第2話 アリアとルナ

 ――ドキドキ…。


 これ以上なく心臓が跳ねる。優しく受け止めてくれた女の子は、私の視線を奪って離さなかった。

 なぜ、こうもときめいてしまうのだろう。

 ああ、そうか。やっぱり私は、女の子が好きなんだ…。

 

「よいしょっと。ふぅ、ほんと無事でよかったわ」

 

 依然として固まったままの私を、ゆっくり地面に下ろしてくれた女の子は、ほっと安堵した表情を見せた。まさかこんな形で人間の女の子に接触することになるとは思ってもみなかったので、嬉しさよりも驚きや緊張が勝ってしまう。


「あ、その…あ、ありがとう!」


 ようやくお礼を言えたものの、しどろもどろな口調に。それ程までに、この唐突過ぎる神シチュエーションにドキドキしっぱなしだった。


「どういたしまして。たまたま近くにいたからいいけど、今度飛行魔法を使う時は、気をつけなきゃ駄目よ」

「あ、はい…」


 人差し指を立てて、私にめっ!と諭すように言った女の子は、身長が高めなのも相まって、まるで年上のお姉さん。実際、美人で大人っぽい容姿をしている。

 風になびく、可憐なストレートの茶髪。頭部に身につけている可愛らしい白のカチューシャが、綺麗に整えられた前髪を強調している。

 童顔だけど、大人っぽい色気も持ち合わせている完璧な顔立ち。まつ毛は長く、瞳の色は茶。容姿に関しては、右に出る者はいないんじゃないかと、前世で何百年も生きてきた私の心が言っている(※可愛いは人それぞれです)。

 出るとこは出てて、手足は長く、絵に描いたようなスタイル。今の私とは、正反対の美少女だ。

 服装は、空色を基調としたワンピースで、スカートのフリルがとても可愛い。

 髪をかきあげた時にチラッと見え隠れするハートのイヤリング、そして足先を覆うエレガントなブーツ。頭部から足先まで、無駄のない完璧な風貌で、お洒落にも抜かりない女性という印象を受けた。

