第8話 in the forest

 ママー。ウサギさん動かなーい――

 パステルカラーの葉に彩られた森の中に、小さな女の子の声が響いた。


 この静かな森に住む人間は、二人の少女だけだ。

 そしてここに、小さな命の最後をみとろうとする一人の少女がいた。


 白い毛並みにそって流れた血が、黒く染まり始めている。

 飛膜ひまくを持ち、ほんの少し前まで木々の間を自由に飛び回っていたが、足をそろえてひざをついた少女の手の上でぐったりとしていた。

 白いワンピースからのぞく上品なひざ小僧を、草に乗っていた水滴が濡らしている。


 その命の残り火が、かすかに葉を揺らす程度の風に吹き消される。

 かくりと首を横に曲げると同時に、黒く固まった血の上に鮮やかな赤い血が一筋流れた。

「あ……」

 少女はわずかに口を開け、聞き取れれないほどのため息をもらす。

 するとウササギの体に宿っていた命のが、火の粉のように舞って飛んでいく。

 少女は飛び立つひなを守るように片手を上げて見送っていたが、光が見えなくなると手を下ろして周囲を見渡した。


 目を細めて注意深く、大型の動物によって踏み荒らされた草の上や、土の上に飛び散った血の状態を眺める。黒く固まった血痕もあれば、まだ宿主が命の灯を失ったことに気づかぬように、草の先端から薄赤色のしずくを地面に落としているものもあった。

 まわりの木にはウササギの体を打ち付けたような跡が、いくつも見えた。

「痛かったね……」

 その惨状さんじょうを見て少女はつぶやいた。

 縄張り争いではないし、捕食者による狩りの結果でもなさそうだ。


 彼女は仰向けに倒れたウササギの腹の傷に触れ、残された体温を感じた。バスケットから花を一輪取り出し、力尽きたウササギの上に置いた。


 森の木々の間を風が吹き抜ける。

 木漏れ日が少女の目に差し掛かると、眩しそうに目を細めて立ち上がった。

 風が彼女の髪や服をなびかせ、ミラーボールのようにうごめく木漏れ日が彼女に降り注いでいた。


 まるで天に昇っていく命を祝福するかのような光。だが少女は、小さな命を迎え入れてくれと神に祈ったりはしなかった。無垢で繊細な女の子のように、涙で頬を濡らすこともない。


 どこまでも深い彼女の感情は、表情からうかがい知ることはできなかった。

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