第6話 ルナ・メイヤード

 カタッ…という音を立てて、私の手からフォークが滑り落ちる。あまりに衝撃的過ぎて、硬直してしまった。

 万が一にもあり得ないと思った。ルナの口から、自分の前世の名が飛び出てくるなんて…。


「あーほら、ちゃんとフォークは持っとかないと」


 ルナが席を立ち、私が落としてしまったフォークを布巾で拭いてくれる。そんなことにも気づかないほど、私は頭が真っ白になっていた。


「ねえ、ルナ…」

「ん?」

「ルナの両親は、本当に魔王アリエに殺されたの…?」


 依然として目線を動かすことなく、誰も座っていない席をじっと見つめたまま、独り言のように尋ねた。そんな私の様子を、少し妙に感じる素振りを見せたルナだったが、席に座り直すと同時に答える。


「そうよ。でも、もういいの。恨んでないって言ったら、嘘になるけど…」

「……」

「ねえ、アリア。もしかして、何か知ってるの?」

「え…!?あ、いや…し、知らない!!知らないよ!!!」


 正気に戻り、混乱しながらも必死になって否定する。

 私が人間を殺した…?

 全く記憶にない。

 一度だけ、〝精魂破壊〟により不可抗力で人間を殺めてしまったことはあった。でも、それは今から数百年も前の話。

 前世じゃ普段、魔界の魔王城で引き籠っていて、ただでさえ人間界に行くのも稀なケース。おまけに、人間に触れたことなんて一切ない。

 ここ数年間のうち、人間界に訪れたことなんて、数える程しかないのだ。記憶の限りを探りつくしても、私が人間を殺したなどという事実は浮き出てこなかった。


「わ、分かった分かった。そんなに否定しなくてもいいわよ。ただ聞いてみただけだから」

「う、うん…」


 でも、ルナは今はっきりと言った。両親を殺したのは、魔王アリエだと。

 自分を信じたい気持ちは山々だが、万が一の場合がある。ただ結果を告げられただけじゃ、納得なんて出来やしない。

 そう冷静に思い直して、私はルナに事の詳細を尋ねた。


「その、ルナ…。すっごく嫌なことを思い出させちゃうかもしれないんだけど、ええっと…どうしてルナの両親は、魔王アリエに殺されちゃったの?あ、ほんとに嫌だったら、話さなくていいけど」


 なんて言ったけど、本心では何が何でも話して欲しい。

 このままじゃ、私の中のモヤモヤが収まらないし、もし事実だとすれば、私はルナの両親を殺してしまった事になるから、もう彼女と一緒になんていられない。というか、私はルナに殺されてもいいくらい。

 私の問いかけに、俯き気味で少し考えるような素振りを見せたルナだったが、ゆっくりと過去の自分のことを話しだした。


「分かった。アリアになら、話してもいいかも」

「……」

「これは、今から7年前の話よ――」



      


 ―――――――――――――――





 7年前――。

 ルナ・メイヤード、8歳。出身は、人間界の辺境にある集落…カギ村である。


「パパ~!お帰り~!!」


 ルナはいつも、冒険者である父親が家に帰って来るのをずっと心待ちにしていた。旅先での冒険話をたっぷり聞かせてもらうためだ。


「おー、ルナ!今日は、どんな話を聞かせてやろうかな~!」

「パパが戦った時の話がいい!どんな魔物と戦ったの?新しい魔法、獲得できた?」

「そうだな~。今日は、面白い魔物と出会ってだな…」


 父親は、いつも明るくて話し上手。自分が経験したことを、ルナに面白おかしく伝えるのが得意であった。


「はいはい!冒険の話もいいけど、晩御飯冷めちゃうから、二人ともリビングに来て~」


 そして、キッチンから顔を出しながら二人を呼んでいるのが、優しくて家事を完ぺきに熟せるルナ自慢の母親である。


「わ~!ママのオムライスだ~!!」

「ふふ、ルナは本当にオムライスが好きね」

「うん!ママの作ってくれたオムライスが一番だもん!」

「たっぷり食えよ!パパの分も分けてやる!」

「うん!!」


 強くて面白い父親に、優しくて料理上手な母親。そんな二人に囲まれて、ルナは毎日がとっても幸せだった。


「そうね…今度はルナにオムライスを作ってもらおうかしら」

「ん~、私に出来るかな~」

「出来るさ!パパの自慢の娘だからな~!」

「えへへ…じゃあ、次オムライスが献立の時は、私が作る!楽しみにしてて!」


 次の機会になったら、オムライスを作ると二人に約束したルナ。自分が作ったものを両親に食べてもらいたいと、その日からオムライスの作り方を学び始めた。

 どんなに不格好なものでもいい。初めて自分が振舞うことになる料理を、ただ二人に食べてもらいたいと…純粋な子供心で、そう思いながら。

 


 ――しかし、その機会が訪れることはなかった。

 

       

 その日、ルナは一人キッチンに立って、事前に勉強したオムライスの作り方を頭の中でシミュレーションしながら、必要な材料を並べていた。

 両親は、少し前に外出している。一人で留守を任されていたルナは、ここしかないと、二人にサプライズでオムライスを作ろうとしていた。


「よし!材料も、これで足りてるわ!早く始めないと、パパとママが帰ってきちゃう」

 

