第22話
※
「それで私は、今こうしてフォレスト・グリーンの現場指揮官をやってる。まあ、皆好き勝手動いちゃうし、それで大した怪我もなく帰ってくるんだから、私には文句のつけようがないけどね」
大きく伸びをする葉月。否応なしに胸が強調されて見えてしまうはずだったが、俺は特に視線を引かれることはなかった。
考え込んでいたのだ。葉月の身の上について。
これで、俺が葉月の口から過去話を聞かされるのは三回目になるか。
毎度のことだが、ひどい喉の渇きを覚える。それだけ聞いている側にも圧迫感をもたらす内容だと言うことだ。それは他のFGメンバーについても言えること。
だが、葉月の話は特に、何というか……胸に刺さる感じがする。子供が同じ絵本を読んでくれるように、何度も何度も大人にせがむような感じ。俺は自分の胸中に、似たような思いがあることを察していた。
そう、俺は葉月のことが知りたいのだ。しかし、知ったからといって何の役に立つだろう?
助けたいのだろうか。救い上げたいのだろうか。はたまた、俺が彼女に好かれたいだけなのだろうか。
一つ目と二つ目はともかく、三つ目はあり得ない。そう思いたい。
葉月のことが心配になってしまうと、実戦の動きに僅かな綻びが生じる。それが命取りになる場合だってある。
だから俺は、誰のことも好きにはならない。そのつもりだったのだが――。
ふと、葉月の言葉遣いが随分と崩れたものになっていることに気づいた。今更かよ、と非難されても仕方がない。
しかしそんな風に、葉月にだって、普通の高校生としての生活があってもよかったのだ。
髙明にだって、和也にだって、エレナにだって、俺にだって。
だが、それは最早叶わぬ願いだ。
ペンの代わりに銃を握り、消しゴムの代わりに手榴弾を手にする。
定規はナイフの代替品で、コンパスはそれこそそのまま武器として扱える。
だが、俺たちは本当にそれを望んでいるのだろうか? 叶うか否かは別として、日常生活に戻れるのか?
「……無理だな」
「えっ?」
俺の呟きに、葉月が顔を上げる。
俺はぬるくなった烏龍茶を喉に流し込み、唇を湿らせてこう言った。
「葉月、俺たちはもう武器を捨てられない。殺し殺される現場で身体を張っていくしかないんだよ。自分の心の中にある暴力衝動を自覚して、それを解き放つ。もしかしたら、俺たちは『悪を狩る悪』を自認しながら、自分の本能的なわがままに踊らされてきただけだったのかもしれない」
「そっ、そんなことない!」
葉月はちゃぶ台返しをしかねない勢いで立ち上がった。
「私たちには常に目標がある! まだまだ仕留めなくちゃいけない悪党はたくさんいるんだ!」
「そいつらが金に目が眩んでいるのは間違いないだろうが……。人間、自分のことが一番判断しきれない、ともいうぜ。案外、俺たちもヤキが回って、暴力の虜になっちまったのかもな」
直後、バリンと勢いよくグラスが割れた。葉月が自分のグラスを割ったのだ。僅かに残っていた烏龍茶が飛散する。
気づいた時には、割れたグラスの切っ先が俺の喉元に触れそうになっていた。
いや、触れたな。僅かだが、汗とは違う液体が喉仏を伝っていく気配がある。
それよりも強烈なのは、葉月の目。殺意をこれでもかと収束させた視線だ。
「俺を殺すか?」
「……」
「いつものお前はどうした、葉月? 計算できるだろう? 俺がFGにいる時といない時の戦力差、作戦遂行手順の変更、士気の上下する振れ幅。それを鋭敏に察知できるから、お前は現場指揮官なんてやってるんだろうに」
そう言うと、荒かった葉月の鼻息は鳴りを収め、ゆっくりとガラス片が距離を空けていく。
「……ごめん、剣矢」
「いや。それより今気づいたんだが」
「何?」
「葉月って、こういうプライベートな話をする時って随分饒舌なんだな」
「当り前だろう、私が話す番なのだから」
「それはそうだけど。でも、随分違うぜ? 作戦会議中の葉月と、今の葉月は。いいんじゃないかな、あんまり堅苦しくなくて」
「なっ……?」
俺の指摘がよほど刺さったのか、葉月は一瞬で顔を真っ赤にし、ベッドに飛び乗ってブランケットに包まってしまった。
「俺もこれからのことを考えなくちゃな。親父を殺す、っていう目標は達成されちまったし」
そう言いながら、自己矛盾に至った。もう自分は暴力に付き纏われて生きていくしかない、とさっき思ったばかりなのに。
「まあいいや。葉月、寝ろ。俺もまだ何があるかわからないからな、自室に戻るよ」
腰を上げると、確かに全身の筋肉が突っ張るような不快な感じがした。やはり身体が全快したわけではないのだな。が、日常生活に支障はない程度だろう。
俺はふっと息をつき、葉月の部屋のスライドドアから一歩、外に出る。
ちょうどその時だった。胸の高さほどの人影が、俺に軽いタックルを仕掛けてきたのは。
「どうした、エレナ? 眠れないのか?」
僅かにこくん、と頷くエレナ。彼女の繊細な精神には刺激が強すぎたのだろう。仲間の中で感電死しかけた奴がいる、というのは。
「……」
「ん? エレナ?」
エレナは俺の前から退こうとしない。どうしたのかと首を傾げると、エレナは一枚の紙きれをポケットから取り出した。何らかのメモに見える。
「今見ても構わないか?」
再び首肯するエレナを前に、俺はゆっくりとメモを開く。そこに書かれていたのは――。
『これからもずっと、生きていてください』
俺は思わず吹き出しそうになった。
「ずっと、って言われてもな、エレナ……。人間いつかは死ぬよ。永遠に生きていられる人間なんて、いやしない」
俺はしゃがみ込んでエレナと目を合わせ、ぽん、と頭に手を載せた。
「それにしてもよく書けたな、この日本語。日本人が書くより上手いぜ。ほら、この漢字なんか――」
そう言って顔を上げると、すとん、とエレナもまたうずくまってしまった。
声を上げることもできずに泣いているのだ。これでは俺も声のかけようがない。
ふと、俺は思った。何も言わなくたっていい、抱きしめてやるくらいのことはしてやるべきではないのか。
だが同時に、それはできないという信念のようなものが、俺の胸に打ちつけられた。
ここで下手にエレナを励ますことは――無節操に身体を触れさせることは、葉月の想いに対する冒涜ではないのか。
「ごめんな、エレナ。でも、ありがとう」
すると、強烈な一撃が俺の額に喰らわせられた。がぁん! といって脳みそが揺さぶられる。
「いってぇ!」
はっとしたエレナが、あわあわと両手を振り回す。
エレナが俺にお辞儀をした拍子に、彼女の頭頂部が俺の額を直撃したのだ。
これはかなりの激痛をくれたが、俺は無理やり笑みを作って見せた。
「立派に戦えそうだな、エレナも」
完全に赤面しきったエレナの頬に軽く触れてから、俺は自室へ向かって廊下を歩んでいった。
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