり俺と関わらない方がいいから、じゃ」
「あっちょっと……!」
気がつくと、そこは自宅の玄関だった。
「
母さんの声で我に返る。咄嗟に返事をするが、頭の中は混乱していた。
私は白昼夢を見ていたの?
いや、そんなことはない筈だ。だってあの顔、何処かで見たことがあるもの。制服に付いている名札の番号は確か――――
「一年五組の、千田……」
名前がストンと胸に落ちた。
翌日、一年生教室の廊下。放課の時間になった途端に席を立ち、隣のクラスである五組へと足を向けた。
教室前方のドアの隙間から中を伺う。生徒はかなり残っているようだ。
私はなけなしの勇気をフル活用して、一番近くにいた女子生徒に声を掛けた。
「すみません、千田くんっていますか?」
「千田って……あぁサクラくんね。いるよ、呼んでくるね」
運良く人の良い子だった上に目的の人物も存在していた。手元の紙袋をぐっと握る。
間もなく千田くんが顔を出した。少し不機嫌そうな表情をしている。
「……誰」
「えぇと、昨日助けてもらった隣のクラスの
紙袋を申し訳程度に掲げて見せる。彼は更に目付きを悪くして言った。
「あのさ、昨日言ったよね? 俺には関わらない方がいいって」
駄目だ、怖い。でもこの人は命の恩人だから、ここで逃げてはもっと駄目だ。
一度きゅっと唇を結び直した。
「それでもお礼がしたかったの。食べなくてもいいから受け取ってほしい」
半ば無理矢理だったが、彼は渋々受け取ってくれた。ほっと安堵し、胸を撫で下ろす。
すると千田くんは、目付きを変えることなくこう尋ねてきた。
「昨日のアレ、覚えてんの?」
「えぇと、事故になりそうだったこと? 勿論覚えてるよ」
「じゃなくて、俺がなんか凄い力を使ってたってこと。誰にも言ってないよな?」
念を押すように訊き返す彼に、私は頷く。というか、言う相手が私にはいないんだけれど。
私の返答に満足したのか、千田くんは「そうか」と呟いて視線を下に向ける。その表情はどこか、安心しているような雰囲気だった。少し気になってその力について訊こうとしたが、あからさまに彼が遮る。
「そのことなんだけど――」
「もう用は済んだならさっさと帰ってくれ。もう俺に関わるな」
身を返し、すたすたと教室に戻ってしまった。残ったのは呆けた顔の私だけだった。
なんだよあいつ。感じ悪。
心中で毒を吐きつつ、要件は済んだので私も踵を返した。帰ったら英語の予習しておかないと。
下校中。
曇り空から雨の匂いがする。天気が崩れるのだろうか。心做しか、下校する生徒の姿も少なく感じる。
昨日の道はなんだか通りたくなかった為、少し遠回りだが脇道に入った。住宅街を通り抜け、誰もいない田んぼの畦道を進む。やがて再び道路のある通りに出てきた。
「ん?」
私の視線の先には、大きな荷物を背負ったお婆さんの姿があった。腰がひどく曲がっていて、頭は白髪だらけだ。かなり歳がいっているのだろう。
歩くスピード的に私の方が早いから、すぐに追いついてしまった。何もしないのは少々気分が悪い。本能的に、私は話しかけていた。
「お荷物多いですね、お持ちしましょうか」
「あらあらぁ、親切なお嬢さんだことぉ。ありがとうねぇ、じゃあ……」
そう言ってお婆さんは荷物を一旦下ろして
―――私の首の左側に手を伸ばしてきた。
「サクラに宜しく伝えておいて、お嬢さん」
バチンッと、電撃が走ったかのような痛みが打ちつけられた。
反射的に離れ、首元を両手でおさえる。取り乱したためかスクールバッグも落としてしまった。
何をされた? 首の状態は? あの人は誰? どうして私を? サクラ――千田くんに、宜しくって?
