第35話 魔王の剣影

 時を同じくして、地下牢の奥にある立ち入り禁止の扉がゆっくりと開いた。


「城の震撼は収まったか…。随分、殺すのに時間がかかったようだな。私のメアリー操り人形め…」


 封印の扉から出てきた鉄仮面を被った男は、先ほど扉の封印をいとも容易く解いた少女とすれ違い、地下牢に顔を出す。


「さて、そろそろか…」


 未だ自分の操り人形だと思っているメアリーが、既にあの子供を殺したと勘違いしている鉄仮面男は、計画を実行すべく、ベルフェゴールの元へ向かう。しかし牢獄の前へ足を運ぶと同時に、奴はゾッと身を震わせた。


「こ、これは…。誰が!?」


 何やら天災レベルの雷を喰らい、黒焦げの状態で失神する七大悪魔。消えることのない煙が、周囲に舞い続けている。

 これでまだ生きているのが不思議だ。そう思わせる程に悲惨な姿を、ベルフェゴールは晒していた。

 そんな状況を視界にとらえた途端、鉄仮面男は真っ先に考える。

 誰が、やったのかと…。


「ベルフェゴール、起きたまえ…。何があったというのだ?」

「ゴホッ…」


 ようやく意識を取り戻したベルフェゴールが、イラついた様子で語り始めた。


「グッ…うっ、く、クソが!あのガキ…。この俺を、コケにしやがって…うぅ」

「ガキ…??そいつは、まさか…」

「アリアとかいうクソガキだ!チッ…今にも腸が煮え繰り返りそうだぜ!」

「何!?まだ殺していなかったのか!?グッ…なんて使えないだ…」


 と、思い通りに事が運ばず、二人して頭を抱えだす。

 メアリーの殺戮が始まってから未だに殺されていないのだとすれば、アリアという子供は、少なくともメアリーの暗殺から逃げ伸びることの出来る実力者だということだ。

 この時、鉄仮面男はまだメアリーが操られているものだとばかり思っていた。

 あの子供が≪東の司令塔イーストコマンダー≫に勝つ…ましてや呪いを解くなど、普通に考えたらあり得ない。そんなのは、想定外に収まる話ではない。ただの規格外…バグだ。


 駒が使えなければ、自ら動くしかない。自らの手で、この一件を探る奴らを殺す。

 仮面の奥で不敵な笑みを浮かべ、鉄仮面男はベルフェゴールに告げた。


「待たせたな、ベルフェゴールよ。約束通り、君をここから出してやろう」

「へへっ、あまり期待はしてなかったが、本当に出してくれるとはな。まさか、人間の手を借りることになるとは思ってもみなかったぜ…」

「……」

「これで俺は、自由の身ってわけだ」


 忌々しい鎖を外してもらい、ベルフェゴールは無様な格好で上機嫌に。しかしその喜びは、ほんの一瞬だけであった。


「待ちたまえ、ベルフェゴール。いつ私が、君を自由にすると言った?」

「あん?」

「勘違いしないでもらいたい。私は、牢獄ここから解放してやると言っただけだ」

「……?おいおっさん、何が言いたい…?」


 怪訝そうな顔をするベルフェゴールに、鉄仮面男は無言で手を突き出した。

 何かを察した時には、既に遅し。ベルフェゴールは驚きと共に、自分の肉体が消滅していることをすぐに悟った。


「今の君ならば、私の力でも容易に吸収できる…」

「グッ、嘘だろ!?ま、まさかお前…!!」

「フフフッ、君ならよく知っているのではないか?この、〝生命核吸収ソーブ・ヴァイタリティ〟を…」

「魔族、の…技…なぜ、お前が…!?くっ、まっ、待て!!冗談じゃねぇぞ!!?」

 

 焦り、全身から汗を吹き出すベルフェゴールとは裏腹に、素性の知れぬ鉄仮面男は高らかに笑い出す。


「フハハハハ!!これで私は、上のステージに立てる!!」

「テメェ!最初からこのつもりで…!」


 足先から始まり、消滅は一途をたどる。 

 死にそうな程の空腹に加え、肉体は勿論、魔力も正常に機能しないベルフェゴールは、格好の餌食だった。油断していたというのも、多少はあるだろう。

 なぜなら目の前の男が、どう見ても貧弱なにしか思えなかったから…。

 奴は確かに、魔族の力を無効化する鎖に触れていたのだ。にも拘らず、今奴は魔族の能力を使用している。

 そのことが、死に際の悪魔を大いに混乱させた。


「ハァ…な、なぜ…だ。なぜテメェ…退魔の鎖に、グッ…触れられんだよ!!」

「私は少し特殊でねぇ。君たち魔族とは、全くの別物なのだよ」

「は!?何を言って…や、が――っ!!」


 とうとう言葉すら、奪われてしまう。そのまま、ベルフェゴールの意識と精神、生命力が魔力の霧となり、全て吸収されていった。


「ククク…手に入れたぞ、七大悪魔の火の力!世界ランク163位の司令塔を従え、神霊族の魔力は使い放題、そして自らの強化…。フハハハ!!私は、完璧な存在になったのだ!!」


