第23話 moonlight

 しかし直哉がニナの後を追って外に出た時、戦いはすでに終わっていた。

 黒いマントの女はとっくに姿を消していて、ニナが両手に持っていた刃物をおろして立ち尽くしていた。


 それがどんなに直哉をホッとさせたか、直哉自身驚くほどだった。全身の血液に鉛を注入されたような緊張とも疲労とも違う違和感。それが消えていくことで、初めてその存在を認識したのだった。


 空を見上げると、月が厚い雲に隠れ、地上に闇を落としている。

 ニナが息を吐く音とともに、雲が移動しているみたいだった。



「逃げられた」

 ニナは直哉の気配に気づくと、振り向くことなくつぶやいた。

「そう、みたいだな。あっ、おい、大丈夫か?」

 気がつくとニナは座り込んで肩で息をしていた。

「背中の切られたとこ……、いや、ちょっと、血が出たみたいだけど」


 今は出血が止まっているようだが、戦いの最中にかなりの血を流した跡がある。ニナを不安にさせるような言い回しは避けたものの、消毒して、出血が続くようなら縫う必要があるのかもしれない。

 直哉の動揺を振り払うように、ニナはスッと立ち上がる。直哉は傷に当たらないように、慌てて手をどけた。


「家に戻ろう。君の連れが心配している」

 ニナは気品のある凛々しい声で言った。


 再び月が姿を見せ、ニナの表情が直哉の視界に入る。

 それは不自然なほど美しく、美術館の彫像のように硬質な輝きを放っていた。進む方向を真っ直ぐに見つめ、何者にも邪魔されない意思の強さを感じる。

 同時に、どこか憂いを帯びたその瞳は、孤独を内包し、人を寄せ付けない冷気をも帯びていた。その近付き難い気配に、直哉はひるんだ。


 ニナは直哉の変化に気づいたのか、ふと視線を直哉に向けた。すると先ほどまでとは打って変わって、両手を広げてハグを待つような、こちらの警戒心を吹き飛ばしてしまうような温かい表情を浮かべた。そして直哉の右手と左手をそれぞれ握り、手を合わせて両手で包み込んだ。直哉は心を鷲掴みにされ、一瞬でニナに魅了された。


 彼女はきっとどこかの国の王女様で、自分は彼女のためなら命も捨てるとちかった戦士。

 そんな妄想に取り憑かれ、そのままこの気持ちにずっと浸っていたいと思ってしまった。


 しかしそれはほんの一瞬で、ニナは直哉から目を離すと、スッと小屋の中へと姿を消した。

 直哉はその後ろ姿を目で追って、おでこのあたりに手を当てる。

「落ち着け、俺」

 あえて声に出して、自分の心と体がここにあることを確認する。

 夢みたいな出来事が起こり、夢のような美少女に、夢心地にさせられてしまった。


「夢、か。そりゃ夢だよな」

 そうだ。

 こんなマンガみたいなこと、あり得ないじゃないか。

 そのうち自分の部屋で目覚めて、バカな夢を見たと笑うのだろう。


 小屋に入るとニナは直哉の方に振り向いた。

「まもなくサンバが戻る。そうしたら寝る場所を作らせるから、今夜はここに泊まるといい」

「泊まる……か。はは。目が覚めたら家に戻ってるかもしれないな。でも、いいのか?」

「夜の森は迷いやすい。それに、物騒な奴がうろついているかもしれないからな」

 直哉は逃げてしまった刺客のことを思った。

「ああ、そうだな。っておい、大丈夫か?」


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