第11話 とろとろの時間(3)

 「あんたって、けっこういろんなこと考えてるんだね」

 みどりは言った。

 「ああ。こういうことはねぇ……」

 萌美めぐみは眠そうに言う。

 ここで、じっと萌美のとろとろ顔を見ていてやるか?

 それとも、それでももし先生が見に来たときにだいじょうぶなように、こいつのために寝ずの番をしてやるか?

 だれか先生が来て、偉そうなことを言ったら、先生たちがあの龍造りゅうぞうたちをきちんと叱らないからこんなことになるんだ、って言って、けんかしてやる。

 でも、それでは何も解決しないだろうな。

 そう思ったら、このとろとろ顔を見て起きているのも、なんだかばからしいと思った。

 そこで、萌美が椅子をくっつけて寝ているすぐ隣に、翠も椅子をくっつけた。

 萌美の寝ている椅子とは反対向きに、椅子の前のほうがくっつくように。

 そこに勢いをつけて座り、そのまま寝る。

 すぐ横に、萌美の顔があった。

 もう目を閉じている。

 いつもとろとろしている顔が、目を閉じると、あんがいとろとろしていない。

 肌の色は白く、睫毛まつげもきれいに揃っている。

 これでぱっちり目を開いたら、すごくはきはきした感じの美人になるんじゃないかと思う。

 こいつ、あのとろとろ声で損してるな、と思う。

 いや。そうでもないか。

 いつもいつも何か食べているだらしないところが、こいつを実際以上にとろく見せている。

 いまも口のまわりには食べかすがついている。いまのチョコバナナではなく、その前に食べていた何かの菓子パンだろう。

 でも、こうやって目を閉じていたら、その食べかすまで一つひとつが輝いているように見えた。

 「翠さあ」

 眠っていたかと思った萌美が言った。

 たぶん、萌美が自分を名まえで呼んだのはこのときが最初だと、翠は思う。

 「うん?」

 「なんでいつもそんなにツンツンしてんの?」ときかれるのかと思った。

 「わたしさ、ピアノ、やっぱりやめようと思ってるんだぁ」

 どうして、そういう話になる?

 「なんで?」

 まあ。

 翠も、やめたら、と言いたかったところなんだけど。

 「あんまり自分で弾いて楽しいと思えなくてさあ」

 「うん……」

 そうだったのか。

 それで、あんなに不熱心だったんだ、こいつは。

 でも、考えてみたら、自分だって、ピアノを弾くのがそんなに楽しいと思っているだろうか?

 自分は、楽しくても楽しくなくても、つづけている。これからもつづける。

 そう思う。

 だから言ってやった。

 「楽しいと思えなかったら、やめちゃうんだ?」

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