第17話

 ピッ……ピッ……


 規則正しい電子音が聞こえる部屋で、幸生は真っ白な天井を見上げていた。


 (ここは……)

 幸生はまだボーッとする頭で考えながら、上体を起こそうとした。


 「っ!……痛っ……」腹部がズキンと痛み、思わず顔をしかめる。

 痛む腹部を右手で押さえながらあたりを見渡した。


 そこは病室で、幸生の体には数本の管がつながれていた。

 (そうか、病院に運ばれたんだ……助かったんだ……雛乃さんや他のみんなは……)


 その時、おもむろに部屋のドアが開き――

 「せ……先輩?」

 そこには、目覚めた幸生を見て、目を丸くして立ち尽くすしずくがいた。

 

 「先輩っ!!」


 雫は手に持っていた花を床に落とし、泣き崩れるようにベッドに近づき、そのまま幸生に抱きついた。


 「先輩……よかった、良かったです……」

 雫は涙声で何度も繰り返した。


 「し、雫……なんでここに」幸生は驚きながら、震える彼女の背中をぎこちなくさすった。


 「っ痛…………」動くと傷を負った腹部がひどく痛む。


 「あっ! ごめんなさいっ」

 慌てて雫が幸生から離れた。


 「いや……大丈夫だよ」


 「いえ、あ、安静にしてないと……本当に心配したんですから。先輩の名前が、ニュ、ニュースで、今回の事故が報道されてて、それで……それで……」

 その大きな瞳から再び大粒の涙が溢れ出した。


 涙を流しながら、必死に言葉を紡ぐ彼女を見ていると、幸生は申し訳なくなった。

 

 「わ、悪かったよ……そんな泣くなって」

 幸生は困ったような表情を浮かべながら、行き場を失った右手で無造作に髪をくしゃくしゃっとした。


 「! そ、そういえば、そのニュースってまだ見れるか!? それと……俺の、俺の他に……?」

 幸生は最後まで言を継げず、俯いた。

 返ってくる答えはわかっていた。その答えを聞いてしまうと、あれは自分の妄想だったのでは無いかという、一縷の望みまでも失ってしまうことが怖かった。

 しかし、確かめずにはいられなかった。


 「…………」


 「な、なぁ……どうなんだよ」

 黙り込む雫に、返ってくる答えを確信したが、すがるような目で幸生はもう一度聞いた。嘘でもいい、否定して欲しかった。


 「そ……それは、と、とりあえず先に先生呼んできますね」

 雫は幸生の問いを避けるように、涙を拭いながら、慌てて部屋を出て行こうとした。


 その時――開いたままだった入口から「よお、目を覚ましたかよ」と言いながら荒々しい雰囲気を纏った大柄な男がずんずんと入ってきた。

 その後ろからやや細身の銀縁眼鏡をかけた長身の男が続いた。


 「あ……あなたは……」

 幸生はその大柄な男を知っていた。

 短く刈り込んだ黒髪に薄い顎髭を生やしている。精悍な顔立ちだが、その瞳には、今は疲れているような、悲しげな光が宿っていた。


 「俺は前田 焔まえだ ほむら、ハンタース事務所のハンターだ」

 険しい顔をしながら男は無愛想に名乗った。


 前田 焔――ダンジョンハンター界のみならず一般人にも広く知れ渡っている名をその男は名乗った。1級ハンター……日本ハンター界の最高戦力のひとりと称される力を持つ能力者だ。


 そして……そして志月雛乃しづきひなのの婚約者だった。


 「私は釘光 一くぎみつ いつと申します。同じくハンタース事務所に所属しています」

 釘光も焔と同じくらい有名なハンターだった。スーツを着込んだその姿はまさにインテリといった風貌をしている。

 そして、銀縁眼鏡の奥の瞳は、凍てつくような、ひどく冷たい光を放っていた。


 「窪田さん、目を覚ました直後に申し訳ないですが、今回の件について話を聞かせてください」

 呆然とする幸生をよそに、淡々とした口調で釘光は言った。


 「ちょっ! ちょっと待ってくださ――」

 雫が止めに入ろうとしたが、焔がその幹のように太い腕でそれを制した。


 「緊急を要する。人が殺されてんだ……お前以外全員な。目撃者もいない。要するにお前は容疑者ってことだ」

 拳を膝の上できつく握りしめながら、焔は吐き捨てるように言い放った。


 「……な、何を言って……」

 幸生は動揺しながら、かろうじて声を出した。


 「すみません、あくまで参考人としてお話をお伺いするだけです」


 「だがっ!」

 焔が何かを言いかけたが、釘光の眼差しを受けて、押し黙った。


 「まず、あなたを助けた人ですが……渋谷ダンジョンの守衛の話によると、ボロボロの灰色のコートを着た、40から50歳くらいの男が、重傷を負った君を抱えてゲートから出てきたと証言しています」


