第44話 魔界の現状
「シャトラ…だと?」
私の呼び声に反応し、白虎は眉間に皺を寄せる。魔物からすれば、誰とも知らぬ人間に笑顔で挨拶されたら、引くか殺意を湧くかの二択だろう。
少なくとも馬鹿にされたと思い、怒りを買うのが自然。現に白虎は、結界を介して益々咎めるような視線をこちらに投げた。
そんなことなどお構いなしに、私は白虎への笑顔を絶やさない。
当然だ。私の記憶が間違ってなければ、この子とは知り合いなのだから。
「うん、シャトラ!懐かしいなぁ。元気にしてた?」
「頭のおかしい人間もいたものだな。今すぐ食い殺してくれる!!」
ガルルル…!!と咆哮を上げ、私がシャトラと呼ぶ白虎は、結界をその凶暴な爪で引っ掻き回す。
退魔の結界に触れても全く動じない。やっぱりこの子は…。
「あ、アリアちゃんが、魔物と知り合い!?」
「いやいや、そんな訳ないだろ!何かのペットと勘違いしてるに違いない!」
「そ、そうよね!アリアちゃんが魔物と仲良くするなんて、あり得ない!」
そんな声が周囲から聞こえてくる。
彼らの反応も、至極真っ当なもの。自ら魔物を退けるために結果を生みだした張本人が、魔物と仲良くしていたら不思議で堪らないだろう。
「いや、この子は私の――」
そうだよね…。今の私は人間。魔物とは相まみえちゃいけない存在。ましてや、仲良くするなんて…。
それでも、前世で大事にしてきた〝仲間〟をここで無視するなんて、私には出来なかった。敵対するなどもっての外だ。
「貴様、なぜその名を知っている!我をシャトラと呼んでいいのは、ご主人様ただ一人だぁぁぁ!!」
結界を超えて、威圧の突風が吹き荒れる。けたたましい程の雄叫びが、村中に轟いた。
村の人たちが逃げ惑う中、眉一つ動かさず、怯む様子のない私を、白虎はキッと睨みつける。
「相手の恐怖心を最大限に引き出す我の咆哮を喰らっても、まだ逃げぬか…。その座った肝だけは認めよう。だが――」
まあ、何度も聞かされてきたからね~。
なんて軽い感じで結界の外に出る。そのまま、何事もなく白虎の鼻頭にポンと手を置いた。
「い、いつの間に…!?」
まるで数秒時間が飛んだのかと思われる程に、接近していたことを認知させない
時を操作されている訳でもなし。気づいた時には私が目の前に立っている状況に、白虎は動揺し焦りだす。
「あー、ここじゃ話しづらいから、場所変えるね」
そう言って、私は白虎と共に、この場から〝テレポート〟した。
この世界には、常にごくごく微量な魔力が空気中に散らばっている。テレポート…つまり瞬間移動は、それら〝自然魔力〟を媒介として利用し、記憶や感覚を頼りに自らを転送する魔法だ。
勿論、精巧な魔力の扱いに長けていれば、私のように複数を同時にテレポートさせることも出来る。
「さて、どっから話そうかな…」
移動してきたのは、村近くの森の中。周囲に誰もいないことを確認し、早速状況の整理を始める。
「我ごと、テレポートだと…?貴様、ただの人間じゃないな」
正体を明かさずに説明しても、ただ混乱するだけだと思う。だから、単刀直入に言ってしまうことにした。
「全く…少し力を見せてあげたのに、まだ
「……何を、言ってやがる」