 両親の喜んでいる姿を想像しながら、期待に胸を膨らませる。早速調理に取り掛かったルナだったが、少ししてから、誰かが物凄い勢いで玄関口を叩いていることに気がついた。


「誰だろう…?」


 料理を中断し、玄関の扉を開ける。そこには、息を切らした様子の村長が顔面蒼白状態で立っていた。


「あ、村長さん!」

「ルナちゃん!今すぐここから離れるんだ!」

「え…?」

「近くの森に、〝魔王〟が現れた!村の者皆、既に避難している!」

「魔王って、嘘でしょ!?」

「私と一緒に来るんだ!ここに居ては、ルナちゃんも危ない!」


 焦りを見せる村長は、ルナの手を引いてここから逃げるよう促す。しかしルナは、自分のことよりも、先ず両親の安否を確認した。


「ちょっと待って!パパとママは!?」


 その質問に対し、村長は渋りながらも苦しそうに答える。


「二人は今、その…魔王がいる森に向かった筈だ」

「え…な、んで?」

「分からない。止めても無駄だった。私はただ、ルナちゃんを任されただけでな…」

「何、それ…。私、さっぱり分かんないよ!!」


 村長が言うに、両親は自らの意思で魔王の元に向かったそう。そのことに、大きな疑問を抱いたルナは、脇目も振らず、村長の手を振りほどいて走り出した。


「ルナちゃん!待ちなさい!!」

「なんで…なんで魔王がここに!?パパ!ママ!!無事でいて!」


 子供には、とてもじゃないが理解し難い状況。ルナは何も考えず、ひたすら両親の無事を祈りながら、近くの森へと急いだ。

 魔王という存在は、両親から度々悪い奴だと聞かされていた。世界一の嫌われ者で、最恐最悪の存在。

 そんな奴の元に向かった両親は、ただじゃ済まないだろう。それだけは、子供ながらに察しが付いた。


 全焼した森。何か大きな戦闘が起こった後のような、荒れ果てた地形がルナの瞳に映る。

 だがそんな光景など、今はどうでもいい。彼女は必死になって、焼け野原を駆けながら、両親の名を呼び続ける。


「「パパ~~~~!!!ママ~~~~!!」」


 無事でいて欲しかった。また、何事もなく私の前に帰ってきて、いつものように笑顔を見せて欲しかった。色んな話を聞かせて欲しかった。美味しい料理を作って欲しかった。



 ――オムライス…食べて欲しかった。



 その全てが、目の前で呼吸を止めたまま、動きを見せず横たわる両親を見た瞬間、ルナの中で崩れ落ちた。


「パパ…?ママ…?なんで、動かないの?ねぇ…」


 両親ともに、目立った外傷はない。ただ、心臓が止まっていた。 

 既に、死人と化していた…。

 あまりのショックに、ルナは声を出すことを忘れ、ただ流れ落ちる涙で顔をぐしゃぐしゃにし続ける。

 ふと上を見上げると、今の状況とは裏腹に、綺麗な夜空をバックにして一人の女が浮遊していた。その女は、村の方へと手を伸ばし、何かをしている。

 ルナはその女が誰なのか、すぐに分かった。常に世間を騒がせ、その姿は誰もが知る堂々たる魔王の存在。


「魔王、アリエ・キー・フォルガモス…」


 間違いない。その顔は、何度も絵本や新聞で見てきたのだから…。

 魔王アリエは、何かをし終えた後、すぐに夜空の彼方へと飛んで行ってしまった。

 魔王が襲来してきたというのは、本当だったのだ。拳を握りしめ、ルナはやり場のない悲しみに打ちひしがれた。


「パパ、ママ…帰ってきてよ。私が作ったオムライス、一緒に食べよ?返事、してよ…」


 呼吸をも忘れ、自覚無しに自らの感情を抑えていたルナは、その最後の言葉を両親の亡骸に届けた後、過呼吸に陥り、やがて気を失ってしまった――。






 ―――――――――――――――






「信じられる…?うっ…うぅ――。自分の知らない所で、理由も分からず親を失うなんて。なんで、なんで…死んじゃったの、かしらね…うっ、うっ…」


 ルナは経緯を話しながら、両手で顔を覆い、すすり泣いていた。

 それを察した頃には、既に自分が茫然自失状態に陥っていることに気づく。

 彼女が今流している涙。それは、私がものだ。

 絶望に駆られたものの、そんな私のちっぽけな悲観など、ルナの身に起きた悲劇に比べれば、天と地の差だろう。

 両親は外傷無く、心肺停止の状態で発見された。そして、近くには魔王である私の存在。

 ルナの言ってることが間違いでなければ、私は無意識に彼女の両親の魂を喰らい尽くしてしまったことになる。

 7年前の話だし、その頃に自分が何をしていたのか、正直思い出せない。思い出そうとすると、ルナに起きた悲劇が頭の中を駆け巡り、とてつもない罪悪感でいっぱいになる。

 私…なんてことしちゃったんだろう。


「うっ、うぅ…」


 両手で顔を覆い、泣き続けるルナ。そんな彼女と同じように、と表現すべきではないが、私も自分に絶望した。

 

 ――ああ、やっぱり私は、世界一の嫌われ者だ…。


 何?悲劇のヒロインぶってるつもりか?私は。

 人の命を奪ってるんだぞ?私には、悲しみや絶望を共有する権利なんてないんだ。

 私は、なんなんだ?

 頭の中で、支離滅裂な言葉が飛び交う。

 私は終始、泣いているルナに慰めの言葉をかけることが出来なかった。

 ただひたすらに、自分が犯してしまった罪へと目を向け、勝手に絶望に浸っていた…。

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