第48話 神の生まれ変わり

 シャトラに乗って出発した私たちは、夜風を身に感じながら、ひたすら森を走り抜ける。

 獣人の里は、カギ村からだと歩いて約一日。私一人だったら飛んでいけるけど、魔力を消費するし、今日シャトラと出会ったのは、かなりラッキーだった。


 きゅっと背中に力が加わる。里に近づいていく度、モナは体を強張らせ、緊張した面持ちで私に寄りかかっていた。

 意思は固いものの、やはり心の奥底から過去の辛さが嫌でも蘇ってくるのだろう。

 無理もない。親に言われたら、誰だってトラウマになる。

 神霊族…ひとえに才能溢れる神聖な存在ならば、非の打ちどころがない種族として、みんなに愛されていただろう。しかしモナの場合は、少し特殊だ。

 幼い精神ではコントロールしきれない、神霊族特有の魔力の暴走。生まれつき、体内に持つ魔力濃度が異常だったモナは、それを自ら抑えることが出来なかった。

 そのせいで…。


「その、みんなにも知っておいてもらいたいんだ…。モナの、神霊族の事を…」


 新居に住み始めてから数日。モナは私たちに、自分が産まれてから今までの事を包み隠さずに打ち明けてくれた。





 ―――――――――――――――





 獣人の里――。

 獣特有のふさふさの耳や尾が人間体に与えられた亜種、獣人。その者らを主として作り上げた、小規模の集落である。

 住居は、木材や藁などを集めて築かれた古式なものばかり。自然に習い、決して裕福な暮らしを営んでいた訳ではないが、誰もが生き生きと日々を過ごしている。


 そんな獣人の里に、14年前、一人の赤子が誕生した。

 名前はモナ。当時はただの獣人の女の子として、無事この世に生を受けた。

 モナは生まれつき、他人よりも内に秘めた魔力量が高く、何もしなくても体内で魔力を次々と生み出すことが可能な体質。しかしそれ故に、体内に蓄積した魔力が一定以上に満たされると、肥大化した魔力が勝手に発散されてしまう。

 母体から生まれた途端、周囲の人間を吹き飛ばす程の魔法を放ち、機嫌を損ねれば、まるで躾のなっていない野良猫の如く家中を荒らし尽くす。

 いくら人間よりも長けた魔力量を誇る獣人の子と言えど、流石に異常に思った里の魔術師は、モナを神の生まれ変わり…神霊族だと断言した。

 何の変哲もない獣人から生まれた子供に宿りし神の異能。そのことに誰もが歓喜し、モナを神のように崇める者も現れ始めた。


 だが、それも最初だけ。

 徐々に周囲の者は、モナの魔力暴走を避け、問題ごとを起こされたくないと、誰も彼女に近寄らなくなった。

 残されたのは親族のみとなったが、内輪揉めが激しく、度々純粋なモナの心を蝕むような事ばかり。

 物事の分別がつき始めたモナの中で、を見たり聞いたりした際に引き出される負の感情が、彼女を神霊族の暴走へと走らせる…。




     ◇




「全く、最近の若い嫁は碌に仕事が出来ないんだから。ほら、こっちもさっさとやる!言われないと出来ないのかい?」


 そんな一方的な命令口調が、家中に響き渡った。

 いつもの通り、隣の家からずけずけと入り込み、息子の嫁に指導する老婆。指導というよりも、文句に近い言動が続く。

 老婆は自身のストレスを発散するかのように、若い母親にきつく当たっていた。


「すみません、お母さん…」

「あんなを産んだばかりか、跡取りの息子すらも腹に宿せなくなるとは、なんて情けないのかねぇ」

「……」


 誰が聞いていてもお構いなしの、脇目も振らない〝嫁いびり〟に、一人の女の子がこっそり聞き耳を立てていた。毎日聞かされている母親に対する冒涜が、8歳の幼き少女の意識に深く突き刺さる。


(また、お母さん虐められてる…)


 壁に寄りかかり、悲しげに俯く少女―モナは、嫌でも聞こえてくる怒号に、不満を募らせていた。

 祖母は母親のことをよく思っていない。理由は、単純に何の取り柄もない母親を好きになれないからだそう。

 それに加え、魔力の暴走で里中に迷惑をかけていたモナを産んだことで、更に嫌味が悪化してしまった。

 父親に至っては、家庭には無関心。なぜ婚約したのかと思われるほど、家族を蔑ろにしている。

 そんな家庭事情を抱えるモナは、唯一の心の拠り所である母親を心から慕っていた。魔力が暴走しても嫌な顔一つせず、他の獣人と平等に接してくれる母親だけは、家族と呼べる存在なのだと…。


 ――モナは、私の大切な家族です!モナだけは、誰にも傷つけさせません!!


