第三章 尊い姉妹と幸せを得た少女
第42話 始まりは尊い日常から
カギ村――。
人間界の端の端に位置する、知る者が殆どいない辺境の村である。自然豊かで、のどかな田園風景が広がり、ひとえに田舎と言っても、商業設備や生活環境は充実していて、住み心地が非常にいい。
なぜ、〝カギ〟村という不思議な名前をしているのか…。
それは、村の誰も知る由の無い謎の伝承名である。いや、謎…というには大げさなのかもしれない。
当たり前のように、皆が皆その名で呼んでいる。ただ、それだけのこと。
歴史なんて遡ってもキリがない。そう誰もが関心を放棄した。
そんなカギ村には、数日前から、とある邸宅が構えられている。
二階建てで、飾り気のない立派な作りの住まい。クリーム色の外壁が覆い、煙突付のグレーの屋根が二つのお山を作っている。
玄関前にはレンガのタイルがきっちりと並び、階段を数段上った先に現れるは、呼び鈴付きの玄関口。二階の外側は、ベランダと広めのバルコニーが別々に取り付けられており、用途別に使い分けられる構造となっている。
家の外には、百合の花が咲く花壇に、広めの畑スペース。日々、邸宅に住まう者たちが、仲良くせっせと作物を育てている。
村の誰もが羨む豪勢な作り。一体、どこの優秀な職人が作り上げたのだろうかと噂になる程度には、村で一際目立っていた。
それら全てが、一人の少女の魔法によって生み出されたとも知らず――。
◇
煙突からポクポク…と煙が上がる。邸宅に住まうメイドが、朝食の下準備を始めた。
「ふんふんふ~ん♪今日の献立はどうしましょう~」
鼻歌交じりに、フライパンを器用に扱う。中で割られた卵が、じゅくじゅくと空気を含み始めた。
手を動かしながら、何を作るかを熟考する。彼女の得意分野の一つだ。
徐々に、キッチンから香ばしい匂いが他の部屋にまで伝わってくる。それに釣られてか、すんすんと可愛らしく鼻息を立てながら、小柄な女の子が吸い付くように、リビングの席に着いた。
「ふら~ん、今日の朝ごはんは何なのだ~?」
ふにゃふにゃな声で、机に突っ伏す。そんな寝起きのユィリスは、ぼさっとした髪を直そうともせず、邸宅のメイド…フランに今日の朝食を尋ねた。
「おはようございます、ユィリスさん。今日の朝ごはんは、メイド特製〝ふわっとフレンチトースト〟ですよ」
「おー、名前を聞いただけでお腹が鳴るのだ~」
「ふふふ、楽しみにしていてくださいね。もう少しでできますから」
「フランの朝ごはんは嗜好だからなぁ…。待ちきれないのだ~」
そんなやり取りをする二人の元に、猫柄の寝巻を着こなした猫耳少女が、ちょこちょこと歩み寄る。
「ふにゃ~~。すっごくいい匂いがするよ~」
大きな欠伸をして、充満する匂いに尻尾を振る獣人のモナは、フランの横でゴクリと唾を飲みこんだ。美味しい物に目がない彼女には、お城の元メイド長が振舞う料理は全て輝いて見えるそう。
「モナが早起きなんて珍しいのだ」
「ふっふーん!偶にはモナだって、朝は本気出せるんだよ」
「本気出すとこ間違ってません…?それにしても、お寝坊のアリアさんはともかく、いつも早起きのルナさんがまだ起きていないのは珍しいですね」
お皿に盛りつけが終わり、朝食が用意されるタイミング。この時には、既に起きててもおかしくない同居人のルナを、フランは不思議に思う。
すると何かを思い出したように、
「そういえば、ルナちゃんはアリアちゃんの寝顔見に行くって、言ってたよ~」
とモナが口にした。
「ぷっ、アリアの奴、まーたルナに世話焼かれてるのか。ま、私たちの中で一番だらしないからな」
「それがいいんですよ~。ハァ~、寝起きに相まみえる二人の美少女…妄想が広がりますよ、これは!」
「何言ってるの?フランちゃん…」
この豪勢な邸宅を作り上げた少女…アリア。そんな彼女の、日常生活における底抜けなだらしなさを、微笑ましく思う三人であった。
―――――――――――――――
「すぅ………すぅ…」
人間というのは、眠っている間に夢を見る。いや、魔王だった頃もたま~に見てたっけ。
