第13話


         ※


 翌日の昼近く。

 遅めの朝食を摂った俺たちは、昨日の作戦における反省会に臨むことになった。


 この反省会は葉月が最初に提唱したもので、大まかな作戦の流れから、各人がいつ、どのような意図で発砲したか、というところまで述べることが要求される。

 もちろん葉月自身、反射的に動いてしまうこともままあるので、勘だとか無意識だとかいう言葉でまとめることも不可能ではない。


 しかし、今日の議題はたった一つ、というより一発の狙撃弾についてだった。マドゥーを死亡させ、見方によっては葉月を殺しかねなかった一発。和也が狙撃に使用した、ウィンチェスター・マグナム弾に関して。


「だっ、だってさ!」


 指名される間もなく、和也は立ち上がった。そうでもしなければ、とてもこの奇妙な緊張感に耐えられなかったのだろう。

 髙明はあからさまに批判的な目つき。俺は中立。そんな中、葉月の視線はテーブル上を彷徨っている。感謝と非難の入り混じった、複雑な目つきだ。

 こんなものを四方八方から受けながら、それでも立ち上がろうと言うのだから、和也もそれなりに根性が据わっていると言えるかもしれない。


 しかし、言おうとしていることは支離滅裂だった。


「ああもう! 皆、恋したことないの? 好きな人がピンチになって、その解決策が自分の手元にあったら、普通使うでしょ? そんなこともできないの?」


 髙明が怒気を孕んだ咳払いをしたので、代わりに俺が問うことにする。


「問題はそこじゃないんだ、和也。俺たちが言いたいのは、その『好きな人を救うための解決策』があまりにも安直で、危険すぎたってことだ」

「危険? 敵を狙撃することの何が危険なのさ?」

「いいか和也。俺たちはお前の腕前を疑ってるわけじゃない。だが、人間を正面ではなく真横から撃ち抜くのは、あまりにもリスキーだったんじゃないかと言ってるんだ。覚悟じゃなくて、手段の問題なんだよ」

「で、でも!」


 和也は両手をテーブルについて、ぐいっと身を乗り出してきた。


「葉月は殺されかかってた! 危ないところだったんだよ? それなのにただ指をくわえて――」

「葉月がそう易々と殺されるわけねえだろう、馬鹿が」


 少しは頭が冷えたのか、髙明が抗論を開始した。


「いいか? 俺たちは日頃から訓練してきた。見方が敵に背後を取られ、人質になった時の対処法とかな。それに従えば、葉月は僅かに足をずらすことで、敵の足をこちらから丸見えにすることだってできた。俺はそれを狙って、マドゥーの足を拳銃で撃ち抜くつもりだったんだ。その方が、狙撃銃で敵を真横からぶち抜くよりよっぽど危険が少ない。てめえの想い人にとってな」

「だ、だって、ヘッドセットの通信だけじゃ、髙明がそれを狙ってるかどうかなんて分からなかったんだよ! だから僕が――」

「だったら撃つんじゃねえ!!」


 一度冷えていた髙明。だが、そんな彼の怒りは一瞬で頂点に達した。

 ドン、とテーブルを叩きながら立ち上がる。真横で地底怪獣が顔を出したかのような迫力。

 テーブル上のグラスは残らず倒れ込み、その淵からは烏龍茶が滴り落ちた。


「いいか和也、お前は葉月を殺そうとしたんだ! そのことをしっかり考えるこったな!」


 そう言い放ち、髙明は踵を返して歩み去っていった。


「なっ、ななっ、何だよ、髙明の奴……。ねえ葉月、剣矢、二人はあんなこと思ってないよね?」


 おいおい、この状況で俺たちに矛先を向けるか。大した度胸というか、突き抜けた馬鹿さ加減というか。

 俺は困惑していたが、髙明の去ったこの場所で、まさかもう一人激昂している人物がいるとは思わなかった。


 俺が和也に声をかけようとした、それより数瞬早く、その人物は口を開いた。


「余計なお世話だ」

「え? 葉月、何だって?」

「余計なお世話だと言ったんだ、和也。二度とあんな真似はするな」


 そう言って葉月は立ち上がり、髙明が歩み出したのと反対側の廊下に向かっていった。火器の整備でもするのだろう。

 