 「そして、状況を伝えると、守衛の制止を振り切ってそのまま去っていったと。その男は今も捜索中ですが、何か心当たりは?」


 「い、いえ……ありません」

 

 「そうですか……それでは当日のことを出来るだけ詳細に話してもらえますか」


 「はい……」幸生はポツポツとあの日何が起きたのか、所々詰まりながらも話し始めた。



 ◇


 

 「……なるほど、ありがとうございます……知りたい情報は聞けました。目覚めた直後にすみませんでした」


 「では我々はこれで……」手帳を懐にしまいながら、釘光は立ち上がり部屋から出て行こうとした――


 しかし、焔は「じゃあ何か? お前はいつでもその化け物を倒せたって言うのに、びびって他の奴らを見殺しにしたってわけか? そんなお前を守ろうとして……あいつは……雛乃は死んだってことか?」焔が悔しさと怒りに顔を歪ませる。

 

 「あ……あ…………」

 幸生は、無意識に考えないようにしていたその事実を、焔に真正面から突きつけられ、言葉を発することができなくなっていた。

 頭の中で、あの時の光景がフラッシュバックし、視界がぐらつく。

 体中に悪寒が走り、吐き気がする。

 

 焔は、幸生を責めるべきではないことは分かっていた。

 しかし、雛乃が死んだという事実を受け入れられずにいた。

 

 愛するものを失った悲しみと、その場にいなかった自分に対する苛立ちに、彼は幸生の胸ぐらを掴み上げた。


 幸生は抵抗しなかった。

 ただ、苦しそうに顔を歪めながら焔の顔を見ていた。


「おい! やめろ!」釘光が慌てて止めに入り、焔を引き剥がす。


「申し訳ありません……おい、行くぞ」釘光は幸生に謝ると、焔の肩を抱えるようにして部屋を出ていった。



 

 部屋に取り残された2人。



 

 雫は、泣き腫らした目で幸生を見つめていた。両手で髪をきつく掴み、頭を抱えうずくまる幸生に、何か声をかけようと何度も口を開きかけたが、言葉が出てこなかった。

 

 「…………」


 「先輩……」


 「…………」


 「あの、先輩……」


 「……ひとりにしてくれ」


 「でもっ」


 「いいから出ていってくれっ!」

 顔を上げ、幸生は雫に向かって怒鳴った。


 「…………」

 雫は何も言わずに部屋を後にし、扉を閉めた。


 

 

 「何してんだよ……」

 誰もいなくなった部屋で、幸生は独り呟いた。


 何に対して怒っているのかわからなかった。

 急にお前は容疑者だと、取り調べまがいのことをされ、疑われたことに対してだろうか。

 自分以外が死んだと言うのに、涙ひとつ流さない自らの非情さにだろうか。

 自分は助かってよかったと、安堵している醜い自分にだろうか。

 最初から、臆さずに死ぬ気で戦っていれば……みんな助かっていたかもしれない。

 いや、でも、仕方ないじゃないか……そんな風に自分で自分に繰り返し言い訳をする情けなさに。

 

 そんな情けない自分を棚にあげ、やり場のない怒りを、心配してくれただけの雫にぶつけた。


 ぐちゃぐちゃになった感情に、心が支配されてゆく。


 「……なんのために……」

 幸生は力なくベッドに倒れ込んだ。

 ただひたすらに、自分の無力を呪うしかなかった。



 ♢



 「……どうだ?」病院から去っていく黒塗りの高級車の中で、焔は運転しながら釘光に聞いた。


 「……話の中に嘘はありませんでした。何かを隠している……ということもなさそうです」

 凍てつくようなその眼光を鋭く光らせながら釘光は答えた。


 「しかし……ライセンスを取ったばかりの、あのひ弱そうな男が、話にあった化け物に手傷を負わせて追い払ったとは信じ難い」


 「私はそうは思いませんが……まぁ、彼は白でしょう。ともかく、彼の話を聞いて猪村さんが言っていた、同じ覚醒者の犯行である可能性が高くなりました。まずは、渋谷ダンジョンを封鎖して再調査です」


 「それと、冷静さを保てないのであれば、今回の任務から外れるよう言われたはずです」

 冷たく言ったが、その瞳は、友人を心配する色を帯びていた。


 「……次に彼と会ったときに、今日のことは改めて謝罪しましょう」


 「……わかってる」


 黒塗りの高級車は公道に出るとスピードを上げながら走り去っていく。

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