第9話 とろとろの時間(1)

 萌美めぐみの言ったとおりだった。

 お菓子作りは楽しかった。

 楽しいなんて思ってやるものか、と思っていても、やっぱり楽しかった。

 湯煎ゆせんしてチョコレートを溶かす。

 少しだけバニラエッセンスを入れる。

 お菓子にバニラの香りをつけるのに使う「バニラエッセンス」というものがあるのは、みどりはこのとき初めて知った。

 ただし「バニラ」というのが何なのかは、知らなかった。いまも知らない。

 バナナは、皮はむいて、実に割り箸の片方を突き刺しておく。そのチョコレートにバナナを浸して、すばやくその全体にチョコレートがかかるようにする。それが十分に冷えてかたまらないうちに、ピンクや黄緑やオレンジ色や水色や白の細かいチョコをかける。片側にかたまらないように回しながらかける。あとは、冷やして、穴の開いた台に置く。

 最初は、うまく全体にかからなくて、チョコがかかってないところができたり、逆につけすぎてだらっと垂れたりしていた。柄の割り箸までチョコに分厚くコートされてしまったこともあった。熱いチョコに浸す時間が長すぎて、バナナがどろっと煮えたようになってしまったこともあった。

 それが、いくつか作っているうちに、うまくできるようになる。

 家が洋菓子屋さんだという萌美はたしかに最初からうまかった。

 こんなとろとろ女より下手だなんて恥ずかしい。いちいちそのとろとろ女にやり方を教えてもらうのはもっといやだ。

 こいつは、ピアノは自分より下手で、まちがったところを先生に教えてもらっても、ふにゃふにゃと同じまちがいを繰り返す。

 それが、お菓子作りは、どうして、と思う。

 しかし、そんな思いはすぐに消えた。自分でもうまくチョコバナナができるようになって、うれしくて、興奮していたのだろうと思う。

 四十何本か、もしかすると五十本以上のバナナにチョコレートをかけ終わり、そのあとで失敗作を試食した。

 おいしいと思った。バナナにチョコレートをかけただけでこんなになるのか、と思った。

 でも、そのときは、さっき龍造りゅうぞうたち「活発な男の子」とやり合って、おなかがすいたからおいしく感じるんだと思おうともしていた。

 それでも、自分のを食べ終わって、翠は萌美に言った。

 「ねえ。白いチョコレートってあるよね?」

 「うん。あるけど」

 このときも萌美はとろとろと返事したに違いない。でも、翠は気にしていなかった。

 「白いチョコレートもバナナにかけたらいいじゃない?」

 「ああ、ホワイトチョコレートね」

 萌美は、翠が作った失敗作の二本めをかじりながら、思わせぶりに言った。

 「あれさ。黒チョコとはまた味が違うから、あんまりピリッとした味にならないんだよねぇ。あんまり納得できなくて」

 ああ、そうですか。

 じゃあ、いつものピアノには納得できているのか?

 「やったことあるんだ」

 「うん」

 こいつ、ピアノよりお菓子作りのほうが好きなんだな、と思う。

 翠はつづけた。

 「じゃあ、いちごのチョコでチョコバナナとかは?」

 「それは合うかもね」

 萌美が答える。

 「こんど、試してみよう」

 「まだ試してないんだ?」

 「うん」

 そのそっけない返事に、翠はしばらく黙ってから、次をきく。

 「じゃあ、抹茶のチョコレートとかは?」

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