第6話 美穂(2)

 目を開けたとき、そこがどこなのか一瞬わからなかった。

 ラブホテルのベッドの上。天井には派手なシャンデリアが飾られていた。


 なぜ、こんなところにいるのだろうか。

 そんなことを思いながら、起き上がろうとする。身体のあちこちが悲鳴をあげるように痛む。


 起き上がった時に見えたのは、二人掛けのソファーだった。

 そのソファーには女が座っていた。あの外国人の男と言い争いをしていた女だ。


「あら、起こしちゃった?」

 女は手に持っていた煙草をハート型の灰皿へと押し付けると、ベッドの方へと歩み寄ってきた。


「なんで、俺はこんなところにいるんだ?」

 俺は女に向かって疑問を口にした。頭が割れるように痛かった。


「なんでって……覚えていないの?」

 女の目が少し大きく開かれた。驚きの表情。化粧で整えられた顔は、男受けしそうな小悪魔的なものだった。


「よく覚えていない。あの外人に蹴りを食らったことだけは覚えているんだが」

 俺の言葉を聞くと、女は笑い声を上げた。

「何がおかしいんだ」

「本当に、覚えていないわけ。凄かったのよ」

 何が凄かったのだろうか。思い出そうとしても、まったく記憶は甦ってこなかった。ただ、右手の拳に鈍い痛みがある。もしかしたら、相手を殴ったのかもしれないということだけは予想できた。


「俺があの外人を殴ったのか?」

「なんだ、覚えているんじゃない。何発も殴ったわよ。テレビで見る格闘技の試合よりも迫力があったわ」

 その言葉を聞いて、自分の顔をそっと触ってみた。どこか怪我していれば、痛みが走るはずだ。

 しかし、顔のどこにも痛みは感じられなかった。


「相手が倒れて動かなくなっちゃっているのに、あなたったら殴りつづけるんだもん。もし、わたしが止めに入らなきゃ、あなたは人殺しになっていたかもしれないわよ」

 少し笑いながら女が言った。


 女の言葉がどこまで本当なのかわからなかった。だが、右拳が腫れ上がっていることだけは確かだった。


「それで、あの外人はどうなったんだ?」

「さあ。わたしにもわからないわ。だって、あなたが逃げろって言って、わたしの手を引っ張ってここまで来たんだから」

「俺がここに連れ込んだのか?」

「それも覚えていないわけ。呆れちゃうわ。あなたが、ここに隠れようって言ったのよ。ラブホテルだったし、わたしも戸惑ったけど……」

 自分がわからなかった。なぜ、隠れる場所にこのようなラブホテルを選んだのだろうか。正気の俺であれば、絶対に選ばないはずだ。


「俺はあんたと寝たのか?」

「質問責めね。でも、やっぱり最終的に聞きたいのは、そのことみたいね」

 女は形のいい唇から煙草の煙を吐きだすと、笑みを浮かべた。


「寝てないわよ。あなたは、部屋に入ったと思ったら、ベッドの上で寝ちゃったわ」

 やっぱり俺はこの女と寝てはいなかった。そのことを知り、俺は安堵した。


「色々と迷惑を掛けてしまったみたいだな」

「迷惑を掛けたのは、わたしの方だわ。わたしは、あなたに助けられたようなものだし」

 女はそう言って、また笑った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る