夢は記憶に残りにくい…。いい夢を見ていると、すっごく良いところで目覚めてしまうものだ。
なんでだろう。
そんな哲学的なことを考える〝夢〟を見ている時は、中々目覚めないものだ。
なんでだろう(以下ループ)。
掛け布団を自ら剥ぎ取り、ぎゅっと抱え、お腹を出しながら熟睡する。
目の前には、二つのお山。無意識に手を伸ばすと、むにゅっとした感触が手のひらから伝わってきた。
何これ…。柔らかいなぁ。
そもそも今、現実?夢の中?そんなことも分からない程、平和ボケしているとでも言うのか。
徐々に視界が定まり、ようやく自分が目を覚ましたことを認知する。そして、最初に視界に入り込んできたのが、目の前でこちらを笑顔で眺める一人の美少女。
ポッ…と頬を赤らめる。こんな朝早くから、こんなに可愛い女の子を目に焼き付けられるなんて…。
彼女はそのブラウンに色づく瞳に、起床した私を捉えると、笑顔を絶やさぬまま口を開く。
「おはよ、アリア」
「う、うーん…。ルナ?おはよぅ…」
と私の目線に合わせて屈む彼女…ルナの名を呼び、寝ぼけた挨拶を交わす。右手にまだ柔らかい感触を残したまま…。
「ところで、アリア…」
「うーん??」
「いつまで私の胸を揉んでるつもり?」
「……」
寝ぼけていたのもあって、一瞬ルナが何を言ってるのか理解が追い付かなかったが、私は先ほどから何かを鷲掴んでいた手の感触に、ようやく意識を向ける。
いや、気づいてはいたのだろう。寝起きに飛び込んできた可愛いルナに釘付けになってしまい、自分が今何を触っているのか確かめるのを後回しにしていた。
――……っっ!!!///
「うわぁぁぁ!!ごめん、ルナ!!!……いて!!」
即座に手を離し、大げさに体を跳ねさせた私は、頭を後ろの壁にぶつけてしまう。
あまりにもルナがニコニコしているから…というのもあったけど、流石にこれは変態呼ばわりされても文句は言えない。寝ぼけて女の子の胸を揉んでいたなんて、とうとう願望を現実に体現し始めてしまったとでもいうのだろうか。
「私、アリアがそんな子だったなんて思わなかったなぁ~」
とルナが頬杖をついて、わざとらしく言う。だが、今の私にはそれが一番効いてしまう訳で…。
「ほ、ほんっとうにごめん!!いや、今のは故意じゃなくて、無意識にというか…」
「普通、無意識でも人の胸を揉む子なんているかしら」
「い、いるよ!!」
「……まあ、実際ここにいるしね。というか、別に女の子同士なんだし、そんな謝る必要なんてないのに」
普通の女の子なら、そうなのだろう。しかし私は違う。色んな意味で普通じゃない。
神聖で清純な女の子の胸を揉むなんて、私からしてみれば処刑ものなのだから。
「る、ルナはもうちょっと怒っていいんだよ…?い、嫌でしょ?胸を触られるの…」
「知らない人に触られるのは勿論嫌よ。でも、アリアなら全然気にしないわ。寧ろ――」
「ん?」
何かを言いかけたルナは、顔を逸らしながらスッと立ち上がる。そのまま部屋の扉に向かい、
「さあ、早く起きないと、フランの朝ごはんが冷めちゃうわよ」
とウィンクしながら言って、出て行ってしまった。
本当に気にしてないかなぁ…と不安が残るものの、私も後に続いて部屋を出る。
こんな刺激的な朝からスタートした今日、この日から私たちの新たな物語が始まることなど、知る由も無く。やってしまったと未だに悶絶しながら、私はリビングへ向かうのであった。
「ん~!!美味しいよ、フラン!」
同居している五人でテーブルを囲み、朝食を堪能する。私は頬に手を当てて、フランが作ってくれたフレンチトーストの味を噛みしめていた。
「お口に合ったようで、何よりです。ふふん!」
フランは得意げに笑い、くいっと上げた眼鏡を光らせる。褒められた時などに見せる、ドヤ顔混じりの仕草だ。
「でも、毎日悪いね…。朝は任せちゃって」
「いいんですよ~。楽しくてやってるんですから。趣味のようなものです」
シェアハウスな以上、重要になってくるのが、家事や料理の当番を決めること。
