第49話 暗躍する者
ここで、時を遡ること数週間前…。
――ニャーは猫である。名前はまだ無い。
なんてフレーズを思い浮かべながら、一匹の黒猫が森を彷徨っていた。
外の世界を見てみたい。そう言って、縄張りを離れた黒猫。年齢は、人間で言うところの50歳前後で、高齢ではあるものの、強さは見た目によらず、大型の魔物に引けを取らない。
猫はペット向きの動物だから弱者だろう、なんて考えは捨てるべきだ。この世界の猫は、熟練された魔法が使えるのだから。
かくいうこの黒猫も、魔法にはかなり長けている。攻撃よりかは、補助系の魔法を得意とする技巧派だ。
(ハァ…最近は、碌な物を食べてないからにゃぁ…。お腹が空いて、もう力が…)
木陰に寝転がり、一休み。お腹を空かせながら、食べ飽きた木の実を無理やり口に頬張る。
そんな時、微かな人間の話し声が黒猫の耳に届いてきた。
「……そうさ。あの母親は、最初から知っていたんだぜ」
「やだ…嘘でしょ、あの女。どんだけ性悪なのかしら!今すぐ里から追い出したいわ~」
「まあ待て。今すぐ母親を追い出したんじゃ、あのガキがすぐ暴走しちまう」
こそこそと密会する二人の男女。一人は全身を黒いマントで覆っている金髪の若々しい男で、もう一方は白髪の老婆だ。
何かに腹を立てている様子の高齢の獣人。対して男の方は、ニヤリと不敵な笑みを浮かべながら、隠しきれない狡猾さを表に出している。
(人間?いや、片方は獣人…。こんな所に何の用にゃ?)
当たり前のことだが、猫に人の言葉は通じない。
しかし意思のある動物が魔力を使えば、人の言葉を理解することが可能になる。かなり難しい魔法だが、黒猫は既にマスターしていた。
(まあいいにゃ。奴らの住処を特定して、暫く寄生してやろうではないか)
野良猫とはいえ、生きるために他所へ依存し、転々と拠点を変えて歩き回るのが常識というもの。黒猫は毎度の通り、次の寄生先を探るべく、魔法を使って人の声に耳を傾け始めた。
「そうねぇ。あの神霊族の暴走には、もううんざりなのよ。うちの屋根が何度吹き飛んだことか…。あ~、腹が立ってしょうがない。里であれを止められるのは、魔術師の方だけだし、ほんと厄介なのよ~」
「まあまあ、後もう少しの辛抱さ。あんたは俺の言う通り、憎いガキの母親を少しずついたぶり続ければいい。機会が来れば、俺があのガキを里から連れ出してやるからよ」
会話を聞き始めてからすぐに、黒猫は空腹も忘れ、目を丸くして驚嘆する。
(にゃ…!!?し、神霊族だと!?)
理由など、聞くまでもない。奇跡の存在…それが今、この世界に現存しているというとんでもない情報を聞き入れたからだ。
「分かったわ~。私は、ただ嫌いなアイツを軽くいたぶり続ければいいわけねぇ」
獣人の老婆は、嬉しそうにしたり顔で語る。
そんな二人の会話を、訝しげに見やる黒猫。目を細め、両者…いや、どちらかと言えば男の方から漂う、悪質なオーラに只ならぬ気配を感じ取った。
(あの男…魔力量が勇者レベルだにゃ。こんな辺境の土地にいる神霊族を狙ってるのかにゃ??)
そして、彼らの話は続く。
「そういうことだ。神霊族を産んだ女は、獣人の里にとっての害悪でしかない。そうだろ?そっちはあんたの好きにすればいいさ。俺は、神霊族を手中に収められればそれでいい…」
「何だかよく分からないけど、良いストレス発散になりそうだわ~。息子にも、あいつの存在しない悪行を聞かせてあげようかしらね~」
と、老婆はうっきうきで奥の森へ去っていった。
残された男は、上唇をぺろりと舐め上げ、何かに対して失笑し始める。そのあまりの狂気さに、黒猫は一瞬だけ身震いしてしまった。
「ククク…馬鹿だ。実に馬鹿だぜ、獣人という下級種族は…。反吐が出る!テメェのことなんぞ、知ったことじゃない。あいつら獣人共には、犠牲になってもらおう。神霊族暴走実験の、〝モルモット〟としてな…」
元々溢れ出ていた心の闇を、包み隠さず更に引き出す。顔は見えずとも、強者であることも相まって、この場に放たれる不浄な気振りが、その男の存在を定義していた。
人間から、ここまで悪質な魔力を感じられるのか…。人間界を旅し、数多の人間を見てきた黒猫でさえ、そう思わざるを得なかった。
(こいつ、神霊族が暴走すればどうなるのか、分かってにゃいのか…?ちっぽけな街なんぞ、簡単に吹き飛ばしてしまう程の魔力量を秘めているかもしれないにゃ。獣人の里はたしか…そこまで大きくはない人里の筈。もしかして、ここの近くにゃ?だとしたら、この森も只じゃ済まない!)
