第20話 tension & exhaustion
少女が扉の外に狙いを定め、ゆっくりと弓を引いているところだった。
彼女の呼吸は整っていて、弓が引かれれば引かれるほど静かになっていく。片膝立ちで弓を引く姿は美しかった。
だが、その狙いの先にあるものがわからない。
振り返って入葉の目を見つめる。無言の問いかけに入葉も首をすくめて見せた。状況がわからないのは彼女も同じようだ。
空気の流れが変わったことに気づいて前を向くと、少女は立ち上がっていて、引き絞られた弓も緩んでいる。じっと見つめていると、少女は息を吐いて言った。
「気配が消えた」そして下を向いて「わからない。確かに感じていたのに」
先ほどまでの勇ましい姿と断固とした声の調子は消えている。気落ちして、わずかに申し訳なさそうな色が混じった声は、彼女が嘘など言わない誠実な人間であることを感じさせた。
「えっと、気配って、何の?」
直哉が恐る恐る問いかけると、少女は難しい顔をして考え込んでしまった。場を和ませるつもりで言ったつもりが、少女を追い詰めてしまったのだろうか。
「いや、そんなつもりじゃ……、えっと」
口ごもった直哉の後を入葉が続けた。
「あの、私たち、ここがどこかわからなくて……。あの、ここがどこなのか教えてくれませんか?」
少女は顔を上げて入葉と直哉の顔を交互に見ると、少し驚いたように口を開いた。それが見知らぬ人物を初めて見たときの反応なのか、質問の内容が意外だったせいなのかはわからない。
「ここは、私の家」
抑揚のない声。思いのほかぶっきらぼうな返事だった。
「あなたの、家?」
「ああ。私たちの、住んでる家」
直哉は、少女が家と呼んだ小屋の中を見渡しながら立ち上がった。
ざらざらとした砂と土の感触が手に触れる床板、壁際には穀物袋が三つ並べて置いてあり、農耕具のようなものやロープが壁にかかっていた。
そんな見た目から物置小屋だと思っていたのだが、よく見ると奥に続く扉があり、そこが住居になっているのかもしれない。
「ごめんなさい。お邪魔してしまって」
入葉は直哉の袖を引っ張って出ていこうとした。無遠慮に他人の家を観察する直哉を見かねたのかもしれない。
「どこへ行く?」二人のあとを少女の言葉が追いかけてきた。
「えっと、家に帰ろうと、思っ、て……」
小屋の外にある景色が目に入り、二人は立ち尽くした。小屋の周りは開けていて月明かりが差し込むものの、その先は一面の森だ。右を見ても、左を見ても、街の灯などどこにも見当たらない。
入葉は直哉の腕を不安そうにつかんだ。
「ここ、どこでしょう」
足元から崩れて倒れそうになった入葉の背中を直哉が支える。
「お、おい」
「部屋で休ませてやるといい」
後ろからそう話しかけた少女の声は、先ほどまでのぶっきらぼうな印象と違い、高貴ささえ感じる落ち着いた雰囲気だった。
直哉は彼女の言葉を自分でも驚くほど素直に受け止め、「そうさせてもらおうか?」と入葉に話しかけた。
普段の直哉なら他人の行為を素直に受け取ったりはしないのだが、月明かりしか頼るもののない森の中にあてもなく歩き出せるほどの
それでも直哉一人なら、後先考えずに森の中を歩き出していたかもしれない。しかし不安で倒れそうな入葉を道連れにするほど
直哉が入葉の脇と膝の下を腕でぐっと引き寄せると、入葉が直哉の首に両手を回してつかまった。その瞬間、自分が何をしようとしているのかに気づいて顔が燃えるように熱くなった。
お姫様抱っこ?
完全に無意識だった。
あまりにも自然にこの体勢になったけど、そもそも自分は入葉を抱えて立ち上がることができるのだろうか?
ご、ごめん。やっぱ無理ー!
肩貸すから、歩いて行こうぜ。
そう言って誤魔化したかったが、首に回された入葉の腕に力が込められるほど、そんな言い訳じみた言葉が出てこない。
「う、っう……」
気が付くと、入葉はうつむいて涙を流していた。しかも泣いているのを悟られまいと、しっかりと口を結んで耐えている。
そんな涙を目にしてしまっては、もう後には引けなかった。
えいやっと立ち上がる。入葉の協力で相手をしっかりとホールドできたせいか意外に苦労なく立ち上がることができた。
「なんだよ、ちゃんと飯食ってるのか?」
意外なほどの軽さに対する不安が直哉に軽口をたたかせる。
入葉はぐっと腕に力を込めて返事をした。
直哉はため息を漏らすと、弓を持った少女に言った。
「えっと、俺の名前は直哉、彼女は入葉」
「ニナ」
「ニナ? それが名前?」
彼女は短くうなずいた。言葉は通じるが日本人には見えない顔つき、月明かりに照らされた白い肌。
顔が小さくて長身の美女に見えていたが、今こうして横に並ぶと意外と小柄で華奢な少女だった。
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