 ベルフェゴールの性格が乗り移ったかのように調子づく男。見た目が変わっている様子は無いが、仮面奥に輝く赤い光は、より一層強みを増している。


「さて、事実を知る者は皆殺しだ。そしてレアリムは、今日から私のものになる…」


 この時、鉄仮面男はあまりの興奮に、一つの可能性を考えることを放棄していた。

 封印の扉を解き、全てを覆すための〝切り札〟が、今から城に戻って来ることを…。





 ―――――――――――――――





 城の最深部、モナが眠っていた部屋――。


「落ち着いた?」

「う、うん。なんかモナ、すっごく見苦しい姿見せちゃったね」

「そんなことないよ」

 

 ずっと我慢してきた思いを包み隠さず話してくれたモナは、未だ涙ぐんではいるものの、私に笑顔を向けてくれた。

 一肌が恋しかったのだろう。感情が落ち着くまで、無意識にぴったりくっついて離れなかった。

 その姿が可愛くて、思わず見入ってしまった私。こんな時でも邪な感情が出入りしてしまっている自分が、ほんと情けないのだけど…。


「そういえばモナ、食事とかってどうしてたの…?」

「ああ、ええっとね。最初は、一日一食…魔力を生み出せる最低限の栄養を取るだけだった。けど、ここに閉じ込められてから少し経った時、お城に住んでる優しい人が、毎日美味しいご飯を運んできてくれるようになってね。今日も朝、ここに来てくれたんだよ」

「え、そうなの!?すっごくいい人じゃん!でも、その人どっから来たの!?」

「分からない…。名前も教えてもらえなくてね。食事を持ってきてそれだけで、軽く挨拶して帰っちゃうの」

「へぇ~」


 魔族以外にここへ入り込める人がいるってこと…だよね。一時的に封印を解ける、或いは扉の鍵を持ってる人が城にいるのか。

 その人の事も気になるけど、今はすぐにここから出ることを考えた方がいいだろう。


「モナ、首輪を外すから、じっとしててね」

「外すって言っても、これ単純な鍵で外せるようなものじゃないよ…」

「大丈夫。こういうのは、魔力で壊せるから」

「え…!?」


 そっと首輪に触れ、指先から魔力を流し込む。

 この首輪は鉄製だけど、単純な魔力回路が張り巡らされている。装備した者の魔力を強制的に外へ排出させる不思議な力が宿っていることから、ただの職人が生み出したものとは考えにくい。

 それこそ、無から有を生み出す〝錬金術師〟なんかが挙げられる。

 魔力で生み出されたものであれば、効力をかき消すのも破壊するのも魔力だ。既に解析してある首輪に、〈鍵〉である私の魔力を注ぎ込んで、内部から綺麗に破壊する。


「〝物質破砕マテリアル・フラクチャー〟…」


 そう強く念じると、あっという間に首輪は魔力の霧となって消えていった。すると、モナは力が抜けたように、私に体をもたれてくる。


「あっ、大丈夫!?」

「ふにゃ~…なんか、モナの魔力も同時に消えちゃったみたいで。ごめんね、力が出なくって…」

「大丈夫だよ。でも、どうしよ」


 自分の足で歩けないなら、私が抱えていくしかない。でも普通に抱っこしたんじゃ、私もあまり身動きが取れないかも。走りづらくなるし。

 だったら…


「じゃ、じゃあモナ。はい…」


 モナに背中を向けて、そのまましゃがみ込む。手を後ろに回し、おんぶの体勢だ。


「ありがとう、アリアちゃん。その、重く…ない?」

「ううん。全然軽いよ」


 何だろう、この密着具合。前から抱きつかれるのとは、また違った感覚が襲ってくる。

 私が抱えてるのに、逆に後ろから抱きしめられているような…。それに、柔らかな感触が背中に…って、何を考えてるんだ私は!!

 更には、モナの吐息が耳にかかってもう…。

 そんな疚しい思いを振り払うように頭をぶんぶんして、モナの細く柔らかい太ももを抱えながら立ち上がる。


「じゃあ、行くよ!」

「うにゃ!」


 部屋から出て、全速力で薄暗い通路を駆けていく。

 人一人分の重さなんて、私にとっては無いようなものだ。普段と何ら変わらない速度で、出口に向かう。

 

 しかしながら、最短ルートを最速で走り抜ける私たちを見過ごすほど、この施設の包囲は甘くなかった。

 比較的大きな空間に足を踏み入れた途端、どういう訳かそこに居座る魔族共とバッタリ会ってしまう。奴らはこちらを視界に入れると、仰天した様子で仲間を呼び始めた。


「なっ、そいつは例の獣人!?お前、どこから入ってきやがった!!」

「マズいぞ!獣人の女が連れだされてる!!」


 ちぇっ…やっぱ、一筋縄じゃいかないか。こいつら全員を相手している暇は無いな。

 

