第22話
「おいっ!
幸生が焦りから額に汗を滲ませながら、慌てたように叫んでいる。
焦る幸生の周りには、人の頭くらいある馬鹿でかい蚊のような怪虫、
「おい幸生!集中しろ、ほらほら、またぐらついてるぞ!」
幸生の頭上、斜め上の方から荒川の厳しい声が飛ぶ――が少し面白がっているような口調でもあった。
幸生が恨めしそうな目で見上げると、幸生の念動力によって、ふわふわとあぐらをかきながら浮かぶ荒川がいた。
(くそっ、このおやじ、あんたのせいで身動きできないっていうのに)
幸生は鼻から血を流しながら心の中で毒づいた。
その間にも、その怪虫はその凶悪な針を突き出しながら今にも幸生に襲い掛からんとしていた。
「ちょ、ちょっと、やばいよ!雫さん!?」
「ちょっと待ってください!数が多すぎて――」
雫は手にした持ち手の短い手斧を器用に扱いながら、近くにいた別の
そこらじゅうから不快な羽音が響き渡り、それが余計に幸生の不安を駆り立て、集中力を阻害していた。
(あぁ――おれはこんなところで何をしているんだ)
幸生は少しでもその怪虫から離れようと身を捩らせながら、現実逃避気味に思った。
そもそもの事の始まりは、荒川による特訓開始から4日目の朝、浅層の比較的安全な場所で特訓に励んでいた幸生たちだったが、荒川が流石にこれでは生ぬるいと言い出して、連れてこられたのがここ、奥多摩ダンジョン中層の中心部とも言える14階層だった。
ここには、なるほど
そんな場所で、幸生自身は襲い掛かってくる脅威に手を出さず、そして冷静さを失わず荒川を浮かせ続ける、という馬鹿みたいな事をやっている訳なのだが……。
それも全てはお前がクールな男になるためだと、いい具合に言いくるめられてしまっため、幸生も強く出れなかった。
ちなみになぜ荒川なのかというと、荒川の体重が幸生が今、安定して浮かせることができる限界ギリギリの重量だったからだ。
しかし……この状況下では、幸生の命運はもう全て雫にかかっていた。
「おい、集中しろって言ってるだろうが!俺が落ちてもいいのか!?」
不安定にぐらぐらと揺れながら荒川は怒声を飛ばす。
(落ちてもいい!だいたいあんたは――)
幸生はそんなふうに思いながらも、歯噛みして集中し直そうとしたが、
幸生はすでにもう限界を迎えていた。
血を流しすぎて頭がぐらぐらしている。
そんな時に、さっきから幸生の周りを飛び回っていた
「うっ――!」
突き出されたその残忍な鋭さを持った針が幸生の顔面に突き刺さる――
かに思われたが、その怪虫は、幸生の鼻先で胸部から両断され、緑の体液を撒き散らしながら地面に落ちていった。
幸生の目の前には、手斧を振り抜いた雫の姿があった。
鈍く光るその刃には緑の体液がこびりついている。
(た、助かった)
幸生は安堵したように息を吐いた。
しかし、その瞬間に集中力はすでに切れ、荒川を支えていた念動力も切れていた。
「ぅおい!」荒川が空中でバランスを崩し地に落ちてゆく。
しかし、あろうことかその瞬間、荒川の姿は幸生の眼前から消えていた。
「ちっ……集中を切らすなと言ったろう。大体、こんな羽虫がなんだって言うんだ」背後から舌打ちする、不満げな荒川の声が聞こえた。
後ろを振り向くと、どこからともなく現れた荒川が、辺りを飛び回る
そう――荒川の能力は
荒川の能力を初めて目の当たりにした時は、あまりの驚きに言葉を失った。
とはいえ、荒川が言うにはその特異能力を使うにはかなり神経を消耗するらしい。
幸生は頭の中で荒川が言っていたことを思い出していた。
『俺のこの能力には、移動先の、そして自身の体の指先に至るまで、そこに存在しているかのような正確なイメージが必要なんだ』
『それができないと、俺の体はその反動を受けて――』
荒川はそう言いながら、左手を掲げた。
その薬指と中指は第二関節あたりから欠けている。
『置き去りになった俺の指は今もどこかの異空間に転がってるかもな』
荒川は冗談みたいに言っていたが、それを聞いたとき、幸生の背筋をぞくっとする悪寒が走った。
つまり、目視できない場所、ましてや行ったことのない場所へ
