第17話 「はい」

 みどりは定期入れから写真を出して見ている。

 この写真はプリントしたのをもらったから、データはもってない。わざわざスキャンしてスマホに入れる気もない。

 小学校卒業前の翠が写っている。

 翠の背後に萌美めぐみも写っている。

 背後霊かと思うくらいすぐ後ろに、顔はらして、でも目は翠のほうをうかがうようにして、写っている。

 その口もとは笑っている。

 笑顔といえばそうだが、何かたくらんでいるようにも見える。

 いつも口のまわりにくっつけていた食べかすは、この写真にはない。

 ピアノ教室で開いてもらった、小学校六年生の卒業お祝いの会での写真だ。それは、ピアノ教室をやめる大野おおの萌美のお別れパーティーでもあった。

 なのに、この写真では、翠のほうが目立っている。目立っているが、前に立っている翠が後ろの萌美に操られているようにも見える。

 集合写真を撮る前、思いがけず撮られた写真のうちの一枚だ。

 中学校のあいだ、翠はこの写真をずっと定期入れに入れていた。

 はじめは、ずっといっしょなどと言いながら勝手にどこかに行ってしまった萌美のいいかげんさとうそつきさを忘れないために、これをここに入れていた。

 定期を取り出すたびに引っかかるので、もう捨てようと思ったことも何度もある。

 でも、そのうち、これが入っていないと、なんとなくもの足りなく感じるようになった。

 山西やまにし龍造りゅうぞう石野いしの愛子あいこに振られたと知った秋の夕方、学校からの帰り道、なぜか、翠は立ち止まって、この写真をぼうっと眺めていた。

 あれも、いまと同じ季節だったな、と思う。

 どうしてあんなにセンチメンタルになったのか、しかも、センチメンタルになったときに見ていたのがどうしてこの写真なのか、翠にはいまだによくわからない。

 「あぁーっ、お待たせぇ……」

 写真のなかから声が聞こえてきたように思って、翠は急いで定期入れをしまった。

 その緊張感の失せた声で、このマネージャーが、やっぱり「翠はハーピストなんだからハープを弾かせてください」と交渉なんかしていないことが翠には確信できた。

 まあ、しかたがないと思うけれど。

 前よりも背は高くなった萌美は、大きな荷物を両手に持って、四十か五十のおばさんのようにへたへたと歩いてくる。

 こいつになんでこんな大きな荷物が必要なんだろうと思う。

 また台湾バナナか、それともことによると台湾かぼちゃでも持ってきたかな?

 それに、見ると、左手では、大きなかばんをひじに掛け、手には何か白い紙袋を持っていた。

 驚かない。

 また何か食べながら来たな、と思うだけだ。

 高校生になっても、こいつの買い食い歩き食いの癖はすこしも抜けていなかった。

 はっ、と、やっぱりおばさんのように息をつくと、萌美はソファの横に腰かけた。

 大きい鞄を置く。

 「遅い。何やってたの?」と翠がきく前に、萌美はその白い紙袋をぐいと翠の前に差し出した。

 「なに?」

 迷惑そうに眉をひそめて、翠は萌美の顔を見る。

 萌美は笑っていた。

 とろとろ女ではない、あの、前に一瞬だけ見せた美人っぽい顔に見える。

 いまはお化粧もしているのだろうけれど。

 萌美は、その笑顔で、紙袋のなかみを取り出し、翠の前に突き出した。

 「はい」

 「はあ?」

 前と同じ調子が復活した。

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