第3話
「まったく!……いい年して寝坊とは何事かねっ!……あと君は係長だろう!もっとしっかりしたまえっ!」二重あごをふるわせ、つばをまき散らしながら喚き散らす課長の怒声がオフィスに響き渡っている。
幸生は会社にいた。会社に着くやいなや、課長に呼び出され、もう40分近く立ちっぱなしで同じことをネチネチと繰り返し怒鳴られている。
「なぜ寝坊したのか、言い訳できるのならしてみたまえっ!」
幸生はだんだんとひどくなる頭痛に顔をしかめながら、昨日の夜体調が悪かったことを説明しようと「あの……昨日誕生日で……」
「馬鹿にしているのかっっ!!もういい下がれ!」今日一番の怒声がひびいた。
(しまった、頭が痛すぎて余計なことを口走ってしまった!)
「いや……あの……」と説明しなおそうとしたが、ジロリと睨んでくる課長に、幸生はすごすごと退散するしかなかった。
(はあ……俺ってほんとダメな奴だよなぁ……)
情けない気持ちになりながら、ズキズキと酷く痛むこめかみを揉みながら席に着く。
「先輩……大丈夫ですか?」
隣の席に座る後輩の音地が、心配そう幸生の顔を覗き込む。
入社してきた当初、幸生が教育係をしていたこともあり、特に懐かれていた。
(……今日もかわいいな)幸生は痛むこめかみを抑えながら雫を見て思った。
「先輩?」
雫がなぜか恥ずかしそうに顔を赤らめながら、もう一度幸生の顔を見る。
(……最近ちょっと太ったかな……まぁ俺はいいと思うけど)
幸生がそう思って眺めていると
「先輩!聞いてますか!?」
今度は怒ったように口を膨らませながら言った。
「あっ……いや、ちょっと頭痛が酷くて、でも大丈夫」
慌てて取り繕う幸生を、雫はジト目で見つめる。
「無理しないでくださいね?今、先輩まで倒れちゃうとうちの課、崩壊しちゃいますよ?」雫は心配そうな顔で、ため息をつく。
幸生が勤める会社は、もともと中小の繊維メーカーだったが、ダンジョンの出現からその素材を加工する技術が飛躍的に進歩し、新しい繊維の開発に乗り出したところ、これが大当たりした。
調子づいた経営陣は、どんどん大企業からの受注を受けるようになった。しかし、この急成長の裏には、大きな落とし穴があった。
元々中小で細々とやっていたのに、急に大量の仕事が舞い込んできたもんだから、従業員はてんやわんや、さらに納期が短いうえに品質にもうるさいときた。結果、社内はギスギス、毎日のように残業続きというブラック企業っぷりだ。
幸生の上司だった前の係長が、ストレスで急性胃腸炎にかかり入院。そのまま辞めてしまうと、代わりに係長へ昇進したのが幸生だった。
そんな幸生が最近ひしひしと感じているのは、ストレスの原因は激務なだけでなく、半分はあの課長の存在だということ。部下をまるで自分のストレスをぶつけるサンドバックのように扱っていた。前の係長が辞めた今、標的は幸生だった。
「窪田くんっ!この報告書はなんだっ!」
書類の山に埋もれながら仕事をしていると、わざわざ課長が幸生のデスクに来て、机の上に報告書を叩きつけてきた。ぐしゃぐしゃになった報告書には判読不明の文字で何か殴り書きされている。
(っつ……頭がズキズキする)
「係長にもなって、まともに報告書も書けんのかっ!」
(痛い……なんだこの痛みは……)
幸生はどんどん酷くなる激痛に、とうとう両手で頭をかかえこんだ。
「なんだっ! 何とか言わんか、このっ――」
――ドンッ!!
「うるさいっ!!」
幸生はうつむいたまま、握りしめた右手をデスクに叩きつけていた。
「う゛っ!」と背後で課長のひるむ声が聞こえた。オフィス中がシーンと静まり返っている。
(や、やってしまった…………どんな顔して顔を上げればいいんだこれ)
「せ、先輩……先輩っ!」と雫が叫んだ。
幸生が雫の方を向くと、雫は課長が立っている方を見て目を見開き、絶句していた。
――幸生が振り向くと。
課長が浮いていた。
「え……」幸生は自分の目を疑った。
課長が宙にふわふわと浮きながら、「ぐっ……くっ……」と苦しいのか顔を赤紫に染め、首の部分を手でもがいている。
「うわああああ」
驚いた幸生は椅子から転げ落ちた。その瞬間、見えない力から解放された課長がボロ布のように地べたに崩れ落ちた。
ゲホゲホと課長は苦しそうにせき込みながら、なにが起きたのか分からず、ただ恐ろしいものを見るような目で幸生を見ていた。
幸生も何が何だか分からなかった。今のは……自分がしたのか……?
周囲を見ると、皆が恐れるような目で幸生を見ていた。
急に怖くなった幸生はたまらず走ってオフィスを飛び出た。後ろで雫が「先輩っ!」と叫ぶ声が聞こえる。
オフィスを飛び出た幸生は無我夢中で走り、誰もいない公園にたどり着いた。
「はぁっ……はぁっ……」
心臓が早鐘を打つ音が、ドクッドクッと耳まで響いている。
オフィスを出たときは訳が分からなかった幸生も、走りながらひとつ思いあたることがあった。
(も、もしかして……覚醒したのか?)
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