 魔力暴走を見かねて、幼少期のモナを捨てようとした祖母に、たった一度だけ歯向かった母親の言葉。その瞬間から、自分の中での家族はこの人だけだと、モナは思うようになった。


(モナの家族は、お母さんだけ…。お母さんさえいれば、モナは――)


 だが、そんな思いも儚く散ることになる。

 純粋なモナにとって、〝怒り〟というものは、もっとも避けねばならない負の感情。それを最大限に引き出してしまった親族は、里の者らと共に地獄を見ることとなった。




     ◇




 きっかけは、いつもの嫁いびり。祖母が、母親の長い髪をハサミで切り落としている様子を偶々見かけ、モナの心は歪んでいった。


「お母さんに、触るなぁぁ!!」

 

 雄叫びを上げ、祖母に突進する。その時には、既にモナの意識は闇の底に沈んでいた。



「「ぎゃーーー!!!」」

 

 

 騒ぎを聞きつけた里一番の魔術師が、即座にモナを止めにかかる。いつもは、〝解放リベレーション〟で魔力の暴走を一時的に抑えることが出来ていたのが、今回ばかりは怒りの閾値を優に超え、我を忘れて秘めた力を周囲に撒き散らしていた。


「駄目じゃ!抑えきれん!」


 終いには、魔術師も祖母同様、壁に体を打ちつけられ重傷を負ってしまう始末。どよめき立つ深夜の里の一部は、一瞬にして火の海と化した。


「モナ、止まりなさい。ったく、なんて事をしてくれたんだ…」


 父親が止めに入った時、そこにいたのは、猛獣のように唸りを上げ、何やら葛藤しているように頭を抱えながら疼くまるモナの姿。


「う゛ううぅぅ……がるるる……!!」


 目は血走り、可愛らしい口元から獰猛な牙を露わにしている。

 猛獣…とは言ったものの、声質は幼く、トラの赤子のイメージが強い。しかしそんな見た目によらず、魔力のみで里を壊滅させていく様子は、里の者らにとっては〝厄災〟以上の何者でもなかった。

 災害レベルの竜巻が起こり、自然を掌握していくモナ。そんな娘に、舌打ちをしながら近づいた父親は、更に彼女の神経を逆撫でするような言葉を放つ。


「俺の子がこんなに醜い存在だとは思わなかった。母さんの言う通りだ。お前を産んだことは、俺の家系における、一生の〝汚点〟になった…。どう責任とってくれんだ?おい。今すぐ、俺の前から消えてくんねぇか?モナ…」


「………!!?」


 父親の言う母さんとは、モナの祖母のことだ。所詮この父親は、血の繋がった元の家族だけを大事にし、モナとその母親は、ただの道具として手元に置けばいい。なんて感覚でいたのだろう。


 自己の修復。モナは意識を取り戻そうと必死だった。

 果てには、暴走しているのは魔力だけでなく、自分自身だと気づく。それは、微量の意識が表に現れ出した証拠でもあった。

 当然、父親の心を抉るような言葉は、モナの覚醒した意識に深く突き刺さる。


「ぐわぁぁぁぁ!!」


 体が限界を超え、獣の咆哮が続く。そのまま実の父親を蹴飛ばし、とんでもない身体能力で里中を大立ち回り。誰も、幼き獣人の子供を止めることは出来なかった。


「あれは、神霊族なんかじゃねぇ!祟りだ祟り!」

「呪われた子供よ!早く追放して!」

「出て行け!化け物!!」


 どんなに化け物呼ばわりされようと、モナの耳には届かない。

 眼前には、彼女にとって唯一の家族。この人だけは…母親だけは、こんな自分を受け入れてくれる。

 そう思って、呼びかけた。

 