失敗すれば体を持っていかれるなど、たまったものではない。
「お前はビビりすぎだ、幸生。雫をもっと信頼しろ」
現実逃避していた幸生を引き戻すように荒川の声が聞こえた。
「そうですよ!先輩は私をもっと信頼してください」
雫がその豊かな胸を張って偉そうに言った。
「お前もだ、雫!お前は格闘のセンスは良いが、もっと能力を活用しろ。さっきも、幸生の思念をいち早く読み取っていれば、言われずとも、もっと早く反応できていたはずだ」
荒川は、雫には戦闘中に能力を常時発動させ、幸生の思考のみを読み取る、
それでも、雫の身体能力と、近接格闘のセンスはなかなかのものらしく、荒川も認めていた。
それに、あの怪虫の体液を滴らせている手斧。何も武器を持っていない雫に荒川が与えたものだが、ダンジョン鉱石製らしく、軽いのに凄まじい切れ味をしていた。百万はくだらないらしいが、そんなものをポンとやるのだ。2級ハンターは伊達ではないらしい。
「はい……おっしゃる通り……ですけど、先輩あんな時でも変な事ばっかり考えてるんですもん。気が散りますよ!」
しょぼんとしかけた雫が、恥ずかしそうに顔を赤らめながら反論した。
「いや、は!?考えて無いだろ!」
幸生は慌てて否定しながら雫を見た。
今日の雫は動きやすいように、上下共に体のラインが出るぴったりとした黒っぽいスポーツウェアにスパッツのようなものを履いている。
気にならない方がおかしい。
「……ほら」
「いやいや、俺は考えてない!考えてないんだ!考えるのをやめるんだおれ!」
そう言って幸生は雑念を払うように、頭を激しく振り始めた。
考えるのやめようと意識すればするほど、頭の中にイメージが湧き上がってくる、堂々巡りだった。
「おい雫、その辺にしてやれ」
「そういえば、お前たちはいつ、どんな風に覚醒したんだ?これはまぁ信憑性のない話ではあるが、覚醒する特異能力にはそいつの願望だったり、強い思いが影響してるって話があるんだが」
荒川が顎に手を当てながら興味深げに聞いてきた。
「んー……正直私はその瞬間をあまり覚えてないんですよね。初めは空耳かな、とか思ってたし」
「先輩は……」
雫と幸生は顔を見合わせた。
「会社で怒って課長を浮かせた時……?」
「そう、だな…………あ」
幸生の頭に、あの日、駅の階段で見てしまったあのOL風の女性の白い下着がよぎった。
「……先輩?」
雫が心底あきれ果てたという顔で幸生をみている。
「あれは事故だ!わざとじゃない!ていうか今、訓練してないんだからおれの思考を読むのはやめろよ!」
慌てて頭の中のイメージを消そうとしながら幸生は抗議の声を上げた。
「そ、それにしても、なんでダンジョンに生息する生物は揃いも揃って馬鹿でかいんだよ。こんなのが地上に溢れたら」
なんとか話題を変えようと、また近寄ってきた怪虫を叩きのめす荒川を見ながら言った。
「それは、ここにいる多くの種はダンジョンの環境下でしか生きられないんですよ。ダンジョンの大気中に存在する粒子が関わっているとか。深層に生息する危険な生物の中には耐性がある種もいるみたいですけど」
「へぇ〜……というか、前から思ってたけど、なんでそんなにダンジョンのこと詳しいの」
「え、あ……そ、それは、その」
雫が急に言い淀んだ。
「ま、それはそうと、俺は少し野暮用があるから、これから2、3日あけるぞ。その間も励めよ」
「それと幸生、昨日も言ったがお前は複数の物体に同時に干渉する練習もしておけよ」
立ち去ろうとした荒川が振り返って言った。
「……はい」
幸生は複数の物体への同時干渉が苦手だった。右手で何かをしながら、左手で全く別のことをするような感じで混乱してしまうのだ。
それが、3個、4個と増えていくともう訳がわからなくなる。
「ともかく、2人ともその時に成長ぶりを見せてくれ。もし、そこで俺が基準を満たしてないと判断したら、わかってるな?その時は潔く諦めろ」
荒川が幸生たちを試すような視線を向けた。
「……わかってます」
幸生は覚悟を込めたようにうなずいた。
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