未知の種族に対する、単純な興味。それもあるが、何より自分ら猫族と通じ合える獣人が神霊族とあっては、接触しないという選択肢はない。
そしてその神霊族は、何者かによって仕組まれた、強大な暴走を約束されている。このまま放っておけば、被害は里に収まらず、とんでもない規模で人間界に悪影響をもたらすだろう。
(ガキと言ってたにゃ。そんなことを、まだ精神が不安定な時期の子供にさせる気にゃのか…?)
ここで耳にしたのも何かの縁。神霊族の暴走を止めるため、後にモナの師となる黒猫―ミーニャは、足音を立てずに急いで獣人の里へと向かって行った。
◇
(ここが、獣人の里…)
迷いながらも、獣人の住む里へ辿り着いた黒猫は、すぐに何者かの罵詈雑言を耳にすることとなった。
「何を横になってるんだい!嫁いできた女に、休む暇なんてないんだよ!」
「はい、すみません…」
あまりに耳障りな老人の怒声が、とある民家から漏れ出ている。中を覗いてみると、そこには若い女を奴隷のように扱っている、見知った老婆がいた。
(あいつ、マントの男と話してた奴だにゃ…)
苛烈な発言をする、あの老婆がここにいるということは…と、キョロキョロ周囲を見回していた黒猫に、一人の子供が近づいてくる。
「猫ちゃん…?野良の子かなぁ。こんなとこで何してるの~?」
スッと耳に入り込んでくる、純粋無垢な幼子の声。振り返り、真っ先に視界へ飛び込んできたのは、バケツに入った重い水を両手で持ち上げる、絶えることのない可愛らしい女の子…その笑顔だった。
「にゃ~」
と試しに鳴いてみると、
「にゃ~~」
女の子はしゃがみ込み、鳴き声を真似る。そして、黒猫の頭を優しく撫で始めた。
「モナ、一度猫ちゃんとお喋りしたかったんだ~。何か話してくれる?」
この時点で、黒猫は既に気づいていた。目の前にいる獣人の女の子こそ、自分が探し求めていた存在であることを。
(お前が、神霊族の獣人かにゃ…?)
子供だからと、少し踏み込んだ話をしてもいいと判断。初対面でもお構い無しに、黒猫は自己紹介をすっ飛ばして、単刀直入に聞いてみた。
すると、女の子はキョトンと首を傾げ、何かを考える素振りを見せる。
「うーん…。みんなそう言うから、多分そうなのかも。猫ちゃん、よく分かったね~」
(〝猫ちゃん〟ではないにゃ。ニャーは、ニャーにゃ)
「にゃーにゃ??それが、猫ちゃんの名前?モナはねー、モナだよ」
(………)
噛み合っているのか噛み合っていないのか分からない会話に、言葉を詰まらせる黒猫。子供相手ならこんなもんかと割り切り、早速モナに警戒を呼びかけた。
(モナよ、何者かがお前の神霊族の力を利用しようとしているにゃ。今すぐここから逃げるのにゃ!)
「モナの力を利用…?どういうこと?」
(神霊族の魔力が暴走すれば、こんな里なんか一瞬で吹き飛ばしてしまう程の力を発揮するのにゃ。お前の中には、それ程の膨大なエネルギーが眠っているにゃ。だから――)
黒猫がそこまで言うと、モナは立ちあがり、自分の家へ上がろうとする。
「そんな人、この里にはいないよ。それに、モナはお母さんと離れるなんて嫌だもん。暴走したって、お母さんが味方でいてくれれば、それでいい…」
(いや、里の奴らじゃなくてだな…)
子供からしたら、あまりにも現実的ではない話に思えるだろう。完全に母親を信頼しきっているモナに、黒猫の警告は届かない。
どうしたもんかと思いつつ、モナの後に付いていく。その時、ふと家の中で軽く罵声を浴びせられている若い女性に注目し、黒猫は尋ねた。
(…あれが、お前の母親かにゃ?)