 ――お母さん…。


 口にしたのか、はたまた思念を伝えたのか、定かではない。自分を見失いつつある状況下で、モナは残された僅かな理性を保ちつつ、母親に手を伸ばした。


「モナ…なの?」


 声を震わせながら、母親は呟く。この惨劇に怯えているように、地に蹲っていた。

 それは、いつもの…モナの知る家族の姿ではなく、まるでとんでもない化け物を目の当たりにしたような、怖じ恐れる様子。その表情の意図を理解出来なかったモナは、綺麗な青髪をより一層逆立たせ、悪気なく牙を剥けて近づいていく。


「いや…こんな、こんな子を…」

「……??」

「こんな子を、産んだ覚えはない!!!」


 汗が噴き出たような涙で顔を濡らしながら、母親はモナから顔を背けた。


「あなたが神霊族じゃなければ、こんな事には…!こんな事には、なってなかったの!!」


 モナは、自分が今何を言われているのか、理解に及ばず思考を停止させる。母親から言われた言葉で、ハッと我に帰った時には、目の前に広がる火の海を視界に捉えた。

 粉々に崩れた塀や瓦礫。逃げ惑う人々。その全てを半壊させたのが自分である事に、ようやく気づいたのだ。


「も、モナは…ちがっ――」

「出てって!!!」

「え…」

「もう、苦しい思いをしたくないの!あなたが居なくなれば、全て解放される!綺麗事はうんざりなのよ!!いい?無償の愛なんてものは、存在しないの!!お願いだから、私の前から消えて!!」



 ――………!!?



 消えろ…と、ハッキリ言われた。

 それ以外の言葉は、幼いモナには分からず、まるで頭に入ってこない。この最後の言葉だけは、これから幾つ歳を経たとしても、決して忘れることのない心の傷として、彼女の中に存在し続けることとなった。


(モナが、いるから…お母さんは――)


 幼心ながら、モナはなんとなく分かっていた。自分がいるから、自分を産んでしまったから、母親は祖母の嫌味に苦しんでいるのだと。

 しかしこうも面と向かってぶつけられても、受け入れられる訳がない。自分の実の母親が、本気でそう思っていたなんて、冗談でも考えた事などなかったのだから…。




「「「うわあぁぁぁぁぁぁ!!!!」」」




 雄叫びなのか泣き叫んでいるのか、自分でも分からないほどに心を狂わせたモナは、再び魔力を暴走させる。

 風属性魔法の乱気流を生み出し、環境や自然の法則を変えてしまう程の力を、生まれてからたった8年の子供が見せつけた。

 悪魔が取り憑いた子だと、誰もが叫ぶ。もう、ここにモナの居場所は無かった。


(モナだって、モナだって…好きでこんな事してる訳じゃない!!)


 届かぬ思いが、また彼女を暴走させる。

 抑えられない力、何に対してかも忘れてしまった怒り、親に見捨てられた悲しみ、客観的に見てしまった醜い自分の姿、どう足掻こうが拭い去れない神霊族の暴走。それら全てが、モナの純粋な心に深い傷を負わせた。


「あ、あれは……子の姿をした魔物だ!!早く、早く始末しておくれ!!」


 孫など最初から存在していなかったかのように、祖母は里の冒険者にモナの抹殺を命じる。しかし、たかだか世界ランク5000位未満の連中が集まったところで、急激に上がりゆく戦闘能力に、打ち勝てる筈もない。


〈世界ランク、3956位…3654位…3020位…2569位…1574位…1193位…695位……↑〉


 生物の目覚め。人はそれを、〝覚醒〟と呼ぶ。

 ぐちゃぐちゃに乱れた感情が、モナを強くさせてしまったのだ。

 覚醒に至った者は、後に勇者や上位魔族に成り上がり、急激に世界ランクがアップする。子供ながらに、モナは無意識下で覚醒を経て、ここら一帯の地域では敵なしの存在となった。


 ――モナは、ここにいちゃいけないんだね…。


 自分を見る軽蔑に溢れた視線を感じながら、モナはそのまま気を失った。

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