「好きな食べ物は、魔界特製の〝ドラゴンフルーツポンチ〟。嫌いなものは、流れる水。世界で一番好きなのは、ご主人様のなでなで。幼い頃、魔界の川で溺れてるところを助けられた…どう?」
私が知る仲間の情報をいくつか口にする。それを聞き入れた白虎は、目をぱちくりさせ静かに驚嘆した。
「それを知るのは、ご主人様…魔王アリエ様ただ一人。な、ならば本当に…だが、死んだ筈では――」
「うん、死んだよ。でも、なぜか転生したんだ。びっくりだよね」
ニコッと笑った私の表情は、白虎に嘗ての私を彷彿させる。
未だ信じられないといった眼差しを向けるものの、その目には涙が溢れ出ていた。自分が世界で最も敬愛している死んだと思っていた主が、転生して今目の前に現存しているのだから。
「アリエ、様…。ご主人、様…」
「うん。久しぶり、シャトラ」
声のトーンを下げて、優しく名前を呼んであげると、魔界最強の
「「「ご、ご主人様ぁぁぁぁ!!!」」」
この世界に存在する魔物の中でも、最強格の強さと凶暴さを誇る白虎とは思えない程の懐きよう。先ほどまでの他を圧倒する咆哮と威圧を放っていた猛獣が、嬉し涙で顔面を濡らしながら、私にすり寄ってきた。
「もう、いつまで経っても甘えんぼさんだなぁ。シャトラは」
「ご主人様!!われ、我もう…嬉しくて…!よくぞ、生きておられました!!」
「一回死んだけどね」
もふもふの毛並みの感触を肌で感じながら、頭を撫でてやる。これが、シャトラにとって一番のご褒美だ。
感動の再会に浸ること、数分。長かったほっぺスリスリから一旦離れてもらい、一度自分たちの状況を整理することにした。
「まさかご主人様とは知らず、あのような非礼を…申し訳ございませんでした!」
地面に手をつき、土下座のようなポーズで謝罪するシャトラ。傍からすれば、人間の子供に全力で頭を下げる巨大虎というシュールな光景が目に映るだろう。
――魔王幹部〝魔界第八層〟守護獣『
兼アリエのペット…と後ろに続く。これが、シャトラの異名だ。
そう、白虎であるシャトラは、私の元幹部。個体レベルは1200越え、世界ランクは54位と、十二人の大幹部の中でも八番目に強い魔物だ(世界ランク基準)。
第八層というのは、魔界における魔王アリエの〝縄張り〟の一つ。魔王アリエは魔界の約三分の二を領地としていたが、それを十二分割し、それぞれの守護神として幹部を配置した。
と誰もが思っている。
けど実際は、縄張りなんぞに興味の無かった私は、
「魔王の縄張り?んー、どうしよ。めんどくさいから勝手に決めちゃって~」
なんて寝ぼけながら適当に言ったところ、幹部たちは魔界の約三分の二程の支配権を手に入れて帰ってきやがった。しかもその時は魔王になりたてだったから、幹部の数も少なかったのにも拘わらずだ。
おったまげたよ、あれは。普通に他の魔族が可哀そうだった。
それで、後に私を慕う幹部がコロコロ変わったり増えたりして、〈魔界十二層体制〉に落ち着いたという訳だ。まあ、これも自分たちが勝手に決めたことを、幹部たちはさも私が命じたかのように吹聴して回っていたけど…。
と過去の事はここまでにして、シャトラと向き合う。
「謝らなくてもいいって。分からなくて当然だったんだからさ」
「いえ、
怒り…人間に対するってこと?