「うん…。いつも、おばあちゃんに怒られてるの。だからモナ、おばあちゃんの事は好きじゃない。お父さんも、おばあちゃんの味方ばっかりするし…。悔しいけど、モナは怒れない。怒ったら、魔力が勝手に暴れてお母さんに迷惑かけちゃうから…」
(なるほどにゃ…)
つまり、あの老婆は息子の妻=モナの母親を元から嫌っていて、その嫌忌な心を更に増幅させているのが、
(奴は、実験がどうたらこうたら言ってた。何のために、モナを暴走させるのか理解できないにゃ…)
流石に、今すぐ里を出ていけは酷な話だと反省し、黒猫は暫く、モナと彼女の感情に影響を与えそうな人物をこっそり観察しながら、ここへ留まることに決めた。
何かあれば、すぐに自分が止めに入ればいい。暴走させなければ、何の問題もないのだと…。
そう思っていた矢先、すぐに事件は起こってしまった。
今までの嫁いびりは、誹謗中傷や罵倒といった言葉の暴力。仮にも息子の妻に、それ以上過激な荒事は起こさないだろうと、黒猫は勝手に思っていた。
そもそも、男が計画している神霊族の暴走は、他の外的要因によるものだとばかり考え、油断していたのもあっただろう。
気でも狂ったのだろうか。
まさか、老婆がハサミを使ってモナの母親を切り裂こうとしていたなんて、当時里の外で食材を採集していた黒猫が予想出来るはずもなく。戻ってきた頃には、既にモナの暴走はピークを迎えようとしていた。
(モナ…?どういうことにゃ!?なんで、暴走が…)
焼け爛れる里の家々。そして被害は森まで及び、木々が次々と嵐に吹き飛ばされていく。
そんな状況で、中々村に入れずにいる黒猫の近くから、聞き覚えのある声が響き渡った。
「素晴らしい…。ハハッ、こりゃすげぇ!!すげぇぞ、神霊族!!これでまだ8歳のガキだなんてなぁ。この魔力を使えば…ククク、最高だぁ」
木陰から様子を見ると、以前見かけたマントを羽織った金髪の男が、遠目から壊滅していく里の様子を高らかに笑いながら眺めていた。
「あの
(アイツ!!)
モナの暴走…そのきっかけである老婆に、男はありもしない事を色々吹き込んでいたようだ。
この後も、興奮した男は何やらベラベラと独り言を吐いていたが、黒猫の耳には入ってこない。自分が思っていたよりも、奴の計画は綿密に策定されていた。
たった一週間やそこらで止められるようなものではなく、寧ろどう足掻いても結果は変わらなかったのではないかと、自らの力量を悔やむ黒猫。何より、今この現場における最大の衝撃が、モナの中に秘められた想像を遥かに上回る魔力の大きさであった。
(こんな魔力を、子供が有せるものにゃのか…?)
蒼褪め、体を強張らせる。ここら一帯で、男の他に恐怖を感じていない者は存在しないだろう。
やがてモナは気を失い、暴走は一時的に収まった。里は以前とはもう見る影もなく、獣人の誰もがたった一人の子供に対し、下賤なものを見るかのような目を向けている。
そして、黒猫は悟った。こんな力を、誰かに利用されてなるものかと…。
神霊族の魔力を悪用すれば、いずれ尋常ではない恐怖を人間界にもたらすことは間違いない。モナの暴走を阻止することは出来なかったが、今後考え得る被害だけは食い止めなければならないと、黒猫は決心する。
「こんな悪魔の子は、今すぐに消すべきだ。いいな?」
屈強な獣人の冒険者は、今まさにモナの首を斬り落とそうと剣を構えている。
彼らの目に映っているのは、子供ではない。只の化け物。植え付けられたモナに対する恐怖に、誰もが躊躇う素振りすらも見せなかった。
(モナ!!)
里の中心で眠るモナの元へ駆け寄り、黒猫は里の者たちに訴えかける。
(お願いにゃ!この子を、殺さないでやってくれ!!悪気があって暴走した訳じゃないのにゃ…)
「なんだ、お前は!野良猫に用はない!」
と、軽々しくあしらおうとする冒険者に、黒猫は自分を大きく見せるように威嚇する。長年培われてきた圧をかける空気を作り出し、獣人たちを寄せ付けなかった。
(この子は…モナは、ニャーが責任をもって育てる。この里には、もう二度と近づけないと約束するにゃ!だから、任せて欲しいにゃ!感情がコントロールできるようになれば、魔力の暴走は自分で抑えられるようになる…いや、させる!頼むにゃ、この通り!!)
土下座をするように頭を下げた黒猫。なぜここまでモナに対して必死になれるのか、自分でもよく分からなかった。
暴走を止められなかった責任を背負いたかったのか、只の興味なのか、或いは…。
いずれにせよ、勝手に体が動いていた。どうにかして、モナを神霊族の暴走から解放させてあげたいと…そう強く願いながら。
「あの猫…
既に黒猫の存在を知っていたように話す男は、不敵な笑みを浮かべながら、この場を去っていった。
そして、強者である黒猫に諭された里の獣人は、
「わ、分かった…。もう何でもいい。二度と、俺たちの前に現れなきゃな。早く、ここから消えちまえ…」
やけくそにでもなっているのか、モナの方を見ようともせずに吐き捨てた。
しょうがないと決して擁護は出来ない過激な言い分に、下唇を噛みしめた黒猫だったが、再度一礼し、その場で体のサイズを変える。生まれたての猫の子供にするよう、モナの襟を咥え、そのまま森の中へと駆けて行った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます