第10話 自由と不自由

 俺は鳥となって自由を手に入れたはずだった。


 だが、その翼はもがれ、再び水槽の中へ逆戻りとなってしまった。

 結局、俺は水槽の中でしか生きられない熱帯魚と一緒なのだ。


 いや、いまの状況を考えれば、まだ熱帯魚の方がましかもしれない。


 手足を椅子へと括りつけられ、口にはタオルで猿ぐつわを噛まされている。


 水の中を自由に泳ぎまわることすら許されない熱帯魚。

 それは熱帯魚ですらない。



 薄暗く埃っぽい場所だった。

 おそらく、どこかの倉庫なのだろう。


 下はコンクリートが打ちっぱなしになっており、妙に足音が響いて聞こえる。


「――それはわかってますって。だから、うちもそちらに取り引きを持ち掛けているんじゃないですか……ええ、損はさせません。本当ですって」


 足音の主は、先ほどから携帯電話を片手に倉庫内を歩き回っている。

 この男が誰なのかわからなかった。

 口を利いたこともなければ、見たこともない男だ。


 なぜ、この男が俺の自由を奪っているのか。

 いまの状況は、わからないことだらけだった。


「おい、気が付いたか。水、飲むか」

 先ほどまで電話をしていた男がこちらに近づいてきた。


 よく見ると、俺のことを後部座席に押し込んだ体の大きな男だった。

 男は未開封のペットボトルを手に取ると、俺の前にあるテーブルの上に置いた。


 手足は椅子に縛り付けられているため、ペットボトルを取ることは出来ない。

 その大きな手で男はペットボトルのキャップを捻ると、俺の猿ぐつわ代わりのタオルをはずして、水を飲ませてくれた。


 その時に気づいたことだが、男の左手の小指は欠けていた。

 この男は堅気ではない。薄々は気づいていたものの、それが確信になった瞬間でもあった。


「騒がねえとは思うけどよ、上から言われてんだ。悪いな」

 水を飲み終えたことを確認した男は、再び俺に猿ぐつわ代わりのタオルを噛まさせた。


 どこか優しさを感じさせるこの大男に、俺は心を許しそうになっていた。

 だが信用してはならなかった。

 これがやくざ者の常套手段であるということは、日常的に目にしてきた。組に所属はしてはいないが、俺もヤクザの運転手だったのだ。


 飯島は俺から見たら、ただの老人だった。

 しかし、飯島は暴力団組織の組長であり、下部組織も入れれば100人以上の子分がいた。

 飯島の背中には観音菩薩が彫られており、無数の刀傷もあった。その刀傷について触れると、昔は日本刀を持って喧嘩をしたもんだと笑いながら言っていた。


 そんな飯島もいまはいない。

 脳裏には、血の海の中に倒れている飯島の姿が甦ってきていた。


 なぜ、飯島は殺されなければならなかったのか。

 飯島を殺すように指示をしたのは誰なのか。

 飯島を殺せば、裏社会全体のパワーバランスが崩れ、抗争に発展することは目に見えていた。

 そうなることで得をする人間は誰だ。敵対する組織はあるにはあったが、命のやり取りをするほどまで関係が悪化していたわけではなかった。


 飯島は無駄な抗争は避けて、話し合いで解決できることは、自分で骨を折ってでも解決の方向に向けて来たはずだ。

 俺は常に飯島の近くにいたからわかっている。


 そんな飯島のことを良く思っていなかった人物は誰だ。


 外で大きな物音がした。

 例の大男がすぐに反応し、ジャケットの内側に手を伸ばす。

 おそらく、そこに拳銃を隠し持っているのだろう。


「どうした」

 大男は外にいるであろう人間に声をかけるが、その声に反応はなかった。


「くそっ」

 右手に拳銃を持った大男は倉庫の扉へと近づいていく。

 次の瞬間、辺りが強い光に包み込まれた。


 あまりの眩しさに、目を閉じていても目の前が真っ白になってしまうほどだった。

 強い光を浴びると、人間は本能的に身体を丸めてしまう。これは人体実験などで実証され、警察の特殊部隊などが閃光弾を採用する理由ともなっていることだった。


 空気を裂くような音が聞こえた。


 何かが倒れるような音。


 体が強く引っ張られた。

 手と椅子を繋いでいたロープが食い込み、痛みを覚える。


 床に転がされる。


 再び、空気を裂くような音がする。


 銃声。

 一発ではなく、数発。


 近くに着弾したのか、コンクリートが弾けるような音がする。


 少しずつ、視力が戻ってくる。

 まだ白い霧の中にいるような感じではあったが、すぐとなりに黒い存在があるのはわかった。


 美穂のマンションへ迎えにきた、あのウエスタンハットの男だ。


 倒れた際に椅子の一部が壊れたらしく、右手の拘束は解けていた。

 なんとか、左の手を拘束しているロープを解き、両手を自由にする。

 続いて足の拘束も解き、最後に口をふさいでいたタオルを取った。


「人のことを守るのは得意じゃないんだ」

 ウエスタンハットの男はそう言って、俺にリボルバー式の拳銃を渡してきた。

 それは俺が美穂に預けていた拳銃だった。


 相手の視力はまだ回復していないのか、めちゃくちゃに撃ってきているようで、全然違うところで銃弾が跳ねていた。


 扉の近くに人影が見えた。

 そこに拳銃の狙いを定めて撃つ。拳銃を撃ったのは数年ぶりのことだった。

 弾は相手に当たらず、扉の一部分を壊しただけだったが、それだけでも効果があったらしく、扉の近くにいた人影は慌てた様子で外へと逃げて行った。


「走れるよな」

 有無を言わさぬ口調でウエスタンハットの男はいうと、こちらの返事を待たずに走り出していた。


 俺は慌てて男の後を追って走り出す。


 銃声は止んでいた。

 倉庫の裏手にあるドアを開けて外に出ると、そこにはスポーツタイプのオートバイが停められていた。


「乗れ」

 オートバイに跨ったウエスタンハットの男がいう。


「ヘルメットは?」

 愚問だった。どうして、そんなことを聞いたのか、自分でもわからなかった。


 男は何も答えずにエンジンを吹かした。


 後ろの座席にまたがると、男の腰に掴まった。

 かなりのスピードが出ていたと思う。身体に重力が掛かり、男の腰を掴む腕に力を入れてしまう。


 こんな場面でなければ、愉快なツーリングだったかもしれない。


 しばらく走り、追っ手を撒いたのか、バイクは速度を落とした。

 バイクが止まったのは、レンタル倉庫が建ち並ぶ場所だった。


 いくつものコンテナがむき出しで置かれている。

 男はその中のひとつのコンテナに近づくと、慣れた手つきでナンバーロックの電子キーを操作して、扉を開けた。


「入れ」

 そう言われて、コンテナの中を覗くと、そこには倉庫ではなく地下へと続く階段が存在していた。

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