第23話

 残暑が去り、空気が透き通って少し肌寒くなり始めた10月のある日、東京都内の少し寂れたバーに、体格のいい二人の男の姿があった。


 一人は、整えられた短い黒髪に引き締まった表情をした男。上質なスーツで包まれたその体は、服の上からでもわかるくらいに鍛え抜かれていた。しかし、その顔つきには今はやや疲労感を滲ませていた。

 もう一人は、対照的に無造作に伸びた白髪混じりの男。手入れされていない無精髭と薄汚れた灰色のコートがより一層男の印象をやさぐれたような雰囲気にしていた。


 「久しぶりにお前から電話があった時は何事かと思ったが、まさか窪田君を助けたのがお前だったとはな。見つからないわけだ」

 ハンタース事務所代表の猪村いむらが、目の前に置かれたグラスを一口あおると口を開いた。


 「それにしても……あの時の事故の被害者が窪田君のご両親だったとは」


 荒川は返事をするように鼻を鳴らした。

 「ライセンスの新規登録者リストを見ていたら、たまたま目に入ってな。初めはまさかと思ったが……そのまさかだったよ」


 「4年前だったか。あれは酷い……事故だったな」


 「あいつの名前を見つけてから、どうしても頭から離れなかった。あの日、あいつがお前のとこのトライアルを受けるという話を耳にしてな。俺も……何をしたかったのか、会って謝罪したかったのか、自分でもわからんが。とにかく、行ってみたらあの有り様だ」


 「俺は……今回の事件もそうだ、いつも間に合わない。こんな能力ちからなのに、肝心な時になんの役にも立ちやしねぇ」

 顔に後悔の色が浮かばせながら、荒川はグラスを握った手に力を込めた。


 「4年前の事故は、お前のせいじゃないだろう。今回の件も責任があるとしたら俺の方だ」


 「……あれは、ただの事故じゃない」

 荒川はさらに手に力を込めながら言った。


 今から4年前、あるダンジョン生物の個体を研究所へ運ぶため、政府はハンター事務所にその警護を委託した。その依頼を受けたのが、当時ハンタースに所属していた荒川だった。その輸送は秘匿されていたし、あくまで警護は念の為に手配されたものだった。


 当時、荒川は輸送車の後ろを走る後続車に乗っていた。

 研究所まで道半ばに差し掛かった頃だったろうか、突然、輸送車がスピードを上げ対向車線に飛び出し、反対から向かってきた乗用車と正面衝突、その乗用車に乗っていたのが、幸生の両親だった。


 輸送車はそこまで酷い状態ではなく、運転手も怪我を負っていたが無事だった。しかし、乗用車はその衝撃で大破し、前方部分が押し潰されるようにひしゃげていた。荒川が駆けつけた時、逆さまになった車内にいた幸生の両親は目を背けたくなるような酷い状態だった。

 しかし――しかし荒川が駆けつけた時はまだ息をしていたのだ。

 潰れた車内から、なんとか助け出そうとしたが、衝撃で歪んだ車体が邪魔をした。もはやもの言えぬ口でうめきながら、その手は割れた窓から助けを求めるように中を彷徨っていた。

 どうしようもなかった。

 手をこまねいているうちに、ガソリンに引火し、その車は次第に炎に包まれていった。その燃え盛る炎を、荒川はなす術もなく、ただ呆然と見ていることしかできなかった。

 あの時ほど、自分の無力を感じたことはなかった。


 「まだその件を追っているのか、あれは事故として処理されたろう」


 「俺は、あれが単なる運転ミスによる事故とは思えない」

 あの時、事故を起こした運転手は動揺するわけでもなく、無表情で、まるで感情の無い人間のようだった。

 そして判決の日の前日、そいつは自宅で死んだ。結局、それは罪の意識に苛まれ自殺したものと判断され、それ以上の捜査は早々に切り上げられた。


 それに、ダンジョン生物を輸送していたことは公表されていなかったにも関わらず、どこからかその情報がリークされ、政府及びダンジョンハンター連盟は、特にダンジョン開発反対派の活動団体から大バッシングを受けた。

 国が研究のため生物の死骸をダンジョン外に運び出すことはままあった。しかし、その個体が地上環境に耐性を持つ、生きた生物であったこと、そしてその輸送車が事故を起こしたことが世間に知れ渡ってしまったのだ。



 「それで、例の頼んでたことは?」


 「ああ、これだ。釘光くぎみつに頼んだよ。あいつは元刑事だったからな。だがそれも特に事件性がないものとして処理されているぞ」と言って猪村が紙のファイルを滑らせて寄越した。


 「窪田君と一緒にいるというその音地 雫おとじ しずくという子は、当時、ダンジョン生物学研究所の副所長だった音地 啓介の娘だよ。だが、その父親もちょうど同時期に不慮の事故で亡くなっていたみたいだが」


 荒川はそれを受け取ると、パラパラとページをめくり流し読みをする。


 「その件が4年前の事故、そして今回の件と関わっているのか?お前は何か掴んでいるのか?」


 「いや……まだわからんが……」


 「なぁ、荒川。お前ハンタースに戻らないか?俺たちも今回の件で、そよぎの事務所と連携して調査しているが、正直うちも手一杯でな、お前が戻ってきてくれるとありがたい」


 「ふん、俺は俺でやるよ。そもそも俺はあの女がどこか気に食わん」


 「しかし……この件もそうだが、今のダンジョンハンター界にはお前のような経験豊富な奴が必要なんだ。そもそも、この国は各国より研究も法整備も遅れている。このままでは近い将来、世界から置いていかれることになる」


 「はっ、政治家みたいなこと言い出しやがって」


 「ダンジョンは人類にとっての新たなフロンティアだ。世界各国は既に宇宙開発より、こちらに舵を切って政府主導でその研究を推し進めている」

 「それがどうだ、この国は。政府や連盟上層部の奴らは自身の保身のために、資源の供給量やダンジョンの踏破率のことしか頭にない」


 「相変わらず、熱い男だねぇ。お前は」


 「冗談ではないぞ。最近、中国の深圳シンセンにあるダンジョン近辺では、周囲の大気中に含まれるダンジョン由来の粒子濃度が異常に高くなっているらしい。あの国は情報規制が厳しいから詳しい情報は入ってこないが……もしそれが事実なら、もし、ダンジョン生物が地上に溢れでもしたら。それを防ぐためにも俺たちはもっとダンジョンのことを知る必要があるんだ」


 「だからこそ、俺たち民間の――」


 「わかったよ。ただ、この件に方がついてからだ。これは俺は俺でやらせてもらう」

 遮るように荒川はそう言って、グラスの酒を一気に飲み干すと、席を立った。


 「それと、とりあえずあの二人は俺が面倒を見る」

 荒川は猪村に背を向けると、そのまま振り返らずに店を後にした。


 「お前も相変わらずだな」

 猪村は、出ていく荒川の姿を見届けると、苦笑いをこぼしながらグラスに残った酒を飲み干した。

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