第24話 samba

 話しながらニナは直哉の肩に右手をかけ、少しずつ体を寄せてきていたのだが、今や頭を胸のあたりに押し付けるくらいになっていた。そして彼女の体から力が抜けていき、直哉の体にピタリと密着する。


「え? お、おい」


 思わずニナを支えるように手を添える。

 まるで陶器のつぼを持つような慎重さで彼女を支えた。高貴ささえ感じさせる彼女の立ち居振る舞いが、直哉に紳士的な振る舞いを強制しているかのようだった。


「に、ニナ? あのさ、お、俺たちどこかで会ってないかな?」

 少女に密着される気まずさも手伝って、直哉は思ったことをそのまま口にした。ニナの返事はなかったが、直哉はたしかに彼女に見覚えがあった。


 もしかすると? いや間違いない。

 白昼夢で何度か見たあの白い服の少女、それが彼女なのではないか。


 ニナの顔をハラハラと流れ落ちる髪と、彼女の透き通った顔を眺めていると、背後で女の子が叫ぶ声がした。


「こーのーケダモノー!」

 突然、一人の女の子が小屋に飛び込んできた。

 彼女は直哉とニナの間に両手を突っ込み、そのままグイグイと体を二人の間に滑り込ませる。

 驚いて目を覚ましたニナが倒れ気味に数歩下がると、女の子はホウキを構えて直哉に向き直った。


 一言で表現するなら、絵本に登場するような牧歌的な女の子だった。

 牛や山羊の世話をしたり、井戸から水を汲んだりして帰宅した少女が、母親の作ってくれたスープの香りに目を輝かせながら、スカートの裾を両手でつまみ上げ、くるくると踊っている、なんて場面が浮かんだ。

 しかし実際は、直哉の鼻先にホウキの先を向け、包み隠さぬ敵意を全身にまとって立っていた。


「ちょ、ちょっと待った。怪しいものじゃないんだ」

「あやしい? 何言ってるんですか。ニナ様に触れてましたよね? 重罪犯です。絞首刑確定です」


 どうやらとんでもない勘違いをされているようだ。俺は別に彼女に変なことをしようとしたわけじゃ……ん?


 ニナ? 絞首刑?

 この二つの言葉だけで、直哉の頭にいくつもの疑問が湧き上がった。

 もしや本当にニナはお姫様か何かで、触れただけで首をちょんぎられるような重罪になるとでもいうのだろうか。そんなバカな。


 助けを求めてニナの方を盗み見るが、彼女は先ほどと違ってしっかりと立っているものの、突如として登場した女の子に見えないよう後ろ手に何かをしている。よく見ると、先ほど黒マントの人物と格闘した際に分裂させて刃として使っていた武器を弓の形に戻していた。


「もしかして、君がサンバ?」

「そうですけど」彼女は名前を呼ばれて戸惑っていたが、渋々ながら肯定した。「あなた、一体誰です?」


「俺の名前は直哉」

「ナオ……、いいえ、名前なんてどうでもいいです」

「今誰かって聞いたから名乗ったんだけど――」

「ニナ様に手を出そうとする不届きものは、この私が粛清しゅくせいいたします」

「しゅ、しゅくせいってなんだ?」

去勢きょせいの方がお好みならそうします」

 ホウキの先端が直哉の下腹部に向けられる。

「どっちも身の危険を感じる! 待ってくれ。誤解だ。話せばわかる」

 サンバに両手を向けて制止しながら、直哉は助けを求めてニナの方を見た。


「えーい!」

 奥の扉が勢いよく開き、入葉いりはが飛び出してきた。

 目を強く閉じ、両手で鉄鍋を握りながら飛び込んできた入葉を、ニナが優しく受け止める。抱きとめられた入葉は最初身を硬くしていたが、ニナのなだめるような抱擁にやがて安心したのか、鉄鍋を握っていた手をだらりとおろす。ニナの弓は元の形に戻っていた。

「もう大丈夫」

 ニナは入葉を落ち着かせようと頭を撫でながら言った。


「いったい、どういうことです?」

 サンバはもう一人の女性の乱入者に驚いて尋ねた。入葉に対しては敵意を向けないらしく、ホウキは床におろしていた。


 入葉は明らかに動揺していて、サンバがいることに気づいていなかった。外で何が起こっているかわからないまま、一人ぼっちで隠れていた不安や恐怖。そこに聞こえたサンバの叫び声。耐えきれずにその場にあった調理用具を握って出てきてしまったのだろう。その感情をそのまま口にした。


「襲われて。怖かった!」

 直哉はサンバの目が再び自分に向けられるのを感じた。

 ホウキが天敵に遭遇した蛇のようにうごめき、直哉を的確に捉える。


「だから違うんだ!」

「サンバ!」

 ニナの鋭い声。途端にサンバの動きが止まった。もっとも、サンバのホウキは真剣白刃取りに失敗した直哉の頭にすでに命中していたのだが。

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