第5話 美穂(1)

 美穂との出会いは三年前、明け方の六本木の街だった。


 その日、俺は明け方まで外国人が集まるバーで飲んでいた。

 ちょうど失恋したということもあって、俺は泥酔していた。少し歩いては吐き、歩いては吐きを繰り返していた。


 路地裏に入り込み、飲食店のゴミ捨て場の近くで俺が吐いていると、男女の怒鳴りあう声が聞こえてきた。


 もう吐くものもなく胃液で汚れた口元をシャツの袖で拭った俺が顔を上げると、外国人の男と日本人の女が何やら言い争いをしていた。

 外国人はヨーロッパ系の顔立ちをした白人であり、身長は180センチ以上あった。

 女は日本人としては背の高い170センチぐらいで、ものすごい剣幕で男に詰め寄っている。

 英語であれば多少はわかるのだが、女の話す言葉はまったく理解できなかった。おそらく、スペイン語かフランス語といったところだろう。


 女の言葉に押され気味だった男が手を挙げた。大きな手だった。

 次の瞬間、男の手が女の頬を叩き、乾いた音が響いた。

 女は軽くよろけ、その場にうずくまる。


 そんな光景を眺めていると、ふたたび吐き気が襲ってきた。

 胃が痙攣を繰り返し、胃液すらも出てこようとはしない。目からは涙があふれ、鼻水がしたたり落ちる。苦しかった。こんなに苦しいのであれば、酒など飲まなければよかったと、後悔をする。だが、酒を飲まなければ、心の傷は埋められなかった。酒を飲んで全部忘れてしまいたかった。


 襲い来る吐き気と格闘しながらしゃがみ込んでいると、背後に人の気配を感じた。

 顔を上げると、目の前に先ほどまで女と口論をしていた外国人の男が立っていた。


 男は何かを言っていた。だが、その言葉を理解することはできなかった。

 突然、男に蹴り飛ばされた。あまりにも突然のことだったため、防ぎようがなく、バランスを崩して地面を転がった。


 酒に酔っていたということもあって、視界は揺れていた。

 壁に手をつきながら立ち上がろうとすると、男が再び蹴りを入れてきた。


 今度は避けた。

 つもりだった。

 男の大きな足が脇腹に食い込む。

 もう胃には何も残っていない。しかし、再び吐き気が襲ってきた。


 世界がぐるぐるとまわっている。

 どうして、俺はこんな目にあわなければならないのか。

 失恋をした。

 酒に飲まれた。

 そして、いまは見知らぬ外国人に蹴とばされている。どうして俺だけなんだ。神様は不公平だ。


 俺は心の中で神への呪詛を繰り返した。

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