第9話 roller coaster

 ペットショップを出てわずか三十分後、直哉はゆっくりと頂上に登っていくジェットコースターに乗っていた。


 このショッピングモールの周辺は、以前大規模な催しが開催されたときに整備された区画にあり、その広大な土地と残された施設を有効活用するため、小さなテーマパークが設置されている。

 クリーンエネルギーがテーマらしく、このジェットコースターも太陽電池だか燃料電池だか知らないがクリーンな電力で動いているのだそうだ。


 直哉はそうした仕組みがいかにも立派なことのように書いてあるパネルを見てため息をもらした。

 ジェットコースターがなによりも苦手な直哉にとって、こうした仕組みの一切が無駄なエネルギーの浪費としか思えなかった。


 やっぱり灯たちと出かけるんじゃなかった。

 犬の次はジェットコースターって、今日はどれだけついてないんだ。


「それで、あんたそのまま帰ってきちゃったの?」


 ジェットコースターがチェーンリフトによって上昇を始めると、地上にいる入葉に手を振っていた灯が突然話しかけた。

 入葉がジェットコースターに乗るのを遠慮したとき、これ幸いと直哉が地上で待っていようと提案すると、女の子を一人で乗せる気か、などと理屈をつけて灯は直哉を強引に隣に乗せたのだった。


「それじゃ、何のためにあんたを連れてきたか分かんないじゃない!」


 ジェットコースターを怖がっていることを悟られまいと、必死に腕を組んで我慢していた直哉は少し遅れて反論した。


「その話、さっき終わったんじゃないのかよ」

「直哉がわかるまで何度でもいうわよ」

 灯が同じ話を何度も繰り返すのは珍しいが、直哉には心当たりがあった。

「ペットショップでいい顔できなかったからって、八つ当たりするなよな」

「なっ!?」

 やはり図星だ。直哉は気合を入れなおすように安全バーを何度も握りなおす。

「あ、あんたこそ! くやしかったら洋服の二、三着くらい、プレゼントしてみなさいよ」

 灯はジェットコースターの頂上しか見ていなかったが、直哉と全く同じ動作を繰り返した。

「しかたないだろ。俺は貧乏学生なんだ。いつでも服が買えるほど財布は分厚くないんだよ」

「買い物に来たんだからそれくらい用意しときなさいよ。あんたバイトだってしてるでしょ?」

 頂上が近づくにつれ二人は足を踏ん張る。おたがいの陣地を取り合い、足を踏みつけ合った。

「くそ、あ、ああ!! でもお前みたいにバイトで稼いだ金、全部服につぎ込めるほど余裕、ないからな!」

「い、痛! 何言ってんの!? 女の子がおしゃれしたいって気持ちがわかんないの? そうやって一生懸命働いて買いそろえた服で私は輝きたいのよ。できなかったことの代わり、に……」

 コースターの高度が上がり、興奮した客が騒ぎ出す。おたがいの声が聞き取りにくくなる。

「できなかった、なんだって?」

「えっと、それ、は」

 いいよどむ灯の代わりに、直哉は推理しようと試みる。

「灯ができなかったことって――」

「そ、それより入葉ちゃんのことよ!」

 灯は直哉の体を固定している安全バーをつかんでガタガタと揺すった。

「お、よせ、バカ危ないだろ」

 直哉は安全バーの安全をおびやかす灯の手を跳ねのけようと必死に手を振り回した。

 ジェットコースターはまもなく最高高度に達しようとしている。あと数秒後には、誰も止めることができない暴走列車と化すのだ。

「よく他人と一緒に暮らすなんて決心できたわね? お父さんに言われたから? それとも入葉ちゃんが可愛かったから?」

「いきなりなんだよ、もういいから、話はあとに――」

「私はあんたの気持ちが知りたいのよ。誰も寄せ付けなかったあんたが、なんであの子と暮らしてんの? パパに聞いたわよ、あんたまだ離れのガレージに寝泊りしてるんですって? そこまでしてあの子を家に置く理由ってなに?」

「ちょっ、お前が俺に言ったんだろ? ワケありかもしれないから優しくしてやろうって――」

「それでもアンタなら断ると思ってた」

「はあ? なら、俺が断ると思ったから入葉を家に置けって言ったのかよ」

「ちっ、がう! 違う違う」


 直哉は灯に言われっぱなしになるまいと口を動かし続けていたが、心中はそれどころではなかった。

 すでにコースターの先頭車両は頂上を過ぎて下降を始めている。直哉たちは後方の車両に座っていて、直哉はこの最後尾が嫌いなのだ。

 下りはじめてもしばらく加速を始めない先頭車両と違って、後方車両は頂上を超える前に加速を始める。自由落下する恐怖が段違いなのだ。


「俺だって、他人を家に泊めるのは崖から飛び降りる覚悟、でーーーー!」

「ならいっそ落ちて死ねーーーー!」

 二人は見事な悲鳴のハーモニーでコースターの急加速に流されていった。

 下で見ていた入葉は、直哉と灯の二人が手をつなぎながら、他の客と違う悲鳴とともに降下していく姿を、仲がいいなあ、などと呑気のんきに眺めた。


 一度目の降下が終わって再び上ったコースターは、二つ目の頂上で停止寸前の速度まで落ちた。直哉と灯は互いにすがりつくような格好に気づき、怒りと恥ずかしさで顔を赤くしながら、二人同時に相手の手を跳ねのけた。


 二度目の降下が始まった時、直哉は後方から何かが迫ってくるような気配を感じて後ろを振り向いた。最初、鳥か何かが飛んでいるのかと思った。それは近づくにつれて速度を増して直哉の背後に迫った。

 それは女の子だった。白い服を着て、背中に弓のようなものを背負って飛んでいる。

 彼女は追い抜きざまに直哉に気づいた。目が合って互いに驚いて目を見開く。

 直哉が彼女を目で追って再び前を向くと、ジェットコースターも周囲の景色も消え、代わりにパステルカラーの森が広がった。

 一瞬で何もかもが変わった。

 どこかのテーマパークのように、宇宙やファンタジー世界のセットが組まれた建物に突入したのだろうか? それにしても乗っていたコースターも見えないとは……。

「う、うわー!」

 直哉は森の中を自由落下していた。

 少女も落下しているが、追い抜きざまに直哉に手を伸ばし、直哉も手を伸ばそうとした。

 しかしその手は指先がかすかに触れただけだった。

 速度の速い少女の方が先行し、太い木の枝に着地しようとしたがバランスを崩し、小さな悲鳴を残して茂みの中に消えて行った。

 その光景を目で追っていた直哉も、自分の落下速度が増しているのに気づく。同じように落下してしまうと覚悟したとき、上昇する気配を感じて横を見た。そこには灯がいて、涙を流しながら笑っていた。直哉の視線に気づくと目だけこちらを向いた。

「た、楽しいじゃない!」

「あ、ああ」

 いつの間にか景色は見慣れた景色に戻り、パステルカラーの森も少女も消えていた。


 その後、余裕の出てきた灯にちょっかいを出されても、コースターがコークスクリューの加速エリアに入っても、ジグザグに体が左右に揺られても、終着駅に着くまで直哉は心ここにあらずのままだった。


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