 髙明の怒りは烈火のごとくだったが、葉月の怒りは凍えるような冷淡なものだった。

 どちらが凄まじかったというわけではない。だが、髙明のみならず葉月からも怒りの眼差しを受けて、和也は完全に脳みその機能を停止させてしまった。


 すとん、と椅子に腰を下ろし、定まらない視点をテーブル上で彷徨わせている。

 残った俺が励ましの言葉をかければいいんじゃないかって? 冗談じゃない。

 髙明、葉月の怒りの形相を見せつけられてしまった後となっては、俺だって名案が思い浮かぶわけがない。


 すると、和也はぶつぶつと何かを呟き始めた。


「僕が……僕の方が、誰よりも強いんだ……。誰よりも葉月のことが好きなんだ……。それなのに……」


 俺は大仰に肩を竦め、溜息をついた。

 俺とて、暇なわけではない。二丁拳銃の整備がまだだ。


 仕方がないので、俺は零れた烏龍茶をテーブル上から拭き取り、床にモップをかけて、グラスを片づけた。その間、息をするのと瞬きをする以外は、和也はぴくりとも動かなかった。


          ※


 翌日。

 狙撃の件で和也を問い詰め、結果俺たちのチームワークはバラバラになってしまっていた。


 和也が改心してくれればそれで済むのかもしれない。

 しかし、俺はそれで自分の気が収まるとは思えなかった。


 それは、和也云々といった話ではない。自らの胸中で蠢くもやもやの正体を捉えきれずにいたのだ。だが、そのもやもやの中央に葉月がいることは間違いないようだ。


 昨日、和也ははっきりと言い放った。自分は葉月のことが好きなのだという意図のことを。

 それを思い出すと、俺はくらり、と眩暈に襲われそうになる。

 眼帯を外したわけでもないのに、全く以て奇妙なことだ。


 だから、俺は目を覚ましてからずっとベッドに横たわっていた。時折起き上がって、スポーツドリンクを飲みはしていたが。

 ここで俺が熱中症にでもなって、FG戦闘部隊の主力が欠けるような事態は、絶対に避けなければ。


 俺にとって、美奈川葉月とは何者なんだ?

 いつの間にか、俺は初めて彼女に出会った時のことを思い返していた。


         ※


 七年前、つまり俺のお袋が爆破テロで命を奪われ、ドクに復讐を提案されてから一週間ほど経った時のことだ。


 俺は黒服の男性に連れられ、彼の運転で半壊した寺院へとやって来た。そこで俺を待ち受けていたのが葉月だ。


 俺が寺院のあまりのボロさに呆気に取られていると、葉月はこう言った。


「錐山剣矢くん、ね」


 俺ははっとした。ずっと俺を待っていただろうに、そこに人の気配を感じなかったからだ。


「そんなに驚かないでくれ。私は自分が男勝りなのは自覚しているが、存在自体に気づいてもらえないのは流石に傷つくぞ」


 柔らかい笑みを浮かべる葉月。


「では、後は私が」


 葉月が短くそう言うと、黒服の男性は軽く頭を下げた。俺を連れてきた乗用車で、自分一人だけ山道を下りていく。


「あっ、ちょっと――」

「君が来るのはこっちだよ、剣矢くん。ドクにも顔合わせしなければならないしね」

「ドク? ああ……」


 あの人型ロボットを介して俺と意思疎通をしていた人物か。

 長いエレベーターで地下に下りながら、俺はあの張りのある声音を思い出していた。

 当時のドクは五十三歳。まだ前線で活躍できる戦闘力を持っていたようだが、戦闘は専ら葉月率いるFGに任せているようだった。


 ドクは穏やかに俺を迎え入れてくれたが、俺は正直、それどころではなかった。

 どうやったらお袋の仇――親父を殺せるのか、それに関心が集中していた。


 だからこそだろう、ドクはこう提案してきたのだ。


「君の片目を機械化することを提案するが、どう思うかね?」

「目を、機械化?」

「そうだ」


 ドクは俺を自らのラボに招いた。そこには様々な無機質な機材が所狭しと並んでいたが、ドクはさらに奥の部屋へと歩み入っていく。

 そこにあったのは、機械よりも生物学的な諸々だった。様々な動物の立体標本やホルマリン漬けが並んでいる。小学校の理科室を、これでもかと複雑怪奇にしたような不気味な部屋だ。

 

「さて、まずは視力を測ってみようか。悪い方の目を機械に置き換える」

「あの、それって……」

「ん? ああ、痛くはないよ。ちゃんと元に戻せるように、君の眼球も保存しておくから」

「えっ、でもさっきの、葉月さんは目の手術なんて……」

「どうして自分だけが、目を機械化されるのか。それが気になるんだね?」


 図星だ。俺はこくこくと頷くことしかできない。


「私は長いこと、戦争や紛争、そしてそれらに基づく心理現象に立ち会ってきた。戦後の精神障害などだな。その見地から言わせてもらえば、君の敵に対する攻撃欲求は人一倍だ。それでは戦闘時、君の身体がもたない」

「だから目を強化して、敵より有利になろうと?」


 うむ、と頷くドク。


「まあ、毎日特殊なプロテインを飲んでもらうことにもなるがね。そのくらいなら、さっきの葉月くんもやっている」

「そう、ですか」

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