第19話

 幸生が奥多摩ダンジョンに入り浸るようになってから、さらに2週間が経過した。


 いまだに念動力のコントロールを取り戻せない幸生は、それでもなんとか生き延びていた。

 何度か危ない目にあったが、その度に必死に逃げ、どうしようもないときはがむしゃらに能力を使ってなんとか切り抜けた。

 それでも、幸生はダンジョンに潜るのをやめなかった。


 初めは食料を補給するために1日に1回はダンジョンから出ていたが、それも1日おきになり、ついには2日以上帰らない日々が続いた。


 何をする気力も起きず、しまいには食事をするのも億劫になり、風呂にも入らず、髭も伸び放題、もとから癖の強い髪は、今では洗え洗えと主張するように、方々にぴんぴんとはねている。


 それでも、念動力のコントロールを取り戻そうとする努力だけは続けていた。それだけが唯一の心の、情けないプライドの拠り所だったから。それまでも失うわけにはいかなかった。


 しかし、幸生の心はすでに折れかけていた。あれから、なんとか取り戻そうと躍起になっていたが、何度試しても上手くいかない。

 なんの成果も得られないまま、ただただダンジョンを徘徊するだけの日々が続いた。

 

 そんな時に、ふと頭をよぎるのは、あの時の光景だった。

 思い出すのは、幸生を責めるほむらの言葉だった。

 そしてその度に、彼らの死を悲しむよりも、自己弁護してしまう自分に嫌気が差していた。


 その日、幸生は2日ぶりにダンジョンから出てきた。

 ゲートをでて、ふらふらと倒れそうになりながら歩いていると、守衛と話している男が目に入った。

 薄汚れた灰色のコートを着た40代半ばくらいの、無精髭を生やした男だ。

 幸生はその男をダンジョン内で何度か見かけていたから覚えていた。人の少ないダンジョンだからか、気にも留めていなかったがなぜか印象に残っていた。


 その男が、今にも倒れそうな幸生に心配したのか、声をかけてきた。

 「おいあんた、大丈夫か? これでも食え」

 男はコンビニの袋を差し出してきた。中にはおにぎりやサンドイッチが入っている。


 「いや、大丈夫です」

 誰とも話したくなかった幸生は、せっかくの親切を拒絶するように下を向いて再び歩き出す。


 「おい、ちょっとま――」


 男が呼び止めようとしたが、幸生は逃げるように立ち去る。

 

 その時、行く手の方から聞き慣れた声が聞こえた。

 「せ、先輩?」

 

 「え……?」

 伏していた目を上げると、そこにいたのは雫だった。


 「な、なんでここに……」

 想像だにしていなかった幸生は動揺した。

 そして、雫の顔を見た瞬間、一瞬、安堵感に包まれる情けない自分がいたが、すぐに罪悪感でいっぱいになる。


 「…………」

 雫は幸生の問いに答えず、無表情のままずんずんと幸生の方へ向かってくる。

 

 無表情のまま、雫は幸生の前で立ち止まった。


 バチンッ――!!

 

 乾いた音が響いた。


 「っ……!?」

 雫は右手を振り抜いており、幸生は左頬を押さえていた。

 殴られたと理解するのに少し時間がかかった。


 「どれだけ、どれだけ探したと……心配したと思ってるんですかっ!!」

 雫は今にも泣きだしそうな目で、ふぅ、ふぅと息を荒くしながら幸生を睨みつけていた。怒りで頬が赤くなっている。


 「ご……ごめん……」

 幸生は俯きながら消え入りそうな声で言った。


 そんな幸生を見て、雫はさらに怒りを募らせる。

 「電話にも出ないし、なんの連絡もしないで……こんな……こんなボロ雑巾みたいになって!」

 「私、本当に……もう、心配して……」

 言葉に詰まる雫の瞳から、ぽろぽろと涙がこぼれ落ちる。


 「ご、ごめん……あんな態度とって、どんな顔して……」

 幸生は項垂れたまま、謝罪を口にしとうとする。


 「そんなこと私は気にしてません! あんな目に遭って、あんなことを言われて、誰が普通でいられますかっ!」


 「それでもっ……俺は……皆死んだっていうのに、大して悲しんでもない……皆を救えたかもしれないのに、ずっと自分に言い訳ばかりしてる。自分の事ばかり考えてる。挙句の果てには、お前にまで八つ当たりするし、俺は、最低な人間なんっ――」

 幸生はこれまで溜め込んでいたものを全て吐き出すように、震える声で叫ぶ。


 雫はそれを遮るように、幸生のことを抱きしめた。

 「先輩は……十分頑張ったんです。辛い時は自分のことだけ考えてればいいんです。人のことなんか気にしなくていいんです」



 その言葉に、幸生は喉からせり上がってきたものを堪えることができなかった。

 幸生の目からは、堰を切ったように涙がボロボロとこぼれ落ちる。

 止めようと、何度も目を拭うが、次から次に、嗚咽と共に溢れ出てくる。


 「な、情けない……30にもなって、こんな……」


 「いいんですよ、それに先輩が情けない人だっていうのは知ってましたから」


 「……おい」

 幸生は泣き笑いを浮かべた。久しぶりに笑った気がした。


 「先輩……臭いです」


 「……ごめん」


 「さっ、帰りましょう! 何か食べに行きましょうよ! もちろん先輩の奢りですからね!」

 雫は急に恥ずかしくなったのか、さっと離れると、気恥ずかしさを紛らわすように、わざと茶化して言った。


 雫はそう言って前を向いて歩き始めた。幸生も目を拭いながら、足取りの軽い雫の後をついて行く。心なしか、幸生の足取りも軽い。


 しかし、数歩も歩かぬうちに雫が突然立ち止まった。

 「……え?」

 雫は急に振り向くと、幸生の背後の方を驚いたように見ていた。


 「どうし――」

 幸生も振り向くと、さっき話しかけてきた薄汚れたコートを着た男が立ち去るところだった。


 「ちょ、ちょっと待って!」

 雫が慌てたように、男を呼び止めるように声をかけると、その男は怪訝な顔をして、半身だけをこちらに向けた。


 「あ、あなたがこの人を助けてくれたんですか?」


 「!?……な、なんの話だか」

 明らかに動揺した男は、それを隠すかのようにそそくさと立ち去ろうとした。


 幸生は何がなんだか、訳がわからない。



 「隠しても分かります! 私も……私も覚醒者なんですっ!」


 「「え!?」」

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