訳が分からず蹲る。痛みが増して、段々とその箇所が熱を持ち始めた。熱い。
老婆はまだ居るらしく、クスクスと嗤っていた。
「大丈夫よ、死にはしないわ。今は少し痛いけれど」
「何をっ………!」
言葉が出ない。すぐに警察を呼ばないといけないのに、スマホはバッグの中だ。
次また何をされるかわからない。すぐにでもこの場を去らなければ。
その時、どんッと何かが地面に落ちるような音が近くで聞こえ、すぐに地面が僅かに揺れた。同時に目の前の老婆が消える。代わりにそこに立っていたのは。
「おい待て狩人! ……ったく、また面倒かけやがって」
千田くんだった。
思い切り眉をひそめ、ズカズカとこちらへ歩いてくる。乱暴に座ると、首の左側をおさえていた両手を退かして覗き込んだ。
「な、なにして」
「騒ぐな。なんの呪いなのか見てるから」
ジロジロと見られるなんて、気分が良いはずがない。それに呪い? 急に世界線が飛んだんだけど? それ以上に、恥ずかしさと痛みと心地悪さで脳内がパニック状態だ。
二、三分程してやっと彼が離れた。私はすっかり耳まで赤くなっている。
千田くんは難しそうな顔をしてこちらを見ていた。
「今から俺が言うこと、全部信じてほしい。まず、俺は魔女だ」
唐突にそんなことを言われても出来るわけない。思わず私は訊き返してしまった。魔女? 何を言っているんだこいつは。しかし彼は答えることなく続ける。
「それでさっきのババァが魔女狩りをしている狩人。つまり俺を殺しに来ている敵だ」
口を半開きにしたまま、私は呆けていた。彼は極度の厨二病なのだろうか?
「んで、かけられた呪いなんだが……これまた面倒な呪いを選んだな」
呆れたような口調でそう言うと、千田くんは自分の首の右側に触れた。それと同時に私の左側の首が、誰かに触れられているような感覚がした。
「ひゃっ何これ……くすぐったい」
「それは俺の手。つまり、俺もお前と同じ呪いにかかってんの」
とは言われても、まだ信用ならない。そんな非現実的なことがあるのか?
「まだ信じられねぇの? 仕方ねぇな」
千田くんは立ち上がり、右掌を差し出してきた。そして左手を右手の近くでくるくる回す。
「――フラウラン」
するとポンッと彼の掌に、黄色い小さな花が咲いた。出てきた直後はきらきらと輝いていて、光でできた花のように見える。
「これで信じるか? というか信じろ。じゃないと話が進まないんだ」
「え、あ、うん。少しは信じた」
彼は私を立たせると、その首の呪いだとかの話をし始めた。
私と千田くんにかけられた呪いは”
「魔女狩りたちは俺を殺したい。でも俺が強くて殺せない」
「さらりとすごいこと言うね」
「事実だからな。それで、殺すためには繋の呪いを利用して呪いのもう片方……まぁお前のことだ、を殺す。そうすると俺も死ぬ。ただ首を切った場合だけだ」
片方の刻印――つまり首――を裂けば、もう片方の人も死ぬ。何故だか想像ができてしまい、背筋に冷たいものが伝う。
「私、近いうちに死ぬの?」
「お前が死ぬと俺も死ぬからな、それだと困る。俺だってまだ生きたいし」
やはり魔女だからだろうか。彼は焦ることなく、むしろ呆れているようだった。とても慣れている。
「狩人がすることなんぞいつも同じ傾向だから……恐らくなんの力の無いお前が襲われるだろうな」
びくりと体が震える。私は黙っていることしかできなかった。
「だから極力、俺の目があるところで行動してほしい……ちゃんと護衛できるようにな」
そうして千田くんはこう提案してきた。
なるべく彼の目が届く所で生活する。
登下校は一緒にし、何処か出かけるときは必ず連絡する(千田くんも離れたところで一緒に行く)。
もし家で襲われそうになったら、刻印を引っ掻くなり強く押すなりして彼に報せる。
「面倒だし、あんまり面識のないやつに監視されてるみたいだろうけど我慢して。俺は呪いを解く方法を探す」
面倒だ面倒だと言っている割にはしっかりしている。的確に指示してくれたお陰で少しは安心できた。
しかし、それでは引っかかるところがある。
「それだと千田くんばかり頑張ることになるよ。私に何かできることはある?」
「ない、お前は俺の指示に従えばいい。それだけをちゃんとやってくれ」
冷たく突き放された気分になり、言葉が出なかった。
自分の身も守れない私に対して、千田くんは自分ともう一人のことを守ることができる。私はただ、襲われそうになったら彼に報せることくらいしかできない。なんて無力なのだろうかと、顔を顰めた。
それに気が付いたのか、千田くんが言いにくそうに呟く。
「あー……言い過ぎたな。お前は本当に何もしなくていい。いつも通り過ごしてもらえればいいんだ」
言い訳にも聞こえる彼の言葉に、思わず微笑んだ。千田くんは相変わらずの難しい顔で「なんで笑うの」と問うてくる。私は思ったことをそのまま伝えた。
