第27話

 「待て! そいつは――」


 荒川の静止も虚しく、男の手から放られた爆発性の石が、放物線を描いて毒屁虫ベミニスへと飛んでいく。


 新人たちを見つけた安堵から、弛緩した空気が漂っていた中で起こった突然の出来事に、誰もが硬直してしまっていたのだ。


 反応が遅れた幸生は、その様子をまるでスローモーション映像のような感覚で見ていた。


 その時、幸生の脳裏には荒川の声がよぎっていた。


『いいか、あいつには絶対に手を出すなよ。攻撃を受けるとあいつは尻から高温の毒ガスを撒き散らすんだ』


 幸生はその言葉を思い出した直後、我に返る。

 ――しまった! 荒川の言葉を思い返し、幸生が慌てて止めに入ろうとしたが、時はすでに遅かった。


 幸生はその小石を止めるため、両手をかかげようとしたが、自分の動きまでもがスローモーションのようにもどかしく感じた。


 (――間に合わない!)


 毒屁虫ベミニスは、明らかな敵意を感じとったのか、急に動きを止めると、その腹部を大きく逸らし、ガスの噴出口を幸生達の方へ向けた。

 その一連の動作は、幸生たちが道中に見たのと同じ生物とは思えないほどの素早さだった。


 そして――無情にもその爆発性の小石が、体を覆うように生えた細かい感覚毛に接触する。

 

 幸生はすでに、来るべき衝撃を防ぐことに意識を切り替えていた。

 図らずも隣の男以外は幸生の背後にいる。


 幸生の思念を読み取った雫がその男も背後の方へ引き倒そうとするのを目の端で捉えたのと、その怪虫の噴出口から高温の有毒ガスが噴出されたのはほぼ同時だった。


 弾けるように爆発した小石と相まって有毒ガスの強烈な炎の嵐が幸生達に襲いかかったきた。


 幸生は迫りくる爆風を全身で受け止めるように身を構える。


 爆風を念動力で押しとどめようと考えたのだ。

 それが可能なのかどうかなんて分からなかった。

 しかし、これ以外に方法が思いつかない。


 頭の中で、訓練で掴んだ感覚を思い出す。


 幸生は迫り来る炎の嵐をひとつの物体として捉え、それを押しとどめるように両腕を前へ広げる。


 次の瞬間、幸生の眼前に炎を伴う爆風が押し寄せてきた。

 轟音と共に吹き荒れる炎の嵐に、全て飲み込まれる――


 しかし、それはまるで見えない壁に阻まれたように、幸生の前で押しとどめられていた。

 爆風の直撃を受けたかのような衝撃が、腕から伝わってきたが、幸生はかろうじて堪えている。

 この時、幸生はこの能力ちからを感覚で使っていたが、無意識下で分子レベルの物体にまで念動力による干渉を行っていたのだ。


 幸生の試みは成功したかに思えた。

 しかし、それはやはり付け焼き刃の能力ちからと言わざるを得なかった。


 襲いかかる炎の嵐は想像を超える勢いと熱量を持っていたのだ。

 防ぎきれなかった高熱の粒子が見えない壁から漏れ出すように幸生に吹きつける。

 無防備にさらされた幸生の両腕に向かって――。


 はじめは少しの違和感が、次の瞬間、強烈な痛みが幸生の両腕を駆け巡った。

 まるで、無数の針を突き刺されたような激痛だ。


 そのあまりの苦痛に幸生は思わず声を上げた。

 だが――それでも幸生は 能力ちからを解くわけにはいかなかった。

 ここでやめたらどうなる?

 幸生だけでなく、後ろにいる全員が巻き込まれたら……。

 そう考えると、幸生は引くわけにはいかなかった。


 歯を食いしばり痛みに耐えながら、ただひたすらに念動力を維持することに集中する。

 両腕の皮膚が溶かされていくのを幸生は感じていた。

 細胞レベルで破壊されていく激痛に、全身が震え、集中が途切れそうになる。


 襲いかかる熱波と、自身の限界を超えた能力ちからで、立っているのもやっとだった。

 幸生を支えているのは、背後にいる皆を守ろうとする意志の力だけだ。



 どれくらい経っただろうか。

 


 やがて、その炎の嵐は霧散し、視界が少しずつ晴れてきた。

 時間にして数秒だったかもしれない。しかし、幸生にはあまりにも長く感じられた。


 両腕を前へ広げた姿勢のまま立っていたが、能力ちからを解き、ふっと全身の力が抜けた瞬間、幸生の両腕を強烈な痛みが襲ってきた。


 あまりの激痛に幸生は悶絶し、膝から崩れ落ちた。


 「せ、先輩っ!」

 雫が倒れ込む幸生を後ろから抱え込むように支えた。

 痛みからか、幸生は額に汗を滲ませ、体は震えている。


 見ると、高温で熱せられた幸生の二の腕の肘から先の部分は、皮膚が溶け、剥き出しの肉が焼け異臭を放っている。


 その両腕はあまりに酷い状態で、目を背けたくなるような有り様だった。


 「あぁ……あ、荒川さんっ」

 背後から幸生を支えていた雫が、うろたえるようにして荒川に助けを求めた。


 「これは……すぐに上に運ぶぞ」

 これは、もう幸生の両腕は使い物にならないかもしれない。


 「み、みんなは……」

 幸生が痛みで顔をしかめながら聞いた。


 「ぶ、無事です。みんな無事です。でも先輩が……」


 よかった、と幸生は安堵した。

 腕は……なんとかなるだろうか。正直、自分でも見るに堪えない状態だ。



 その時、「わ、私がっ!」と言いながら、先ほど幸生たちが助けたうちの一人、星宮ほしみやと名乗っていた若い女が駆け寄ってきた。


 「わたしの能力で治せるかもしれません」

 「すみません、少し痛むかも」

 そういって幸生のひどく爛れた両腕に、手のひらをかざすようにして触れた。


 「ぐぅ……」

 むき出しの神経に直接触れられるような刺激に幸生は思わず声を漏らした。


 しかし次の瞬間、幸生の焼けた両腕に、異変が起きる。

 溶けた肉と皮膚が、じわじわと目に見える早さで再生しているのだ。 

 まるで急速に活性化した細胞が、古い細胞を押しのけるように、みるみるうちに元に戻っていく。

 それは、身震いするような、ぞわぞわする快感を伴っていた。


 そしてわずか数十秒で幸生の両腕は、ほとんど治ってしまった。

 元に戻った幸生の手は、何事もなかったかのように動く。


 幸生達は、目の前で起こった信じられない光景に言葉を失っていた。


 ためしに腕を振ったり、手を握ったりしてみる。

 全く問題ない。


 「す、すごい……」

 幸生は驚きとともに呟いていた。まさに奇跡のような能力ちからだ。

 

 幸生は元通りになった両腕をしげしげと見ながら、

 「あ、ありがとうございます。もう使い物にならないかと。こんな奇跡みたいな……」


 「そんな!奇跡だなんて」星宮は少し照れたように、栗色の髪を耳にかけて微笑んだ。

 「そ、それに!お礼を言うのはこちらの方です。本当にありがとうございます」と言うと慌てたように深々と頭を下げた。


 後ろにいた男達も口々に礼を言いながら、何度も頭を下げている。

 その表情には安堵と感謝の気持ちが溢れていた。


 今までの人生で、こんなにも人に本心から感謝されたことがあっただろうか?


 「と、とりあえず地上へ戻りましょう」

 幸生はなんだか気恥ずかしくなって、頭をかきながら、その照れ臭さを紛らわすように言った。

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