 もはや別次元だな…。前世の私よりも可愛いよ、これは。

 会話に集中できない程に見惚れていると、女の子から先に自己紹介される。


「私は【ルナ】。ここの家の住人よ」

「え、そうなの…!?」

「びっくりしたわ~。少し前まで眠ってたあなたが、急に外で飛行魔法を使い始めるんだもの」

「眠ってたって…え!?」


 なんと、私を助けてくれた女の子――ルナは、ここの家の住人で、しかも私が眠りについていたことも知っていた。もう既に、彼女には迷惑かけっぱなしだったのだ。


「とりあえず、中で話しましょ。ああ、そうだ。あなた、名前は?」


 自宅の玄関に向かおうとしていたルナは、こちらへ振り返り、尋ねてきた。


「あ、ええっと…アリ――」

「あり??」

「あ、その…あり、あ。名前は…【アリア】!」


 前世の名であるアリエを名乗ってしまうと、死んだ嫌われ者の魔王のイメージが付きかねないので、咄嗟に思いついた名を口にした。単純だが、悪くないだろう。


「アリア…いい名前ね。それにしても、あなた裸足で外出てたの?」

「あ、そういえば…」


 足元を見ると、素足が少し泥まみれになっている。靴を借りるのは悪いと思って、何とでもなれと裸足で外に出てきたのだ。


「しょうがないなぁ。お風呂で洗ってあげるから、こっちきて」

「え、お風呂!?」


 私は流されるがまま、ルナに手を引かれ、再び家の中へと戻った。




     ◇




「ほら、そこ座って」


 まさか、こんな展開になるなんて…。

 人間の可愛い女の子とお風呂場で二人っきり。服着たままだけど、未知の体験過ぎて心臓が未だにバクバク言っている。


「あ、足洗うくらいならできるから…」

「魔力が切れたら体力は多少落ちるし、あんな無茶をした後じゃ、フラフラして足を滑らせちゃうかもしれないわ。これくらいはさせて」

「うぅ…」


 たしかに、少し手足に力が入らない。魔力が0になると、人間の体ってこんな感じになるんだ。


「ほら、スカートちょっと上げて。濡れちゃうから」

「あ、うん…」


 顔を真っ赤にしながら、ゆっくりスカートをたくし上げる。多分今の私、凄いことになってるかも…。

 ルナは適温かどうかを確認してから、シャワーを私の足に当てる。


「熱くない?」

「うん、大丈夫」


 ルナの細くて柔らかい指が、足先に触れる。ちょっとくすぐったい。


「アリアって、歳いくつ?私は15よ」


 え、この子15歳なの!?全然見えない…。

 彼女の年齢に驚きつつ、私も自分の見た目から推測した歳を答える。


「ええっと、私も15…」

「ほんとに!?タメじゃん!」


 経験で言えば、軽く800以上だけど…。


「でも、ルナは同い年に見えないよ。すっごく大人っぽいし…」

「そう?私、大人が身につけるようなおしゃれなものが好きだから、そう見えるのかもしれないわね」


 今、私は人間に触られてる。普通のことだけど、私にとっては違う。

 魔王だった頃、変化魔法を使って人間に化け、一度だけ人間の女の子に近づいたことがある。話しかけようとして、3メートル近くまで歩み寄った瞬間、その子は即死した…。

 心臓が止まっていた。一定の個体レベルに満たない生物は、こちらの意思に関係なく、皆私に魂を吸いつくされてしまう。

 何もしなくてもレベルが上がり、気づいたら獲得していた魔法・能力。その中には、私が最も望まない〝精魂破壊〟があった。どう足掻いても、私は人間に触れることはできなかったのだ。