「だって、見た目に反して優しいから。目付きも口も悪いし、背も高くって威圧感あるし」
言われてむっとされたが、すぐに表情は戻った。悪い気はしないようだ。
その後は連絡先を交換して、帰り道を辿った。勿論、千田くんも一緒に。
「……俺が言うのも変だけど、こう隣を歩いていると勘違いされそうだから離れて歩かね?」
「そうだね、面倒事は避けたいし」
どれくらい離れていた方が良いのか、どれくらい近くにいた方が良いのか。
この距離は、まるで私達の心の距離。
離れたところで黙々と足を進める。離れているから会話はない。ローファーの固い音が小刻みに聴こえてくる。
自宅に着いた為、振り返った。少し遠くで彼がこちらを見つめている。何故か私は小さく手を振った。
「ここ私の家なの。また明日」
「あぁ、また明日」
そう言うと彼は身を返し、何やら呪文のようなものを唱えた。すると彼の手元に大きな箒が現れる。それに跨ると、某アニメ映画の少女ような要領で飛んでいった。やっぱり、本当に魔女なんだ……。
彼の後ろ姿を見送ると、私も身を返し家へと帰った。
いつも通り夕食をとり、いつも通り宿題を終わらせて予習をし、いつも通り風呂に入って、いつも通りの時間に寝る。
自分が呪いにかかっても、結局はいつも通りの生活だった。父さんも母さんも変わらない。私も変わらない。いや、変わらなくて良いんだ。それなのに、どうしてか心に引っ掛かりを覚えている。
遠くにあるはずの『死』が纏わりついていた。
こんな『いつも通り』が、今日は妙に尊く感じる。なんだか変だな……調子が狂いそうだ。
ベッドに入る。通常は無音に感じる一人部屋なのに、階下の物音が変に大きく聞こえる。外の風の音も低くて唸り声のようで――――
こわい。
いつ襲われるか分からない。ましてや魔女狩りをする狩人という、普通の人間ではないのものにだ。
狩人って、本当になんなのだろう。
首を裂かれるって、どんな痛みだろう。
死ぬって、どんなだろう?
目に見えない恐怖に、私は居ても立っても居られなくなった。机の上で充電していたスマホを手に取る。
こんな時間に連絡なんて迷惑だよな。
そう思いつつも私は画面の左端にある、緑色の背景と白い吹き出しのアイコンをタップした。そして一番上の「
最初は何を言えば良いのだろうか……? 異性との連絡なんて父さんくらいだから、どう切り出せば良いのか分からない。
三分ほど悩んでからメッセージを送った。
『こんばんは、起きてる?』
すると一分も経たないうちに既読がついた。
『起きてるけど……何? 襲われてんの?』
『襲われてたらこんなのんびりしてないよ。あのね、少し質問に答えてほしいんだ。』
『別にいいけど』
すっかり断られるものだと思っていたため拍子抜けした。また面倒だの何だのって言われるかと。
『どうして千田くんは魔女になったの?』
『好きでなったわけじゃない。先祖代々魔女の血を引いている家系だったから、半強制的になった』
『魔女と魔女狩り、どっちが悪者?』
『どっちも悪者。
人間を嫌って殺す魔女もいれば人間を気に入って助ける魔女もいる。反対に悪い魔女を駆除する魔女狩りもいれば、魔女を恨んで人間から魔女狩りに転身するやつもいる』
『じゃあ、千田くんは優しい魔女なんだね』
『そんなことない。お前を助けたのはたまたまだった。目の前で人が死んだら誰だって嫌だろ』
『そうだね(汗)
他にも魔女っている?』
『居ないこともないけど、大体はやめてる。もしくは途絶えてる』
『魔女ってやめられるものなの?』
『魔法界って世界に行って手続きをすればな』
『何それすごい。私も行ける?』
『魔女や魔法使いじゃなきゃ駄目だ』
『そっか、残念』
『ま、お前も魔女や魔法使いになれば話は別だがな』
『なれるの?』
『なるつもりなのか?』
『なれたらなりたいよ、楽しそうだし』
『……楽しくはないけど生きるのは楽になる』
『?
楽しくないの?』
『俺の場合、魔女ってことのせいで親は殺されたし、小さい頃から魔女狩りに追われてたからな』
『……なんかごめん』
『なんで謝るの』
『言いたくなかったことなのかなって』
『そんなこともない。もう色々ありすぎて慣れた。
ていうか、そろそろ寝たほうがいいんじゃないか? 遅い時間だ』
そう言われて画面の端の時計に目を向ける。かなり話し込んでしまっていたようだ。
『ほんとだ、じゃあ寝るね。おやすみなさい』
『……おやすみ』
電源を落とすと途端に眠気が来る。ずっと気が張っていたようで、安心したのか吐息が零れた。
微睡みの中、誰かが私のことを呼ぶ。しかし私はそのまま目を閉じた。
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