法師の章【1】②
翌朝、念のために数種類の御札を用意し、俺は風神が住むという山に向かう。
確かに、風が強い。村でも風が強いと思っていたが、山に立ち入ったらさらに強くなった。山の木々がうるさいほど震え、千切れた葉が飛んでくるし、もろに風を受けるとよろけそうになる。やっと風が止んだと思っても、その後、反動のように突風が吹いてくる始末。
「ちょうどよく吹かせるってことが出来ないのかよ」
ぶつくさと文句を垂れながら、俺は山を登る。
山道を進むと、やがて大人の腰の高さくらいしかない、小さな祠が見えてきた。村人から嫌われているはずなのだが、予想よりもお供え物が多い。都で手に入る上等な酒もあるところを見ると、出稼ぎ組の貢物だろうか。どうやら熱心な信仰者がいるのは確からしい。
依頼してきた村人たちは、村の総意のように「やっつけてくれ」と言うが、やはり信仰者もいるのだ。退治するのは過激過ぎるな。かといって、このまま野放しにしていても、村の困窮は救えないし。
「まずは話が通じる相手かどうか、会ってみてからだな」
俺はため息混じりに呟いた。
しかし、何だか整頓されていなくて、散らかり放題だ。散らかってるのが嫌いな俺は、掃除したい気持ちがムクムクと湧き上がる。あたりを見渡しても風神の姿は見えないし、姿を現わすまで掃除でもするか。
そう決めた俺は、紐で袖を縛ると掃除を開始した。
太陽がてっぺんに届くかという頃、あたりの空気がふわっと変わる。
新緑の香りと共に、眠そうな声が降ってきた。
「ふあぁぁ、あれぇ? お坊さんがいる」
空から青年、いや少年と表現した方がいいだろうか。ふわふわと、祠の横に生える大樹の枝に着地した。
これが風神だろうか。
ふわふわとした髪の中に、小さな角が見える。無駄に美形だと村人が言っていたとおり、都で見たどの美女よりも綺麗だった。だが、身につけているのは体に巻いた布のみで、まずもってだらしないし、きちんと服を着ろと言いたくなる。
「あなたが風神ですね。もう昼になりますよ、今起きたんですか?」
眠そうな顔の風神に、俺は気を取り直して言った。
「うん。寝過ごしちゃった。でもちゃんと風は吹いてただろ? 仕事はこなしてるんだから、ちょっとくらい寝坊してもいいじゃん」
風神は子供のように唇をとがらせた。
その辺にいる悪ガキと大差ないじゃないか。まったくをもって、土地神らしき威厳も風格もない。
そんなことを考えていると、風神がふわりと俺の目の前に降りてきた。
「お坊さんは見慣れない顔だけど、村の人?」
風神が上目遣いで、コテッと首を傾げた。くりっとしたつぶらな瞳に吸い込まれそう。人懐っこくて調子が狂ってしまう。
「は、はい。最近、寺の住職として村にやって参りました。正也といいます」
己の動揺を隠し、何事もなかったように返した。
「そっか、ずっとあの寺は誰もいなかったもんね。おいら、風神の伊吹っていうんだ。気軽に伊吹って呼んでよ。よろしくな、正也」
伊吹さんはニコッと笑う。カラッとした気持ちのいい笑顔だ。
「こちらこそよろしくお願いします。えっと、伊吹……さんは、ここの土地神という認識で大丈夫でしょうか」
「そうだよー、この山一帯の土地神やってます。風神だから特技は風を吹かせること。ていうか、それ以外出来ないんだけどね」
ばつが悪そうに、伊吹さんは頭をぽりぽりとかいた。
「まぁ、そのようですね」
ていうか、風を吹かせるしか出来ないくせに、その風量すらも調整出来ないとか、ポンコツにも程があるだろ。これは、やはり退治を考えた方がいいだろうか。
とりあえず捕獲しておいて、本山に連絡して指示を仰ごう。
そう思い、袖に忍ばせた御札に手を伸ばす。
すると、伊吹さんがキョロキョロしだした。
「あ! 正也、もしかして掃除してくれたの? めっちゃ祠が綺麗になってる」
目をキラキラさせる伊吹さんに圧倒され、御札を取り出そうとする手が止まる。
「え、えぇ。俺、散らかってるの許せないたちなんで」