最初は、自分が全部やると言わんばかりに積極的になっていたフラン。だけど、彼女はこの家のメイドでもなければお手伝いさんでもない(フランの希望で、名目上はメイドさんということになっているが…)。
みんなが対等な立場で過ごすことを第一に考える私は、フランに任せっきりにするのは良くないと、ルーティーン形式でハウスワークをしていこうと提案した。
掃除は定期的にみんなでやるとして、その他の毎日しなくてはいけないこと(洗濯や洗い物)を一日交代で行うことに。それでも、朝ご飯だけは毎日作らせてほしいと、フランは譲らなかった。
そこまで言うならと、彼女のお言葉に甘えて、朝食だけは任せている。朝に弱い者が多い…というのも、決定打となった(特に私、ユィリス、モナ)。
「全く、少しは早起きして、フランを手伝ったらどうなのだ?アリア」
「むぅ…ユィリスだって、起きるの遅い癖に」
自分を棚に上げたユィリスの発言に、頬を膨らます。
「忘れてるでしょうから言っておくけど、今日の家事当番はユィリスよ。サボらないで、ちゃんとやりなさいよね」
「な!?そうだったのだ…。って、ルナ!サボらないでとはどういう意味だ!まるで前科持ちのように言いやがって~!」
「前の時なんか碌に洗濯できなくて、モナに殆ど手伝わせてたじゃない」
「うっ、そんなことないのだ…。ちょっと分からなかったから、すこーしだけモナに見てもらってただけだぞ。そうだよなぁ…?モナ」
助けを求めるように縋り付くユィリスに、モナは「あはは…」と曖昧に返した。そんな賑やかなやり取りを、フランがほっこりしながら眺める。
色々弄られることはあるけど、この尊い日常こそ、前世じゃ味わえなかった充実感。その後も、みんなで仲良く(?)朝の団欒を楽しんでいた。
◇
結局、今日もみんなに手伝ってもらいながら、せっせと家事に奮闘していたユィリス。あれだけ馬鹿にしていたルナも、親身になって付き合っていた。
なんだかんだ言って、あの二人は仲が良いよね~。
包み隠さず、本音で語り合える関係なのが、少し羨ましく思ってしまう。私なんて、隠し事が多すぎて、寧ろこいつは謎のままの方がいい…みたいな扱いされてるし。まあ、仕方ないんだけども。
そう物思いに耽りながら、一人で村を散歩する。暇を持て余したくなかったから、買い出しついでに村を一通り見て回っていた次第だ。
「いい村だよね、ほんと。どこかへ旅することになったとしても、この村が私のホームだよ」
なんて独り言を放っていると、目の前の通りから、断続的にトン…トン…と何かをつつくような音が聞こえてくる。そちらへ目を向けると、一人の大人びた女性が長めの木の棒を片手に、ぎこちない歩みを進めていた。
あの人、目が見えないのかな…。
目を閉じながら、木の棒を左右に動かし地面を探る様子を見るに、盲目な方だとすぐに分かった。
「あっ…!!」
すると女性は、棒で察知できなかった溝につま先を引っかけてしまい、バランスを崩して倒れそうになる。
「危ない!」
すれ違いざまに起きたことだったので、すぐに女性の体を支えることが出来た。その際、意識してなかった女性の艶やかな白髪に、私は思わず見入ってしまう。
綺麗な髪だなぁ…。って、今はそうじゃなくて!
「大丈夫ですか?」
「あっ、すみません…。ありがとうございます。私、この通り目が見えない者でして…」
「送っていきますよ。家はどの辺ですか?」
そう当たり前のように手を貸そうとする私に対し、女性は驚いたような表情で首を横に振る。
「い、いえ…お構いなく、自分で行けますから!」
「放ってはおけないですよ。これくらいはさせてください」
「でも…」
「さあ、行きましょう」
余計なお世話かなと思いつつも、私は女性の手を取って、一緒に歩き出した。
今は汗ばむような季節ではないが、女性は額に多量の汗を滲ませている。ここまで来るのに、相当な神経を使っていたのだろう。
それなら、猶更見過ごせない。私は戸惑いを隠しきれずにおろおろする女性と一緒に、彼女の家へと向かって行った。
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