そんな疑問はただ頭を通過しただけで、私は最も気に掛かっていたことに関して尋ねる。
「他の子たちは何してるの?急に私が死んだから、びっくりしただろうなぁ」
そう呑気に考える私とは打って変わって、シャトラは悲し気な表情で俯く。私が何かあったのかと首を傾げると同時に、シャトラは現在の魔界の悲惨さを語ってくれた。
「ご主人様…。今、魔界は大変なことになっております。ご主人様の死が確認され、我を含む幹部らは、
「え…?」
衝撃の事実に、私は眉を寄せた。
新たに魔王が誕生したことは、新聞で目にしたこともあり、何となくは知っている。だけど、私の想像を遥かに超えてくる強さを持つ
自暴自棄…は、よく分からないけど、シャトラの様子を見て分かる通り、幹部たちは私を心の底から寵愛している。私の死を許してしまった事への罪悪感に苛まれて、そういう状態になったと考えるのが妥当か。
「【クライアス】や【デウス】は…?」
「クライアス殿は、多次元をさ迷っております。あの
「そう…。デウスの評価は相変わらずだね」
私が思っていた以上に、魔界の現状は最悪だ。嘗ての幹部たちが降るほどの強者が魔王となった今、魔界は私が居た頃よりも、遥かに物騒で、自由な支配が許されてしまっている。
と魔王であった頃の思考を張り巡らせたと同時に、私は今の自分自身の立ち位置を思慮する。
私は人間。トラブルは多少あるものの、みんなと…人間の女の子と楽しく暮らしている。
それが壊れさえしなければ、私は…。
心の奥底から出かかった言葉を押しとどめようとした私に、シャトラは訴えかける。
「ご主人様…。その、魔界に戻っては…来ないのですか?」
「シャトラ…」
「皆、貴方様を待っておられます。ご主人様が戻ってくればきっと、魔王に降った同志を取り戻すことができる…。魔王を、撃ち滅ぼすことが出来る…違いますか!!」
「……」
物心覚えた頃から一緒にいたからか、シャトラは私と似た考えを持っている。
失った仲間を取り返したい。また、私の元でみんなと仲良く暮らせればそれでいいと…。
だけど、その言葉が向けられる
シャトラたち幹部と私の間に生まれる、大きな思想の違いだ。
そして私は、幹部たちに大きな隠し事をしていた。
幹部たちの事だし、もしかしたら私の望みを受け入れてくれるのかもしれない。そう考えた時期もあったけど、望みを言ったところで、叶う可能性は雀の涙ほどにも満たないだろうと、ずっと思いを隠してきた。
過去も今も、私は変わらず人間よりの思想を持っている。届かないと思っていた夢を現実にした今、私は自分の気持ちを包み隠すことなく、数秒の沈黙の後、シャトラに伝えた。
「シャトラ…。私ね、今すっごく幸せなんだ。人間に転生して、人間と触れ合って、対等にお話して…。それら全部、私が望んでいたことなの」
「……」
「もう私は魔王じゃないよ。何でも出来る訳じゃない。はっきり言って、非力だよ。魔界を立て直す力も権力も失った。こんなあなたたちが嫌う人間の姿をした、しかもそれを嬉しく思っている私に、魔界へみんなを救いに行く権利なんてないと思う。
ごめんね、シャトラ。私、今の生活を壊したくないんだ。仲良くなった
心の底から湧き出てきた思いを、そのまま口にした。苦渋の決断をしてしまったような表情で、下唇を噛みしめながら…。
嘗ての魔王である主が、こんな考えの持ち主だと聞いて、きっとシャトラは失望しただろう。そんな私の憶測は、次のシャトラの一言によって全て吹き飛んだ。
「ご主人様なら、そう言うと思いました…」
え…?
思いもよらない言葉が沈黙を破り、口を半開きにしたまま固まってしまう。そんな私に目を向けながら、シャトラは続けた。
「ご主人様は魔王であった頃、人間界を襲おうとしていた輩を許すまいと、人間を遠くから見守っていたこと…我らは皆知っています。人間と魔物を平等に扱う…最初は、そんなご主人様の考えに戸惑いはしましたが、そんな温かい考えをお持ちであるからこそ、我らはご主人様にここまで付き従うことが出来たのだと、ご主人様を失ってから、常々考えるようになりました…」
「シャトラ…」
「ご主人様を否定する権利など、それこそ我にはない。あなた様は我の、命の恩人なのだから…」
決して苦し紛れに言葉を紡いでいる訳ではない。心から私を尊重してくれる魔物の笑顔が、そこにはあった。
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