「嬉しい、ありがとー。おいら片付けとか苦手でさ、でも、最近あんまり村の人達も来てくれないから、余計に散らかっちゃって……。昔はいっぱい来てくれて、一緒に宴会して騒いだのに。あの頃は楽しかったなぁ」
伊吹さんは寂しそうに言った。
「昔は……村人たちと仲が良かったんですか?」
「そうだよ? あの頃はみんなと仲良くて……いや、今でも仲良いけどね。数は少ないけど、会いに来てくれるもん」
そうは言いつつも、伊吹さんの表情は曇っていた。
村人たちの証言からすると、多くの村人は伊吹さんを良く思っていない。おそらく、無視したり悪口を言ったり、居なくなれと本気で思っていたりするのだろう。
土地神にとって、信仰してくれる村人がいなくなるのは死活問題だ。信仰が無くなれば、土地神は力を失い、存在出来なくなるから。伊吹さんが今存在しているのは、数人の熱心な村人のお陰なのだろう。
ていうか、村人たちの信仰が著しく失われているのにも関わらず、ここまで風神の力が衰えないのは何故だろうか……
そこまで分析したところで、ゾッとする答えが浮かんだ。
「熱心どころじゃない。そいつらは熱狂というか、狂信してるんだ」
ポツリと俺は呟く。
伊吹さんは見た目だけはとてつもなく美形だ。しかも、中身のポンコツ具合も、人によっては『自分が支えてあげなくては』と思わせる要因になり得るだろう。
たかが数人の信仰でここまでの力を維持してるなんて、普通ならあり得ない。もしかしたら、そのせいで力の加減が上手く出来ないのだろうか。
例えば神輿を二十人で担ぐのと、四人で担ぐのでは安定感が違う。四人で担いでいたら、神輿はちゃんと地面から浮いてはいても、誰か一人がふらつけばそれで神輿は傾いてしまう。つまり、伊吹さんはグラグラと不安定な神輿に乗っているようなものだ。
これは、単純な問題ではない。
俺は考えを改めることにした。
「伊吹さん。お近づきの印に、これをお渡しします」
俺は懐から、ある1枚の御札を出した。
「なに、これ?」
伊吹さんは不思議そうに首を傾げている。
「御札ですよ」
「えっ、やだ。触ると痛いやつじゃん、それ」
大げさに、伊吹さんはのけ反った。
「これは大丈夫です。御守りのようなものですから」
「風神のおいらに対して御守りとか、なに考えてるんだよ。普通はおいらが加護を与えて、御守りを渡すもんだろうが」
「あぁ、言い方が悪かったですね。それは一定以上の力の発現を防ぐ御札です。伊吹さんって、力の使い方が下手なんですよ」
「えっ、なにそれ。どういうこと?」
「チッ、やっぱり気付いてなかったか」
本気で驚いている伊吹さんを見て、思わず舌打ちしてしまった。
「えー、舌打ちされるくらい悪いことなのかよ?」
「伊吹さんは不器用なんですよ。風神として仕事を頑張っていただいてるのは有難いのですが、もう少し風の加減をしてください」
村人たちが本気で迷惑がってます、とは流石に言わないけれど。でも、この御札を渡すことで風が落ち着けば、退治もしなくていいし。村人への面目も立つ。
「風を加減するのって難しいんだぞ! でも……分かった。頑張ってみる」
伊吹さんはビビリながらも御札に手を伸ばしてくる。そんなにビビるなんて、過去に御札で痛い目にでもあったことがあるのだろうか。
「わ、痛くない。こんな御札作れちゃうなんて、正也すごいな!」
御札を両手で持ち上げ、ふわふわと俺の周りを飛び回る伊吹さん。一瞬きらきらと後光が差しているように見えた。さすが腐っても土地神だ。
「それを肌身離さず持っててくださいね。少しは力の制御が出来るはずなんで」
「うん、分かった。ありがとな」
素直に受け取ってくれて良かった。ていうか、ちょっと素直すぎて心配にもなるけれど。
これ、俺が問答無用で退治を考えてたら、御札を受け取った時点で伊吹さんは終わってたんだぞ。チョロすぎる。
でも、俺の作ったものを身につけてもらえるというのは、何だか信頼されているようで嬉しかった。
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