第21話 close encounters 1

 直哉はニナのすぐ後ろについて、彼女が家と呼んだ暗い小屋の中に戻った。


 住宅街の自宅から深い森の中に突然移動し、見知らぬ少女の後について入葉を抱えて歩いている自分の姿が、どこか夢の中の出来事のようで現実味がない。それでもこうして人のぬくもりに触れたり、人の好意に甘えたりすることを心地よいと感じている自分に驚いていた。


 そこに油断があったのは確かだったし、以前にも経験した時空の歪みが、何らかの危険の前兆だということを直哉は完全に忘れていた。


 入葉の体を斜めにしながら小屋に入り、中の暗さに視界が遮られた瞬間だった。

 バーンと大きな音がして窓から何かが飛び込んできた。


 両開きの扉が勢いよく開かれて、黒い影が床に舞い降りたのが外からの月明かりで見えた。しかし扉は跳ね返るように閉じてしまい、黒い影は闇に沈んで見えなくなった。


 直哉が反射的に後ずさったところに黒い影が飛びかかる。

 その姿が入り口からの月明かりに照らされて浮かび上がる。黒いマントに身を包み、両腕で何か棒状のものを振り上げている。その先端の金属らしき部分が鈍く光る。それは大きな鎌で、その姿はまるで命を刈り取る死神だった。


 直哉が仏壇で見た三枚目の写真が目に浮かぶ。それはショッピングセンターで撮影した一枚。灯に抱きつかれて困ったような笑顔を浮かべる入葉の写真だった。


 次の瞬間、ニナの手が直哉を突き飛ばす。

 同時に、もう片方の手で黒い影の振るった鎌を持っていた弓で受け止めた。


 入葉を抱いたまま突き飛ばされた直哉は後ずさる。

 しかし思ったように足が動かず、そのまま壁に強く背中を打ちつけて倒れた。

 衝撃で薄れた視界の先で、子供のように身を縮めていた入葉が起き上がり、直哉を心配して慌てているのが見えた。腫れ物に触るように直哉の体のあちこちに触れているが、彼女も倒れたときにケガをしたのだろう。手の甲から真新しい血を流している。


 入葉の向こう側ではニナが黒い影と対峙していた。相手は黒っぽいマントを着ていて姿を隠していて、口元と手だけがわずかに見える。

 大きな鎌のような武器の持ち手の部分を、ニナの弓の中央付近の金属が受け止めて、つば競り合いのようになっていた。

 そして内側に向いた鎌の刃は、ニナの服の背中を十数センチに渡って切り裂き、そこから肌の上を流れる血が見えた。


「ダメ、だ……」


 直哉は湧き上がる怒りの感情に突き動かされるように起き上がると、戸惑っている入葉を小屋の隅へと誘導した。

 そして周囲を見渡し、近くにあった作業テーブルを入葉の側に押しやる。

 口の開いた穀物袋を持ち上げようとしたが、重くて持ち上がらなかった。


 ここまでやっておいて、自分が何をしようとしているかわからず一瞬動きを止めた。もう一度周囲を見渡す。入葉は小屋の隅でテーブルの影に身を隠し、おびえた表情で直哉をじっと見ている。


 穀物袋の中を手で探ると、丸いものがたくさん詰まっていた。中身の大部分を入葉の周りにぶちまけると、直哉は袋の入り口を手でつかんで持ち上げた。


 ニナと黒い影とのつば競り合いは、ニナが鎌の内側から逃れようと、持ち手をジリジリと持ち上げているところだった。

 直哉は穀物袋を振り回して、鎌の刃を狙って思い切り打ち付ける。


「うおー!」


 穀物袋の重さが大鎌の刃にまともにヒットして跳ね上げた。黒い影は武器を放すことこそしなかったが、バランスを崩して二、三歩後退りした。

 ニナはその機を逃さず斜め後ろに飛びのいて距離をとる。

 低い姿勢で矢を射ると、黒いマントの肩に突き刺さった。


「やった!」


 直哉はそれで勝負が決まったと思って叫んだ。

 しかし、黒い影の方は矢が刺さったことなど意に解さないように、大鎌を持ち上げて構え直した。


 あのつばぜり合いの中でも、ほとんど表情を変えなかったニナが、それを見て少しばかり驚いた顔をした。

 肩の筋肉に刺さった矢をものともせず、あの得物えものを持ち上げる者の正体とは何なのか。


「離れて」


 妙に落ち着いた声。ニナの顔からまた感情が消える。ゆっくりと立ち上がると、弓を剣のように構える。


 黒いマントの刺客が床を蹴った。

 ニナとの間合いを一瞬で詰め、大きく鎌を振りかぶる。

 振り下ろした鎌の刃をニナの弓が受け流す。

 それで攻撃は避けられたように見えたが、刺客はそのまま体を一回転させて鎌を振り回し、もう一度ニナに振り下ろした。

 今度はニナの弓は鎌の内側に捉えられてしまう。刺客は鎌を引いて弓を引っ掛けたままニナの手から奪おうとした。


 ニナは素早く弓の中心部の装飾部を操作する。すると弓は真っ二つに分かれ、両側から小刀のような刃が出現した。相手が後方に向けてバランスを崩すと同時に姿勢を落として低空を飛び、刺客の足に切りつけた。


 一瞬先に刺客は後ろに飛んだので、ニナの攻撃は相手の足をかすめただけだった。ニナは攻撃の手を緩めず、地を這うように一歩一歩進みながら相手に切りつけたが、その度に刺客は宙を舞い攻撃をかわした。

 だが、刺客を壁に追い詰めると、それを待っていたかのようにニナは相手の胸元めがけて立ち上がり、刃を首に突き刺そうとした。しかしその攻撃も、相手の鎌の柄に遮られた。


 次の瞬間、ニナの顔が苦痛に歪んだ。相手の拳がまともにニナの下腹部に入っていた。そのまま足から崩れるニナは相手に蹴飛ばされて後ろに転がった。


 そのままニナが動かないことを確認すると、刺客は直哉の方に向き直り大鎌を引きずりながら近づいてくる。


 直哉は倒れたニナと刺客を交互に見やりながら考えた。

 直哉と刺客との距離は半分まで縮まっている。

 そろそろあの大鎌を振り上げる頃だろう。

 その瞬間を狙って体当たりしたら、奴を倒せるだろうか?


 武器の間合いに入っても、相手は大鎌を引きずったままだった。

 予想外の行動に戸惑う。

 飛びかかろうとした直哉より一瞬先、刺客が前に出て、直哉は頭部をつかまれものすごい力で壁に押さえつけられてしまった。


 黒いマントの中の顔が直哉にヌッと近づく。

 頭を打った衝撃で視界がぼやけていた。

 意識が朦朧もうろうとする。

 あと一瞬で、奴の武器が自分をつらぬくかもしれないというのに、自分は何をしているのだろう。

 そんな直哉の顔を、刺客が舐め回すように眺めた。その目が直哉に半分ほど見えたとき、黒いマントの刺客が言うのが聞こえた。


「お前じゃない」

 低くしわがれた声。

(女!?)

 女は直哉に興味を無くしたのか、顔を離して首をゆらゆらと傾けた。

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