「どうしよ、アリアちゃん…」

「大丈夫、しっかり捕まっててね」


 身体能力を生かし、魔族の包囲網をかいくぐっていく。

 走り抜けたり、顔を踏みつけたり、上手く攻撃を躱したり。モナにも当たらないように、計算して避けていく。

 そんな私たちを、何やら巨大な影が覆い尽くした。振り下ろされたゴツイ腕が、空間全体を揺らす。

 どこから現れたのだろうか。侵入者を確認して動き出した巨兵が、威風堂々と姿を見せる。


「こいつは、ゴーレム…」


 硬い岩で構成された巨体な魔物…ゴーレムが、私たちに向かって重々しいパンチを繰り出してきた。こんなせまっ苦しい場所で、体長4、5メートルはあるであろうデカぶつを相手にするなんて、まっぴらごめんだ。


「ハハハ!!こいつは只のゴーレムじゃない!錬金で強固な体に仕上がった、最高傑作の怪物さ!」


 ご丁寧に、魔族共がゴーレムの解説をする。

 やはり錬金…。こいつら魔族は、人間の錬金術師とも繋がっているんだ。


「もう、邪魔だなぁ…」


 ここに魔族共が来ていたということは、恐らく奴らは出口に向かっていたんだ。なぜかは分からないけど、こいつらを外に出すわけにはいかない。


 ――オオォォォ…。


 低い雄たけびと共に、再びゴーレムが殴りかかって来る。それを軽々しく避けるも、あまりの威力に軽く突風が吹き荒れた。


「うっ…」

「モナ、だいじょう…え?」


 風にあおられ、モナの頭を覆っていたフードが捲れる。気にかけ、後ろを振り返った私は、彼女の猫耳を見てすぐにその違和感に気づいた。


「その耳…どうしたの?」


 ぴょこぴょこと動く獣人の耳。本来なら可愛らしく思うはずのそれが、片方だけ少し歪な形をしている。

 詳しく言えば、左耳の先端が何か鋭利なもので切り取られたように、斜めに欠けていたのだ。

 これは、明らかに人工的なもの…。痛そうにはしてないみたいだけど、流石に心配になった。


「ああ、これ?ええっと、モナ…一度ここを出ようとしたことがあってね。でも、首輪の力で魔力を発散させられて、すぐに捕まっちゃったの。で、その時に…耳をハサミで切られちゃって…」


 え…?

 

「あはは…ちょっと痛かったなぁ、あれは」


 ムカッ…!と一瞬頭に血が上った。「ハサミ…?」と聞き返すように重々しい声で言った私は、一旦モナを安全な場所へ座らせる。


「これで二度目の脱走だなぁ!獣人の女!」

「次は耳だけじゃねぇ。尻尾も切ってもらえよ!!」

「いやいや、愛玩動物として飼ってやった方がいい!毎日可愛くいたぶってやるよ!」


 魔族共は煽るように、口々にどうしようもないことを駄弁りだす。中には直接言えないような、過激なことまでも。

 一年前からこんなバカ共を野放しにしてたなんて…。ずっと魔王城に引き籠ってた私もバカだ。

 魔族だろうが勇者だろうが、やっていいことと悪いことの区別も付けられないような奴は、被害に遭った人たちと同じ苦しみを味わえばいい…。

 

「――っ!!!」


 歯軋りをしながら、強く地面を踏みつける。ゴーレムのちんけなパンチなんかとは比にならない程、魔族共に重々しい圧を振りかけた。


「ひっ…!??」


 あまりの私の変わりように、奴らは硬直して身を震わせる。

 当然だ。魔族の弱点を知り尽くした、魔王の威圧なのだから。まあ、前世に比べたらあんまりだけど。

 そして、私は邪魔くさいゴーレムを目で制し、近くに偶々落ちていたを手に取る。


「ねえ、知ってる?」

「……??」

で星を八つ葬った、馬鹿げた魔王のことを…」

「な、何を言って…!ご、ゴーレム!やっちまえ!!」


 焦る魔族の指示を受け、暫く動きを止めていたゴーレムが拳を振り下ろしてくる。私は空中へ飛び上がり、ただの木刀を両手に持ち、大きく構えた。



「この剣影は、月の満ち欠けに顕現する、常世の魔王の如し…」


 

 視界に入るもの全てが、スローモーションのようにゆっくり動く。それほどまでに、私の攻撃は誰の目にも止まることはなかった。



「〝覇王魔懐斬デモン・デストリード〟…!」



 ただ静かに、何事もなかったかのように地に降り立つ。

 瞬きも許さぬ世界で、気づけばゴーレムの体は真っ二つに。何が起こったのかと考える時間も与えず、そのまま岩の巨兵は灰となった…。

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