 でも、今は違う。

 私は人間。転生したから、一般人とは少し違うかもしれないけど、人であることに変わりはない。

 人に触れられる。人の温もりを感じられる。人と嫌がられることなく会話できる。


 人と、愛し合える...。


 それが出来ると分かっただけで、私はすっごく幸せだ。

 緊張が少し和らぎ、胸が温かくなるのを感じながら幸せそうに笑っている私の顔を、ルナが覗き込む。


「どうしたの?アリア。何だか、凄く嬉しそうね」

「え…?ううん。私、女の子にこうして貰うのって初めてだから、嬉しくて」

「嬉しい?これが?ふふ、大げさじゃない?」

「……」

「よし、終わったわ。大丈夫?ちゃんと、歩ける?」

「うん、ありがとう」


 足を綺麗にしてくれたルナにお礼を言って、私たちはお風呂場からダイニングへと向かった。





 一先ず、自分たちの事を話そうと、私とルナはテーブルに向かい合って座る。

 目の前には、温かくて甘いココア。ルナが入れてくれた。


「何から話そうか…。昨日の夜中の事だったかな~。急に激しい光が窓から差し込んできてね。何事かって、慌てて外に出て見たら、あなたが倒れてたのよ」

「そ、そうだったんだ…」


 なるほど、つまり私が転生してきて最初に降り立った場所は、外の草むらだったと…。


「息はあるし、気を失ってるだけみたいだったから、とりあえずベッドの上で安静にさせた方がいいと思ってね」

「あ、その…色々迷惑かけてごめん」

「いいっていいって。それより、昨日の晩に何があったの?気を失う前のこと、覚えてる?」

「うーん…覚えてない」


 これは本当だ。自分がなんで死んだのか、どうして転生したのか、そこだけは本当に分からない。

 記憶は引き継がれているはずなのに、死因が分からないなんて軽くホラーだ。まあ、寝ている間に殺されたのなら納得だけど。


「そう。記憶喪失に近い状態ね。自分が住んでたところは、分かる?」

「ええっと…」


 どうしよう。転生したなんて言っても信じて貰えないだろうし、元魔王だったとも絶対言えない。

 嘘をつくしかないだろう。そう思い、口を開こうとすると、


「あ!そう言えば...」


 ルナが不意に何かを思い出すように立ちあがり、近くにあった引き出しから何かを取り出した。

 四つ折りにされている何かの紙らしい。ルナはそれを広げて、私に見せた。


「これ、見て。倒れてるアリアの服のポケットに入ってたのよ。何かの文字が書かれてるんだけど、見たことない言語でね~。アリアなら、読めるんじゃないかしら」

「え…?」


 所々色褪せている、くしゃくしゃになった紙に、数文字程度で何かが書かれている。その文字はとてもじゃないが、今の人間が読めるようなものではなかった。

 500年くらい前に、誰かから教えてもらった覚えがある。たしか、〝鍵文字〟って言語だった気がするな。にしても、なんでこんな古代の文字が…。

 少し疑問に思いつつ、そこに書かれていることを読み上げた。


「ユートピア…」

「読めるの!?凄い!」

「あはは…ちょっとね」

「でも、ユートピアって…聞いたこともない言葉ね」


 私もない。もしかしたら、私の死に関係しているかもしれないので、ユートピアという単語は頭の片隅に置いておこう。

 というか、私のことなんて正直今はどうでもいい。それよりも、ルナの事を色々聞きたいな。

 彼女との会話にも慣れてきたところで、私は思い切って尋ねてみた。


「ねえねえ!私の事よりさ、ルナについて話してよ」

「私の事??」

「そう!普段、何してるの?」

「そうね…。いつもはのんびり畑仕事かな~。偶に、森に行って魔物を倒すこともあるわ」

「へぇ~、ルナって強いんだ!」

「強いって、精々お金になる程度の報酬を受けてるだけよ。世界ランクは圏外だし…」

「安心して、私も圏外だから!」

「ふふ…アリア、急に元気になり始めたわね」

「そうかな?ふふっ」

 

 笑った顔も可愛いな~。この子、良いお嫁さんになりそう…。

 まあ、出来るならこの子となんて考えが頭をよぎったけど、流石に容姿が不釣り合い過ぎて、諦めざるを得ないな。

 

「アリアは、これからどうする?」

「そうだなぁ。先ずは、自分の家を建てたいかな。そこでのんびりとスローライフして、女の子と~」

「女の子??」

「あ!いや、何でもないよ!」


 危ない危ない。危うく口を滑らせてしまう所だった。

 初っ端から女の子が好きなんて知られたら、引かれてしまう。同性愛は、魔族間でも偏見の声をよく耳にしていたし…。


「不思議な子だなぁ、アリアは。そうね…行く当てがないなら、暫くここに住む?狭いけど、二人分の生活なら、全然問題ないから」

「え、いいの!?って、いやいや!これ以上は、ルナに迷惑かけられないよ」

「迷惑だなんて、思ってないわ。ちょうど私も、独り暮らしは少し寂しいと思ってたところだから。どう?」


 そう言いながら、ルナは私の手を握ってくる。またしても、私の心臓が思いっきり跳ねてしまった。

 この子は、あれだ。女の子キラーだよ、うん。

 いいのかな私、そこの号外に書いてある元最恐魔王だよ?って、心の中で尋ねてもね…。 

 でも、こんな可愛い子と少しでも長く一緒にいられるなら…。


「じゃ、じゃあ…お言葉に、甘えさせてもらうよ」


 恥ずかしくてルナの顔を見れず、俯いたまま答える。彼女はそんな私を見て、更に強く手を握ってきた。


「ほんと!?嬉しいわ!これからよろしく、アリア!!」

「うん。こちらこそ、よろしく!」


 願ってもない転生に、いきなり可愛い女の子と一つ屋根の下で二人っきりの生活。あまりに望んでいたことがトントン拍子に叶うもんだから、喜びを抑えきれない。

 人間に転生して目覚めた今日この日から、私の甘々百合生活が始まった――。

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