第25話 puella 1

「なんですか、これ。スプーンですね。お塩です、これも。こんなのよく入りましたね。……え、こんなのこの家にありました!? はあ、よくもまあ。はい、話はわかりました。でもニナ様、客人がいるなら先に言っておいて欲しかったです」


 サンバは、入葉いりはが強く握りしめていた鉄鍋をやっとのことで受け取った後、なぜか入葉がしていたエプロンのポケットから、調味料入れやスプーンなどが出て来るたびに首を傾げながらつぶやいた。


 ニナは突然現れた直哉なおやたち二人を、もろもろ省略して客人だとサンバに紹介した。


 直哉にはニナに危ないところを助けてもらったという恩がある。この上客人として待遇してもらうなど、直哉は望んではいない。


 直哉は何度かニナとサンバの話に割り込もうとしたのだが、そのたびに『お静かに』というサンバの無言の圧力にはばまれ、開きかけた口をしょんぼりと閉じるのだった。


「すまない。サンバはいつも私に優しくしてくれるから、つい甘えてしまうんだ」

 客人の紹介を終えたニナがサンバに礼を言った。

「そそ、そんな! 私はニナ様にお仕えしている身ですから、当然のことです。当然のこと……です、が。たとえ主従の関係なんかなくたって、ずっとお役に立ちたいと思っていますから!」

「ありがとう。サンバが側にいてくれて、私も嬉しい」


 あくまで涼やかな顔で淡々と語るニナに対し、サンバの方はうっとりと恍惚の表情を浮かべている。サンバの横にいた入葉は、まるで少女漫画のようなやりとりに目を奪われていた。


「それで、この散らかりようは、一体どういうことです?」

 床に散乱したイモ、いも、いも

「いや、これはその。俺がやった」

 犯人の直哉が小さな声で名乗り出た。

「はあ、どうしてそんなことをしたんです?」


 直哉はニナが人差し指を唇に当てて合図を送っていることに気づいた。黙っていろ、ということだろうか。

 直哉がニナに問いかけるような目を向けると、その視線を移動してきたサンバのふくれっ面がさえぎった。


「あ、ああ、えっと、これはだな……」

 ふいに、入葉が最初に作ってくれた夕食のことを思い出した。あれは本当にうまかった。

「腹が減って」


「はあ」サンバはため息をついた。

「ニナ様。お客様は生の芋をあさるほどお腹を空かせていらっしゃるそうです。ですから、客人がいらっしゃるなら先に言っておいて欲しかったです」


 サンバがニナに話しかけた直後、ニナが立ったまま気を失いかけていることに気づいた。

 ニナの体から力が抜け、床へと倒れていく。

 彼女の体と床との衝突を避けるため、それに気づいたサンバと直哉が同時に飛び出した。


 芋の散乱した床に、今度は人の山が出来ていた。

 一番上にニナ、その下にサンバ、そして一番下が直哉である。

 ニナが気絶したことに気付いていなかった入葉は「だ、大丈夫ですか!?」と口では心配しつつも『今の何の遊び?』と聞きたげな気持ちが、興奮気味の息遣いに現れていた。


「どうしてあなたまで飛び出してくるんですか!」

「お前こそ、お、俺の上に乗ってるじゃないか」

「あっ! ニナさんの背中に傷があります」

 二人が言い争っている間に、入葉が気づいて言った。

「キズ? ニナ様にですか!?」

 サンバは驚いて勢いよく起き上がろうとしたが、ニナが上にいるので起き上がれない。その反動で一番下にいた直哉が苦しげな呻き声をあげる。

 入葉がニナを抱えるようにして体をずらすと、ようやくサンバが這い出ることができた。


「これって……。ニナ様に一体何があったっていうんです?」

 ニナの背中の傷を見たサンバは叫んだ。

 ニナはサンバに心配をかけないよう黙っていたようだが、これ以上誤魔化しようもないだろう。直哉はサンバに説明した。

「お、襲われた。黒いマントで姿を隠した奴に」

 ゆっくりと起き上がりながら直哉が言った。顔には砂や土埃がついている。

「襲われた? 何人いたんですか」

「いや、一人だったけど」

「一人!?」サンバは信じられないという面持ちで直哉を見た。

「あ、ああ」


 直哉の返事を待たず、サンバは傷をよく見ようとニナの服を破き始めた。

「失礼します、ニナ様……」

 傷口が見えるように上下に大きく広げる。すると肩から腰のあたりにかけて背中が見えるようになるとともに、床に押し付けられて広がった胸の膨らみまで露わになった。


 切り口は十センチくらいあるだろうか。直哉が思ったほど大きくはなかったが、血が四方に流れた跡があった。戦っているとき激しく動いたからだろう。


 サンバは両手を一旦広げてから傷口を包み込むように当てる。すると不思議なことが起こった。

「え?」

「な!」

 入葉と直哉が同時に短く声をあげた。

 サンバが当てた手の中で、何かが光り始めたのだ。マッチ一本ぐらいの淡く頼りない光が、何もないところから発していた。

 直哉は、ニナの傷口が端の方から閉じていくのを見た。血液が糸になって傷を縫合していくみたいに、微細な生き物が集団でニナの背中の皮膚を元通りに修復しているみたいだった。


「す、すごいです! サンバさん、これって魔法、なんですか?」

 驚きで言葉を失っていた直哉のかわりに、入葉が驚きの声をあげる。

「ふふ。魔法だなんて。そんなおとぎ話みたいなことあるわけないじゃないですか」

「え? でも」

「これはいやしの力……。あれ? お二人はどちらからいらしたんですか?」

「直哉さんの家から!」

 輝くばかりの笑顔で答える入葉。これにはサンバも、横で聞いていた直哉もあんぐりと口を開けてしまった。


 子供向けのアニメに入葉が夢中になっている姿を直哉は見たことがある。古いアニメだったので、子供のころに見たものをたまたま見つけて喜んでいるだけだと思っていた。しかしこういう邪気のなさを見ると、単に子供のような無邪気さを持ち続けている、ということなのかもしれない。


「いや、入葉。どこからってのはたぶん――」

「サンバさん達はずっとここで暮らしているんですか?」

「まさか。私とニナ様は生まれも育ちもバルゼの街です。この小屋はニナ様の隠れ家のようなもの。ニナ様は公務で大変な役目を負われていますから、たまにはこうした息抜きも必要なのです」


 女の子二人が話をしている間、直哉はニナの傷口をじっと観察していた。

 サンバの言う癒しの力。その魔法のような力が彼女の傷口を閉じたしくみを知りたいという興味もあったが、それよりも、あの黒マントの不気味さや、持っていた武器の異様さが気になっていた。


「なあ、サンバ」

「何でしょう?」

「さっきの魔法、もう一回できるか?」

「だから魔法じゃありませんって……、何でそんなこと聞くんです?」

「傷口が開いてきてる」

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